わたしたちがトカゲのしっぽ亭を訪れた時、店内はたくさんのお客さんであふれ返っていました。
「あ、いらっしゃいませなの! ごめんだけれど、ちょっとだけ待っててくれるカナ!?」
「店員さん、俺この『ボリューミーダブルベーコンチーズサンド』ね」
「私はブルーベリーベーグル二つと、プレーンのベーグルをもらうわ」
「はいはい、ただいまなの! 順番にお伺いするなの!」
カウンターには人が群がり、カナさん一人で獅子奮迅の働きをされています。
……が、やはり手が足りていないご様子です。
「あの、カナさん。もしご迷惑でなければお手伝いいたしましょうか?」
「ホントなの!? すっごく助かるなの! じゃあ、アサギンは厨房お願いなの!」
「いや、俺は手伝うなんて一言も……はぁ。分かったよ」
ずらりと並ぶお客さんの列を見て、アサギさんが肩を落として承諾の言葉を口にしました。
なんだかんだと言っても、結局アサギさんは優しさを見せる方なのです。
「では、我々で接客と待機列の整理を行いましょう」
「そうですね。ではエスカラーチェさんは接客を……」
「大家さんは店長さんと一緒にいた方がいいでしょう。私が列の整理をし、事前に注文を受けて厨房のサトウ某さんに発注しておきますので、手際よく商品の受け渡しと代金の受領が行えるよう頑張ってください」
「は、はい!」
一瞬のうちに役割分担が終わりました。
エスカラーチェさん、さすがです。そつがありません。わたしも、このようなデキる女性になりたいと思うばかりです。
エスカラーチェさんにばかり負担が多いような気がした役割分担ですが、エスカラーチェさんはそれらの仕事を難なくこなし、逆にカナさんに教えてもらい助けていただいているはずのわたしが終始てんてこ舞いでした。
お客さんがみなさん、わたしの失敗を笑って許してくださるいい方ばかりだったのが救いです。
憲兵さんの集団がおっしゃっていた「ドジっ子萌え~」や「焦る度にぽぃんぽぃん!」という言葉の意味は分かりませんが、みなさん笑顔で帰っていかれたのできっと成功したと言えるでしょう。
「はぁ……ようやく捌けたなの…………お疲れ様なの、ツヅリさん、エスカラーチェさん。おかげで助かったなのぉ……」
お客さんがいなくなった後、カウンターに突っ伏してくったりしているカナさんはなんだか可愛らしくて、このまま連れて帰ってしまいたくなるほどでした。
「そういえば、アサギさんは大丈夫だったでしょうか?」
接客業務が忙しく、厨房の様子は一切見ていられませんでした。
ひょいっと覗き込んだ厨房では――
「動線が悪いんだよな……、いっそ流しをこっちに移設して、ここにストッカーを置いて……」
なにやら、厨房の中をウロウロされていました。
「あぁ、客がはけたのか?」
「はい。……あの、一体何を?」
「客が増えたなら大量生産できる構造にしないと、この店がパンクするかと思ってな。改装案を練っていたんだ」
アサギさん、そんなことまでお出来になるんですね。
「ま、余計なお世話だろうけどな」
「いえ。カナさんに話してみましょう。喜んでくださるかもしれませんし」
今日のような混雑が続くのであれば、少しでも作業効率が上がるのは歓迎されるでしょう。
発案は宝です。それを実行するかどうかは責任者の判断に委ねるとして、案はいくらあっても邪魔になりません。
「アサギン、お疲れ様なの~……」
ふらふらと、カナさんが厨房へやって来ました。
「みんなが来てくれなかったら、きっとパンクしてたなの……」
トカゲのしっぽ亭は、カナさんがお一人で経営されているお店です。
カナさんが厨房に入れば接客が出来ず、接客にかかりきりになれば調理が出来ません。
とはいえ、誰かを雇うような金銭的余裕もなければ、新人を教育している時間的余裕もそうないようで、カナさんは困り果てていました。
「カウンターに小さな石窯と、具材を保管しておくチルドケースを置いておけばカウンターで調理ができるようになって接客と調理が同じ場所で行なえるようになるぞ。ベーグルだけをあらかじめ大量に用意しておけばピーク時くらいは乗りきれるだろう」
「それ、すごいアイデアなの! 使わせてもらってもいいカナ!?」
「初期費用が少々かかると思うが――」
「ブルーベリーベーグルのおかげで蓄えが少し出来たから平気なの! ありがとなの、アサギン!」
カナさんが感極まってアサギさんに飛びつき、いえ、抱きつきました。
胸に飛び込んできたカナさんを、アサギさんは困った顔で受け止めてあげていました。
ふふ。優しい親戚のお兄さんみたいです。
「樹液でも出ているのですか、あなたの体からは?」
「どんな角度からの悪口だよ、それは……」
エスカラーチェさんの発言に、アサギさんは表情を曇らせます。が、そんなことを軽く言い合えるのは仲がいい証拠だと思います。
いつの間にかお二人が仲良くなっていて、わたしは嬉しいです。
「在庫の確認をしましたが、見事に完売ですね」
「ありがとうなの、エスカラーチェさん」
「あれだけあったベーグルが全部売り切れるなんて、すごいですね」
「そうなの! この前のかんざし職人さんがかんざし屋さんで宣伝してくれたみたいなの!」
口コミというやつですね。
この前のかんざし職人さんというのは、アイアンゴーレム族のアレイさんとの離婚騒動を乗り越えたルチアーノさんのことでしょう。
あの一件は、他のかんざし職人さんたちが見守っていたこともあり、今ちょっとした話題になっているのだそうです。
なんでも、ルチアーノさんの作るかんざしを身に着けていると恋が成就する、なんて噂がまことしやかに囁かれているとか。
その関係で、恋に悩める乙女のみなさんがかんざし屋さんに赴き、そこでトカゲのしっぽ亭の噂を聞きつけて、たくさんのお客さんがこのお店に流れてきたのだとか。
「有名なトレジャーハンターのお姉さんも、かんざし屋さんでお話を聞いてね、お得意さんになってくれたなの! その影響で冒険者さんとか騎士団の人とかもたくさん来てくれるようになったなの」
数多のダンジョンを制したトップクラスのトレジャーハンターさんがカナさんのベーグルを気に入って毎日のように買いに来るようになったのだと、カナさんは嬉しそうに話してくださいました。
有名人の来店に、カナさんは大はしゃぎです。
それにしても、トップクラスのトレジャーハンターさんが、恋に悩んで恋愛成就のかんざしを買いに行かれたのですか。トレジャーハンターと言えど、恋に悩む気持ちは世の女性たちと同じなんですね。少し、親近感を覚えます。
そしてその副産物と言いますか、彼女の強さにあやかりたい冒険者の方々が後を追うようにお店を訪れているのだそうです。
人の縁というものは複雑に絡み合って関係が広がっていくものなのですね。
「おかげでカナはずーっと忙しいなの! ありがたい悲鳴だけどね~……」
この後、ディナータイムまでは少し暇になると、カナさんは安堵した顔でおっしゃいます。
先日、わたしたちが訪れた時も、お客さんはほとんどいらっしゃらなかったですし、本当に忙しいのは朝からランチタイムに限られているようです。
「そうか……」
カナさんの話を聞いて、アサギさんが腕を組み、アゴを撫でて思案顔をされました。
「なら、これは教えない方がいいか」
「待ってなの! 大変は大変だけど、もっと多くの人に喜んでもらえたら、カナはもっときっととっても嬉しいなの!」
何か新しいアイデアを持ってきている様子のアサギさんに、カナさんが再び抱きつきます。
今度は腰の付近に、縋りつくように。
「……クヌギですか、あなたは?」
「だから、樹液なんぞ出てねぇっつーの」
エスカラーチェさんの言葉に眉根を寄せ、アサギさんがため息を吐かれます。
ふふ。仲良しさんですね。
「昨日、ティータイムがガラガラだったから、ハーブティーに合いそうなものを考えてきたんだが……まぁ、迷惑なら採用しないでくれ」
そんなことを言いながら、ご自身のカバンから食材を取り出し、作業台の上に並べていくアサギさん。
……おイモです!
材料の中におイモがありました!
今朝のおイモご飯を思い出し、わたしの中で幸福感が蘇ってきました。
あぁ。今度はいついただけるのでしょうか、おイモご飯……そうです!
「カナさん。おイモご飯をメニューに加えてみては?」
「え? あの、カナのお店、ベーグル屋さん、なの……」
そうでした。
いくら美味しいと言えど、おイモご飯はベーグルではありません。
「でしたら、ベーグルでサンドしてみるとか!」
「えっと、アサギン……」
「あぁ、大丈夫だ。無視しておいていい」
アサギさんが酷いです!?
わたしはただ、あんなにも美味しいおイモご飯を、もっと多くの方に知っていただき、そして一大ムーブメントが起こった暁には、どこのお店でも気軽に食べられるようになればいいなと、そんなことを思っているだけですのに。
「ブルーベリーベーグルと、スイートポテトベーグルを作る」
「お手伝いすることはありますか? あ、やっぱり、お任せした方が美味しいものが出来ますよね。一所懸命応援します!」
素人が手を出して台無しにしては困ります。
美味しいものは、一番美味しい状態でいただきたいですから。
「ツヅリさんって、……ちょっと変わった人、なの?」
「概ね、そんな認識で間違いない」
むぅ。酷いです、アサギさん。
とはいえ作業中ですので、アサギさんへの抗議は頬を膨らませるだけに留めておきました。