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引き寄せられた二つの願い -3-

「みんな~、カフェオレ入れてあげるなの~」


 大きめのポットとカップが乗ったトレイを持って、カナさんが厨房から出てきました。

 カウンターキッチンでカフェオレを入れるようです。

 わたしはハーブティーにしてもらいましょうかと、そんなことを思った時――


「カナさん、危ないっ!」


 段差に躓いて、カナさんがトレイを投げ出しました。

 どさっと倒れたカナさんの上に、投げ出されたカップと、熱湯がたっぷりと入ったポットが落下していき――



 ガシャンと、大きな音を立てました。



 思わず顔を伏せてしまったわたしは、慌てて顔を上げて、その光景を目にしました。


「大丈夫か、カナちゃん!?」

「へ……え?」


 ティムさんが床に四肢を突き、カナさんに覆い被さるようにして守っていました。

 小柄なカナさんは大柄なティムさんの体の下にすっぽりと収まり、怪我はないようです。

 ですが、ティムさんは……


「ティム、動くなよ! 今すぐ水を持ってきてやる」


 背中に熱湯を浴び、背中からもくもくと湯気が上がっていました。

 アサギさんが厨房へ駆け込もうとしたのですが、起き上がったティムさんがそれを止めました。


「平気平気、落ち着いて」

「バカ、動くな! 割れたカップの破片が……ほら、膝に刺さってる!」

「だから、平気だから。あ、カナちゃんはちょっとそのままね」


 そう言って、カナさんの周りに飛び散ったカップの破片を腕を使ってどかし、カナさんの安全を確保されます。

 わたしは、アサギさんも、どうしたものかと身動きが取れませんでした。


「カ、カナよりも、オオカミさん、大丈夫なの!?」

「平気だって。俺、不死身だから」


 確かに、満月が消えないこの『世界』でティムさんは不死身です。

 でも、それでも――


「不死身でも、痛いものは痛いし、熱いものは熱いでしょ!?」

「それよりも! ……カナちゃんが無事だってことの方が大切なんだって」

「…………ぅ」


 ゆっくりと立ち上がり、ティムさんが体についた欠片をそっと払い落とします。

 ざらざらと、結構な量の欠片が落ちていきます。

 傷口は体毛に隠れて見えませんが、微かに流血しているようです。


「火傷や傷ってさ、負った瞬間ってそんなに痛くないんだよ。痛いのは、治り始めた時」


 そう言った後、流血の跡が残る腕をこちらへ向け、毛をかき分けて地肌を見せてきました。


「ほら、もう治ったっしょ? もう全然痛くないんだぜ」


 確かに、どこにも傷は見当たりません。

 痛みは、もうないのでしょうか?


「だから、気にしなくていいからな。それより、掃除しようぜ。もうすぐ混む時間っしょ? 手伝うからさ」


 掃除道具を取りに行くつもりだったのか、厨房へ向かいかけたティムさんのしっぽを、カナさんがガシッと掴みました。


「きゃぃん!? ちょっ、いきなりしっぽ掴むんは無しっしょ!? 恥じらい持てって、女子!」

「……じゃあ、手伝ってもらおう、カナ」

「ん? あぁ、だから手伝うって……」

「明日から、ベーグルの修行してもらうなの!」

「……は?」

「あと、カナはオーナーだから、カナの言うことちゃんと聞いて、不平不満は禁止なの! 文句も言っちゃダメなの! あとそれから、カナのことからかったら減給なの!」


 カナさんが、今にも泣きそうな顔で叫んで、ティムさんが困った顔でおろおろしています。


「え……っと、なに、これ? え、どういうこと?」

「お前を採用したいんだとよ、この大人気店のオーナーが、直々にな」


 アサギさんがティムさんの肩を叩いて、教えてあげました。

 わたしも、そういう意味だと思います。


「いや、でも……俺が接客業は無理じゃね? 客が嫌がるっつーか……」

「オーナーがいいって言ったらいいなの!」

「そうですよ、ティムさん」


 わたしも、少しだけ背中を押させてもらいます。


「オーナーさんがいいとおっしゃっているんですから、あとはティムさんのお気持ちだけですよ」

「気持ちって……でも……」

「こんな店では働きたくないってか?」

「んなわけないっしょ、アサギさん! この店、どんだけ居心地いいか! ベーグルも美味いしさ! この街でここが一番、いや、この『世界』でここが一番美味いから、マジで!」

「じゃ、問題ないな?」

「え…………あ…………」


 ギクシャクと体を動かして、ティムさんがカナさんを見ます。


「え~……お願い、します」

「うん。採用なの! ただし――」


 カナさんが人差し指をぴんと立てて、ティムさんに突きつけました。


「――今日からはカナのこと、『店長』って呼ぶこと! 分かったカナ?」

「あ、あぁ……よろしくお願いします、店長」

「よろしいなの!」


 こうして、トカゲのしっぽ亭に新しい従業員が誕生しました。


「でも、たぶん、からかわないってのは無理じゃねぇかなぁって」

「減給するなの! 本気なの!」

「冗談だって、冗談! あの低っっっっくいキッチンで頑張ってベーグル作るから」

「からかってるなの! そーゆーの、減給対象なのー!」


 なんだか、賑やかなお店になりそうですね。



 そして翌日。

 トカゲのしっぽ亭は改装工事のため、一週間ほど休業することになりました。

 これまで、すべてがカナさんサイズだった厨房を、ティムさんにも使いやすいようにリフォームするそうです。

 厨房をティムさんが、接客とカウンターキッチンでの調理をカナさんが担当する予定なのだとか。


 リフォームが終わったら、すぐにでもお邪魔してお祝いをしようと思います。



 あ、それから。

 アサギさんが作ってくださったおイモまんじゅうが、とってもとっても、美味しかったです。







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