「やぁ、ご足労だったねぇ諸君」
「我々のために時間を割いてくれたこと、感謝する」
俺たちを待っていたのは、とても年寄りには見えない美男美女だった。
「僕が司祭のザックハリー。よろしくね」
「私はハルス。同じく司祭だ」
ザックハリー司祭は、ゆるいウェーブのかかった栗毛をしており、まるで絵画のエンジェルがそのまま大人になったような、そんな印象を覚える柔和な男性だった。年齢は、どう見ても二十代後半から三十代前半。ちょうど、大人の遊びも覚えた働き盛りの余裕ある男性――つまり、女性にとてもモテそうな大人に見える。
片やハルスという女性司祭は、スカイブルーの鮮やかな髪を一つにまとめたすっきりとした印象ながらも、鋭い目元と整い過ぎた目鼻立ちから少々キツそうな雰囲気を纏っている。
彼女も二十代そこそこに見えるが……
「えっと、すみません。事前に伺った情報から、もっとご高齢の方かと思っていたもので、少し戸惑っています」
正直にそう話すと、ザックハリー司祭が身を乗り出し、人懐っこいネコのような笑顔で俺に尋ねてくる。
「へぇ、そうなんだ? いくつくらいに見えているのかな?」
余裕のある大人の男然とした――ちょっと言い方を変えれば水商売に向いていそうな、若干軽薄さを感じる口調で言われ、素直に答えるべきかどうか躊躇ってしまった。
その一瞬の間に、ハルス司祭が冷たい声を挟む。
「くだらないことで時間を使うな。暇ではないのだぞ、お二人も、我々もな」
ぴしゃりと言って、ザックハリー司祭をひと睨みした後、こちらへ向き直り、淡々とした口調で互いの年齢を答えてくれた。
「我々は優に何千年という月日を生きている。記憶の混在の影響か、過去の記憶に欠損があり正確な数字までは把握していないのだが、どちらにせよ、諸君らから見れば高齢であることには違いない。君の意見はなんら間違ってはいないよ」
「そ、そう……ですか」
なんだか、言葉にいちいち圧を感じる。
そんなハルス司祭の隣でも、ザックハリー司祭は一切臆することなく、気にする様子も見せず、相変わらず穏やかで少々軽薄な笑みを浮かべている。
「怖いだろ、彼女。もっと人生を楽しめばいいのに」
「楽しみだけを求めるから貴様はそうなのだ。無駄が多く効率的ではない」
「これは無駄ではなくゆとり――遊び心だよ。人生には必要なものさ。君のような生き方をしていると息が詰まる」
「人が生きるのに必要なのはゆとりではなく規律だ。楽を選びゆとりを求め続ければ、その先にあるのは堕落だけだ。堕落した者はもはや人間とは呼べぬ。貴様は獣を育てたいのか?」
「締め上げ過ぎれば人の心は容易く折れてしまうよ? そんな風に眉間にシワを刻んで生きることが人間らしいとは、僕には到底思えないなぁ」
その言葉に、ハルス司祭が鬼神のごとき鋭い視線を向けるが、ザックハリー司祭は柳に風とばかりに飄々と受け流す。
……この夫婦、もうすでに破綻してるんじゃないのか?
「ま、まぁ、お二人とも落ち着いてください」
ただ年齢を聞いただけでここまで険悪にならなくてもいいじゃないか……とは、さすがに言えなかった。
「……すまない。この男といるといつもこうなのだ」
「それは、いつも君がカリカリしているからだろう?」
「貴様がそうさせているのだという自覚を持て」
「僕は何もしていないさ。僕はいつだって笑顔と幸福を求めているだけなんだよ」
「時と場合を選べと言っているのだ。いつも隣でへらへらと締まりのない顔をされていては腹も立つというものだろう」
「僕は、君の笑顔をもっと見てみたいけどな」
「貴様のその甘ったるい言葉には胸が焼ける思いだ。しばらく口を閉じていてもらおうか」
「僕だって、君のそのつんけんした態度に気分が滅入るよ。どうしてもっと丸くなれないのか……はぁ」
テーブルを挟んだ向かい側に座る二人は、互いから遠い方のヒジ置きに肘を突いて顔を逸らし、背を向けてしまった。
……離婚、したらどうっすか?
「あの、念のために確認したいのですが……」
ツヅリが遠慮がちに口を開く。
目の前の司祭二人は互いに背を向けたままぴくりとも動かず、何も言わない。
ツヅリは空気を読んで、控えめに続きの言葉を口にした。
「お二人は、離婚の危機を回避したい……そういうお考えなのですよね?」
「僕はそのつもりなんだけれどね、彼女の方はどうだろうか」
「そうやっていつも決定権を相手に委ね、責任から逃れようとするのが貴様の悪いところだ。自覚がないようだからこの際はっきり言っておいてやる。貴様が望むのであればいつでも離婚を受け入れる覚悟はあるとな」
「僕はそんなものは望まないよ。君こそ、僕を悪者に仕立て上げたいだけなんじゃないのかい?」
「貴様が勝手に悪に落ちているだけだ」
「話にならないな、これじゃあ」
「こちらのセリフだ。まともに会話がしたいなら、その薄ら笑いをやめろ」
「生まれつきこの顔なんだよ、僕は。君こそ、もう少しくらい愛想よくしたらどうなんだい?」
「私の顔も生まれつきだ」
離婚でいいんじゃないかな、もう。
「……アサギさん」
ツヅリが困り果てた顔でこちらを見てくる。
こっちに振られても、俺だってお手上げだよ、こんな夫婦。
ここまで嫌い合っていて、なぜ離婚を回避したいのか。
世間体というヤツか?
教会の司祭が離婚すればスキャンダルになるとか?
そもそも、俺の知っている司祭ってのは未婚で然るべきって感じだから、俺の常識とはすでに十分乖離しているんだけども……
いっそのこともう会わないようにして、事実婚ならぬ『事実離婚』してしまったらどうだろうか?
世間体を保つために婚姻関係は維持したまま、二度と顔を合わさない。
教会関係で会わなければいけない時も、極力口を利かないようにして、互いが互いの存在をないものとして扱えば、少なからず波風は立たないのではないだろうか。
そんな提案をしようかと思ったのだが……
「戸惑わせてしまってすまないね、君たち」
寂しげな顔で、ザックハリー司祭が俺たちに笑みを向けた。
「さっさと別れてしまえばいい……きっと、そんな風に思っているのだろうね」
「あ、……いえ」
思ってるけど。
「でもね、僕は彼女を愛しているんだ。その気持ちに偽りはない」
ザックハリー司祭の言葉には、無防備な本音がこめられている。そんな気がした。
この言葉に嘘はないと、無条件で信用できた。
理由は分からないけれど、この言葉がもし偽りなのであれば、この世界に真実なんて存在しないのではないか。それくらいに、今のザックハリー司祭の言葉には真実味を感じたんだ。
「……私も同じだ」
そして、そっぽを向いたままのハルス司祭もまた、飾らず、偽りのない素直な気持ちを言葉に乗せる。
「私の隣に立つ男はザックハリーしかいない。それ以外には考えられない。……それほど、彼を愛している」
強く、深い愛情を感じた。
俺は未だかつてこんなにも誰かを思いやれたことはないだろうと、敵わないなと思わされるくらいに、二人の言葉には互いを思いやる気持ちがこめられているように感じた。
「ハルスが言ったように、僕たちには過去の記憶がないんだ。それでも、過去、僕たちはずっと寄り添い、一番近くで生きてきた。そんな確信がある」
「私も同じだ。どこにいても、どんなに時間が経っても、隣を見ればザックハリーがいた。自分たちの種族さえも明らかではないが、すっかりと抜け落ちてしまった記憶の中に、その事実だけが克明に刻み込まれているのだ」
記憶の混在により欠損した記憶の、その向こうに、刻み込まれた確かな記憶。
その記憶が、この二人を強く、深く、結びつけているのだ。