「……で?」
踏み込めない話題を逸らすつもりで、俺はティムに話を向ける。
「今回俺たちを呼び出したのは、その甘いおにぎりを食べさせるためじゃないんだろ?」
「ん? あぁ、そうそう。トーマスさんから頼まれてさ」
先日、デニスさん夫婦の離婚騒動の折、いろいろと世話を焼いてもらったトーマスさん。
そのトーマスさんが、俺たちに頼みたいことがあるとティムを訪ねてきたらしい。
俺たちの住所が分からなかったようで、ティムを仲介役に立てたのだろう。
「なんかさ、離婚したくない夫婦の仲裁をしてほしいんだって」
「……ウチは、離婚をしたい夫婦が訪れる場所なんだがな」
「え!? そうなん?」
トーマスさんやティムの目には、離婚危機を回避し、夫婦仲を修復する相談所のように映っても仕方ないかもしれない。
実際、これまで相談に乗ってきた夫婦はみんな離婚を回避して、夫婦の絆を深めていたからな。
「とりあえず、お話を伺ってみませんか? わたしたちでお役に立てることがあるかもしれませんし」
「まぁ、そうだな」
ツヅリがそう言うのであれば、俺は従うしかない。
しかし、双方に離婚を回避したいという思いがあるのなら、夫婦でじっくりと話し合えば済むと思うのだが……
「それで、その人に会うにはどうすればいいんだ?」
「トーマスさんが仲立ちしてくれることになってるよ。依頼を受けてくれるならトーマスさんの事務所に来てほしいって」
「分かった。今から行くか、ツヅリ?」
「そうですね。先方の方も、離婚を回避したいと思っているのであれば早い方が喜ばれるでしょうし」
ならばと、俺たちは席を立つ。
「あ、でも待って! その前に」
支度を始めた俺たちに、ティムが慌てて声をかけてくる。
そして、なんだか言いにくそうな表情で、こんなことを聞いてきた。
「二人ってさ、神様を、信じる?」
「は?」
なんの勧誘だ、それは?
ティムの言葉の意味が分かったのは、指定された建物の前まで来た時だった。
「なるほどね」
そこは、この街のシンボルとも言える龍族の住まう王城のすぐそばに建つ豪奢で荘厳な建物――教会だった。
この街で教会と言えばこの、龍神を崇める龍神教会のことを指す。
それ以外の神を崇める小さな教会も複数建っているが、どこも小さく小規模で、影響力も低い。
この街に君臨する絶対的な信仰の対象は龍神であり、その龍神をトップに頂くこの教会こそがすべての神事の要になっている。
つまり、影響力がもっともデカい教会というわけだ。
この街に住む人間の九割近くが龍神教会を信仰しているらしい。もっとも、形式上の信仰である者も多く存在するようではあるが。
心からの信仰とは言いがたいが、それでも、拮抗する存在がいないことでこの街の平穏が保たれているのなら、俺はそれでいいと思っている。
「そこの司祭様が、離婚危機とはね」
「神様も、男女の機微にまでは影響を与えられませんからね」
信じる者は救われるってのは、なんでもかんでもうまくいくということではないようだ。
「けど、驚いたな。龍神教会の司祭が龍族じゃないなんてな」
「龍族にとっての信仰は個人が心の中に持っているもので、こうして世に広めたり統率したりするようなものではないんですよ」
それでも、必要があったから龍神信仰は一気に広まった。
聞いた話では、どの神への信仰も自由に認めていた時代は、様々な神の信者が好き勝手に教会を建て、戒律を作り、自身の信仰の勢力圏を拡大しようと争いが絶えなかったらしい。
それでも、龍族はそれを大目に見ていたが、ある時に魔神が現れこの『世界』に牙を剥いた。
他の神を排除し、自身の信者以外は抹殺せんと争いの火種を撒き散らした魔神は当時最大勢力を誇っていた神を服従させ、ついに龍神へと牙を剥いて――排除された。
「その時の損害があまりに大き過ぎて、龍族が龍神様の教会を王城のそばに建てられたのです」
「それが、ここか」
「はい。街は壊滅に近い状態にまで追いやられ、人口も大幅に減ってしまっていましたから、人々は龍神教会へ縋ったのだと聞いています。強く、慈悲深い教会の庇護下に入り、街を再建して、ようやく安寧が訪れたのだと」
それ以降、龍神と龍族が目を光らせて、この街の平和を守っているらしい。
ただし、相変わらず龍族の信仰心は自身の中にしかないらしく、布教や統率という役目は龍族以外の敬虔な信者が引き受けているのだそうだ。
一応、教皇だけは代々龍族から選出されているらしいが。
「今回お会いするご夫婦は、その魔神の乱の後、この街の復興に大きく貢献されたお二人だそうですよ」
「ってことは、それなりの歳だよな」
魔神の乱が20年前という話だから、若く見積もっても40代……いや、当時から司祭という立場に就いていたとなれば、結構な高齢と考えた方が妥当か。
そんな歳なら、もう離婚とかどうとか言わないでお互いの忍耐と情で余生を過ごしてくれればいいのに……ってのは、他人の勝手な押しつけだよな。
本人たちには本人たちにしか分からない悩みがあるんだから。……ま、話を聞いて何か出来そうなら協力するさ。
「それにしても、ツヅリは歴史に詳しいんだな」
「え? あぁ~……えぇ、まぁ。わたしは、この街で生まれ育ちましたので」
そうか。
この街の人間が全員『世界』に統合されたわけじゃないんだ。
それこそ、これまで出会ってきた夫婦の間に誕生した命はこの『世界』以外を知らないわけだ。
「じゃあ、ツヅリは記憶の混在を経験してないんだな」
「はい。情報として、どのような現象が引き起こされるかは知っていますが、経験はしていません」
そう考えると、なんだか変な気分だな。
いや、異世界に引きずり込まれて脳と体を弄くり回されるって方がおかしな現象ではあるのだが。
なんというか、こう……
俺とツヅリは、何もかもが根本的に違うんだなと、そう思えた。
「アサギさん、行きましょう」
子供じみた感情だ。それを寂しく思うなんて。
過去がどうあれ、今があるならそれでいい。
「あぁ。そうだな」
今は、目の前の仕事に集中しよう。
そうすれば、そのうち何かが変わる。現在が過去になっていくように。
「爺さん婆さんの話し相手になってやれば、不満を全部ぶちまけてすっきりしてくれるかもしれない。年寄りとはそういう生き物だからな」
「もう、アサギさん。失礼ですよ」
くすりと笑って、それでも精一杯の怖い顔で俺を叱るツヅリ。
こんな日が続けばいいと、いつの間にか、俺は思うようになっていた。