「実は、わたしには一人、秘密のお友達がいたんです」
「秘密の友達?」
「はい。初めて会ったのは五歳の頃でしょうか。仕事に忙しい両親に遊んでもらえず、一人で裏庭を探検していた時に偶然出会ったんです」
その秘密のお友達は、わたしと同じ年齢くらいの女の子で、わたしとは正反対の快活ではきはきと物が言える、ちょっとお転婆な子でした。
「それから、毎日ではないですが、わたしが独りぼっちで寂しいなと思った時にひょっこりと現れては、わたしを笑顔にしてくれたんです」
「名前は、聞いたのか?」
「いいえ。『名前を知られれば、一緒にいられなくなるから』と」
少しでもわたしと親しくした者は、両親のどちらかから声がかかり、わたしの好きなものを聞き出したり、夢中になっているものの調査をしたりしなければいけませんでした。
そして、成果が上げられないと館を追い出されてしまうのです。
彼女は、それを危惧してわたしに名前を教えませんでした。
その代わり――
「何があっても一緒にいると、約束してくれたんです」
指切りした時の彼女の小指の温もりは、今も忘れていません。
姿が見えなくても、いつもそばにあの女の子がいてくれる。そう思うと、自然と寂しさを感じなくなったんです。
「だから、全然寂しくはなかったんですよ」
いえ、全然というのは、ちょっと嘘かもしれませんけれど。
……そうですね、寂しくないと自分に言い聞かせても、きっとわたしは寂しかったのだと思います。
誰もいない部屋にいるのが。
誰も招くことが出来ない部屋は、まるで世界から隔絶された異空間のようで、呼吸の仕方を忘れてしまいそうでしたから。
だからなんでしょうね。
あの日、わたしがあんなことをしてしまったのは。
「十五歳の誕生日に、秘密の友達が言ったんです――」
『私がここから助け出してあげるよ』
深夜。
窓を叩いてわたしを起こした彼女がそう言ったんです。
けれど、そんなことをすれば館中がパニックになる。
すぐに連れ戻されて、多くの人が罰を受けてしまう。
だから無理だとわたしは主張しました。それでも彼女は笑顔を崩さずこう言ったんです。
『ツヅリが幸せになることを、君の両親が怒るはずがない』
それは衝撃的な言葉でした。
お父様もお母様も、わたしのことを第一に考えてくださっていました。
その自覚はありましたし、実際にそうだったのだと思います。
だから、彼女の――秘密の友達の言葉は真実なのだと思えたんです。
「わたしは、彼女の言うことを聞き入れることにしました。誰もいない部屋から抜け出して、変わることのない窓からの景色を眺めるだけの人生に終止符を打とうと。まだ見たことのない世界へ飛び出して、本当に自分が好きなものを探してみたい……って、そう思ったんです」
うまくやれる自信なんてありませんでした。
けれど、あの時は不思議と不安はなく、彼女の言う通りにすればうまくいくと確信していました。
『ツヅリは後ろを振り返らずまっすぐ走って、走って走って、もう走れないって立ち止まった場所にある建物に入るんだ。そこが、ツヅリの秘密のお城だよ』
「彼女の言う通りに走って、走って走って、たどり着いたのが、この建物でした」
そこでわたしは、前任の大家さんと出会い、住み込みのバイトとしてこのビルに住むようになり、いろいろなことを教わりました。
「前任者は高齢の女性だったのですが、とても穏やかで優しい方でした。わたしに魔導具の使い方を教えてくださったのもその方で、その魔導具を使ってこの部屋を作ったんですよ」
「魔導具で部屋を?」
「はい。元はもっと違う間取りだったんですが、わたしがこのビルのオーナーを引き継ぐ時に、好きな間取りにしてもいいと許可をいただいて」
このビルには大きな魔石が埋め込まれていて、オーナーの権限で間取りを変更することが出来るんです。ただし、最初の一回だけ。
「わたしは、自分のお城に誰かを――それもたくさんの方を招きたいと思っていましたので、何かお店をしようと、こういう間取りにしたんです」
「それで、離婚相談所か?」
「はい。……誰かのお役に立ちたいなぁ~という思いもありましたので。……全然へたっぴでしたけれど」
アサギさんがいなければ、きっと離婚相談所はもう店をたたんでいたでしょうね。
そう思って振り返ってみれば――
「わたしは運命のような出会いをたくさんしてきました」
秘密の友達。
優しい前任者さん。
不思議で頼れるエスカラーチェさん。
そして、アサギさん。
「わたしは、運命の女神様にたくさん微笑みかけてもらったんですね」
おかげさまで、今はこんなにも楽しい日々を過ごせています。
……お父様やお母様、それに館の使用人のみなさんのことは、今でも気がかりではありますけれど……
けれど、逃げ出したわたしには、そんなことを気にする資格は……
「ツヅリ」
深く、思考の海へ沈みかけたわたしの意識をアサギさんの声が呼び戻します。
顔を上げればいつもと変わらないアサギさんの顔がこちらを向いていて――
「ありがとう」
――そんな言葉を口にしました。
「……え?」
何に対する感謝なのか、それが分からずに戸惑うわたしに、アサギさんは穏やかな笑みで語りかけます。
わたしを、まっすぐに見つめて。
「時々、お前が見せる寂しげな表情が気になってたんだ」
わたし、そんな表情をしていたのでしょうか。
というか……
アサギさんは、そんなにわたしのことを注意して見ていてくださったの、でしょうか……?
なんだか、胸がドキドキします。
なんでしょう。目がちかちかします。
ドキドキで、ちかちかで……ふわふわします。
「だから、話してくれてありがとうな」
「…………はい」
口から、勝手に言葉がこぼれ落ちていきました。
何かを言おうとも、何も言うまいとも考えられず、ただ押し寄せてくる感情に翻弄されるがまま、わたしの意識は熱暴走を起こしていました。
こんなに激しい感情は、これまで一度だって感じたことがありませんでした。
こんなに、嬉しくて――面映ゆい感情は。
「……こちらこそ」
なんとか一言呟くのがやっとで、わたしは恥ずかしさのあまり俯いてしまいました。
あぁ、一体――
この気持ち、どうすればいいのでしょうか。