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打ち明けた秘密、芽生えた感情 -2-

「両親は、わたしが生まれてから間もなく会話がなくなり、わたしが三歳になる頃には一言も会話をしなくなってしまったんです」


 館の使用人さんたちに聞けば、新婚当時の両親は、それはもう仲睦まじく、誰もが羨むような理想的な夫婦であったそうなのです。


「でも、わたしが生まれた瞬間から、二人の関係は大きく、決定的に変わってしまったんです」


 それほどまでに仲がよかった二人が、目を合わせることもなくなり、一緒にいる時間がほとんどなくなってしまったのです。

 そればかりか……


「わたしが初めてしゃべった言葉は、『ママ』だったそうなんです」

「まぁ、妥当な言葉だな」

「それで、お父様が酷く傷付いてしまわれて……」

「父親の多くが経験するみたいだぞ、それ。どうしても一緒にいる時間では勝てないし、そもそも子供は母親に甘える傾向にあるようだしな」


 そうなんですか。よくあることだったんですね。


「それで、『仕事が忙し過ぎるのが悪い』と、宰相の仕事を放棄して丸一年間わたしのそばに付きっきりになり、行政が大きく滞ることになってしまったのですが……それもよくあること、なんでしょうか?」

「それは……ないな。大丈夫だったのか、その間、この街は?」

「少し荒れたそうですが、龍族の方がなんとかしてくださったのだと聞いています」


 龍族には優秀な方が大勢おられますので。


「それで、その一年の間にわたしはたくさんの言葉を覚え、生まれて初めて『好き』という言葉を使ったのが、お父様に対してだったんです」

「まぁ、その言葉で満足して、仕事に復帰してくれれば王も安心しただろうよ」

「はい。それ以降行政の滞りは解消されたのですが……今度は拗ねた母が流通を止めてしまって……一時、この街は鎖国状態に」

「次から次へとトラブルが……っ!」

「一番ではなかったのですが、お父様の四倍『好き』と言うことでなんとか機嫌を直され、流通も正常になりました」

「……怖いよ、お前の両親の話聞くの……まぁ、聞くけどさ」


 手のひらをこちらへ差し出し、話の続きを促すアサギさん。

 いろいろ戸惑いながらも、きちんとわたしの話を聞いてくださっています。


 ……はぁ。少し緊張します。

 こんな風に、自分の過去の話を誰かにするのは初めてですので。


「お父様もお母様も、わたしの前では本当に優しくて……子供ながらに、娘に甘過ぎる両親だなぁとは思っていたのですが……普通の親だったんです」


 他のご家庭をあまりよく存じていませんので比較は出来なかったのですが、わたしにとってはごく普通の、ありふれた両親であったと思っていました。

 それでも……


「わたしが大きくなるにつれ、両親の不仲は深刻さを増し……館の使用人たちも二人が鉢合わせしないかと戦々恐々とするようになっていました」


 使用人の中にもお父様派とお母様派の者がおり、その者たちによる対立も激化していきました。


「お父様が、他国の王族より賜ったという珍しい果物をわたしにくださったことがあったんです。とても爽やかな酸味と、ハチミツのような甘さがある美味しい果物で、わたしはとても気に入ったんです。……それがお母様の耳に入った次の日には、その果物が禁輸されました」


 わたしが好きだと言ったせいで、街の人たちはあの美味しい果物を食べることが出来なくなったのです。

 ……わたしのせいで。


「わたしの十歳の誕生日に、お母様が街で一番人気のあった仕立て屋さんに頼んでドレスを作ってくださったんです。これまでの可愛いドレスとは違い、少し大人っぽくてわたしはとても気に入ったんです。……次の日、その仕立て屋さんはこの街にはいませんでした」


 わたしが褒めたせいで、多くの人に愛された仕立て屋さんがこの街を追われたのです。

 ……わたしのせいで。


「その頃から、わたしは自分の意見を言うのが怖くなってきたんです。わたしが褒めればそれはこの街から消えてしまうので……」


 何も考えずに「あれが好き」「これが好き」と言っていた自分が、恥ずかしくなります。

 いただけることが当たり前だと、思い込んでいたのかもしれません。

 それを生み出すに至るまでの、多くの方の苦労も知らずに。


 苦労して育てた果物も、必死に学び身に付けた高い技術で生み出されたドレスも、わたしの迂闊な一言でこの街から消えてしまったのです。


「わたしのせいで、多くの方が得られたはずの幸福を失してしまったのだと、思っています」

「お前のせいじゃないよ」


 はっきりと、強い口調でアサギさんがそう言ってくださいました。

 優しい、気休めを。


「ありがとうございます」

「気休めじゃないからな?」


 わたしの考えていることを見透かしているように、きっぱりと言い切りました。

 でも、実際わたしの発言のせいで……


「ちょっときつい物言いになる。気を悪くしたらごめんな」


 そんな前置きをして、アサギさんは指を立てて説明するように語り始めました。


「たとえば、お前が父親からもらった贈り物を『気に入った』と言えば、母親がそれを排除に動く。だからと言って『気に入らなかった』と言えば、今度は父親がそれを排除しただろう。なにせ、最愛の娘への贈り物で粗悪品を掴まされたんだからな」

「粗悪品だなんて……! わたしがいただいたのは、どれもこれも高級品で……」

「お前が喜ばない物は、どんなに値段が高くても、価値があろうとも、世界に一つしかない貴重な物であろうとも、お前の両親にとっては粗悪品なんだよ」


 そんなことが、あり得るのでしょうか……?


「俺の場合、一食数十万する高級フルコースよりも、お前が初めて握ってくれた失敗作のおにぎりの方が価値があるからな」

「……へぅっ?」


 突然驚くようなことを言われて、変な声が出てしまいました。

 価値が、ある……のですか? あんな、塩と砂糖を間違えた、甘い、食べるのに苦労するような、形も変で、アサギさんのおにぎりのようにふっくらとしていなくて、口の中でほろっと解けることもない失敗作が……?


 アサギさんに、とっては……


 それは、つまり……



 わたしのおにぎりには、何か特別な価値があると……アサギさんにとって……特別な…………



「ぁう……っ」


 なんでしょう。

 深く考えようとすると顔が熱くなって、呼吸が難しくなります。

 ……か、考えることを一時保留しましょう。そうしましょう。


「と、とにかくだ」


 アサギさんの、思いのほか大きな声に視線を向けると、アサギさんも少しだけ赤い顔をして、顔を逸らしていました。


「お前の両親にとってもっとも重要なのは、お前が喜んでくれることだったんだよ」

「わたしが喜ぶことに、どれほどの価値があるというのでしょうか……」

「お前の両親のすべてを懸けるだけの価値が――じゃ、ないか?」


 大袈裟です。

 わたしなんて、本当にただ与えられるだけで、何一つ……そう、何一つ返すことも出来ていませんのに。


「わたしは、与えられた愛情に見合うだけのものを返せませんでした。そればかりか、与えられる愛情を受け止めることすら出来なくなってしまったんです」


 注がれる愛情があまりにも大き過ぎて……臆病なわたしは怖くなってしまったんです。

 耳を塞ぎ、目をつむり、何も感じない、何も知りませんと嘘を吐いて、知らんぷりをして――そして、目を開ければ目の前にうずたかくわたしへの贈り物が積み上げられていました。


 流行りのドレスや、可愛いぬいぐるみ。美味しいお菓子に、素敵な音色の楽器。

 それらを受け取れないでいると、ついには金貨が積み上げられるようになっていったんです。


「わたしが欲しいものを探り出せない使用人たちが、次々に館からいなくなっていきました。けれど、わたしが欲しいものを言えば、それはこの街から消えてしまうんです」


 怖かったんです。

 わたしの好きなものがすべてわたしの前からなくなってしまうのではないかと思えて……


「もし、『お父様が好き』『お母様が好き』などと口にすれば、次にいなくなるのは……そう思うと、怖くて、怖くて……」


 そうして、わたしは自室に閉じこもるようになりました。

 使用人も、部屋へ入れませんでした。

 食事は運ばせ、好き嫌いせずみな平等に食べました。本当は苦手な野菜もあったのですが、残せばどんなことが起こるか分からない。

 そう思えば、わたしはすべてを平等に扱うしかなかったのです。


「使用人たちも、下手にわたしに干渉すればわたしの欲しいものを聞き出せと言われかねませんので、いつしかわたしに構わなくなっていきました」


 十三歳になった頃には、わたしはいつも自室で一人。ただ昇っては暮れていく太陽を眺めるだけの生活を送っていました。


「……つらかったな」


 アサギさんが、寂しそうな目で言いました。

 ご自身もつらい過去を経験されているのに、わたしに気を遣ってくださるなんて、やっぱり優しい人ですね、アサギさんは。


 ですが、わたしはそれほどつらくはなかったんですよ?



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