午後の陽光が
名梧屋駅に向かう片側三車線の大通り、近くには地下鉄の駅もあり、人々と車が忙しく行き交う。通りの両脇に立ち並ぶビルの壁面には、ツタのような植物がからみつき、季節を問わず美しい花をびっしりと咲かせている。その光景は、見慣れているはずの住民でさえ、時折不安を覚えることがあった。
そんな、賑やかではあるけれどもどこか取り澄ました街の空気が、突如として震えた。
地響きと共に車の急ブレーキ音が響き、人と車の流れが乱れる。
「きゃあああああ!」
上がる悲鳴。人々が慌てふためいて逃げ惑う中、巨大な影が二つ、ビルの間から這い出てきた。それは巨大なイモムシだった。体長およそ十メートル、胴回りは成人の身長よりも太く、緑色のぶよぶよとした皮膚には無数のイボがある。それが粘液を撒き散らしながら、通りをのたうち回っているのだ。
「
「
「逃げろ! そこは危ない!」
巨大なイモムシに悲鳴を上げる女性。車から降りて逃げ出す若者。どこかに連絡しようとする警備員。そして、スマートフォンを掲げ、騒ぎを撮影しようとする男。
しかし……。
「ちょーっとゴメンね」
不意に場違いにのんびりした声がした。それと共に、今まさに撮影を開始しようとしていたスマートフォンが、男の手からうばわれる。
すぐ横から、もう一つ別の、少し固い声がした。
「ここは今から、撮影禁止になる」
男の前に現れたのは、二人の若者だった。凛とした瞳に、どこか不機嫌そうな色を浮かべた黒髪の青年と、パーマがかかった茶色い短髪に、近代的で明るい表情をした青年。年の頃は二十歳前後だろうか。どちらも黒い服に、黒の膝丈の陣羽織を着用し、腰には日本刀を帯びている。
スマホの持ち主の男は、その姿に目を丸くし、あえぐように息をした。
「か、
花の力が支配する世界。
それは、あなたが住む国にとてもよく似ている。
違うのは、そこかしこに花が咲いていること。
建物は花で覆われ、街路樹や緑地帯にも常に花が咲き誇っている。
一見、美しくも見えるこの世界には、
花を食い荒らし、人々の生活を荒らす化け物。
禍虫には、銃弾や爆薬、薬剤などの攻撃はあまり効かない。
効くのは、花の力を利用した異能による攻撃のみ。
そこで政府は、禍虫に対抗する力を持った者たちを集め、組織を作った。
集められた者たちを
政府と連携して華守衆を束ねる組織を
華守衆はこの世界における人々の、畏怖と憧憬の対象だった。
茶髪の青年が、うばったスマホをロックし、持ち主の手に戻す。任務中の華守衆の姿を一般人が撮影することは、法律により禁じられているのだ。男がスマホを受け取ったのを確認すると、黒髪の青年が男に向かって顎をしゃくった。
「さっさと逃げろ。ここに居られてはジャマだ」
その態度に、茶髪の青年が、ややつり上がった形のよい眉を寄せた。
「そんな言い方するなって」
「うるさい」
黒髪の青年が、ますます不機嫌そうな顔になる。体にフィットする黒いタートルネックと黒のスリムパンツが、彼のもつどこか鋭利な雰囲気をさらに強めている。精悍な顔つきも手伝って、かなり迫力がある表情だが、茶髪の青年はそれには慣れているらしい。まるで小さな羽虫でも飛んでいる程度の様子で肩をすくめた。やや光沢のある黒いワイシャツ、その襟につけられたシルバーのチェーンブローチがかすかに揺れる。
「はーいはい。……ま、とりあえず
黒髪の青年はため息をつき、腰のベルトから下がる木札に手をかざした。バイブレーションのような、ぶぅんという小さな音とともに木札がうっすらと青い光を放つ。そして彼は言った。
「
茶髪の青年もまた、同じように木札に向かって言う。
「
それは護華庁への連絡だった。護華庁と華守衆の関係は警察や消防と似ている。一般的には、禍虫が出没すると周辺の市民から護華庁に連絡が入る。そして護華庁から連絡を受けた華守衆が現場に急行する。その連絡手段として、3センチ×10センチくらいの木札が使われているのである。
混乱の中にあった周囲の人たちも、マキとアケルの姿に気づきはじめた。
「華守衆だ」
「本物の華守衆が来たぞ」
「もう通報したのか、早かったな……」
そんな周囲のざわめきに、アケルが少し困ったように首をすくめた。
「別の依頼で近くに来てただけなんだけどね」
腰の刀に手をやりながら、マキが言う。
「早くケリが着くなら、なんでもいい」
そうしてマキは、腰の刀を抜き放った。
マキは己の眼前に刀を水平に構えた。そして左手の人差し指と中指を揃え、刃の側面をなぞる。すると刀が白く発光した。それと同時に、周囲に咲き誇っていた花の紫色の花弁が、まるで生きているかのようにざわめいた。風もないのに一斉に舞い上がり、光る蝶の群れのように宙を踊りながらマキの刀へと吸い込まれていく。
「
マキがそう唱え終え、光が収まると、それまでは冴えた銀色だった刀は、吸い込んだ花と同じ薄紫に染まっていた。周囲に咲く花の力を使う、
マキが、花の色に染まった刀を振りかざし、イモムシ型の禍虫に飛びかかる。マキからほんの少しだけ遅れて、アケルもまた、マキと同じように薄紅色の花を刀に纏わせ、飛び出していった。
「一ブロック向こうに公園がある! そこに追い込もう!」
アケルが、二体の
「たった二体だ。ここで倒したほうが早い」
そうしてマキは、振りかぶった刀を手前の禍虫に向けて振り下ろした。鋭い太刀筋が空気を切り裂く音と共に、紫色の衝撃波が美しい軌跡を描いて禍虫の頭部を斬り裂く。
「ぐぎゃぁぁぁぁーーー!」
激しい悲鳴を上げ、深緑色の体液をまき散らしながら禍虫がのたうち回った。アスファルトが割れてひび割れ、低木が植えられた中央分離帯が、地面ごと抉られて飛び散る。禍虫に折られ、歩道に向かって倒れ込む街灯に、周囲の人々から悲鳴があがった。
「あーもう、だから公園に誘導しろって言ってるんだよ」
木々に囲まれた公園の中ならば、禍虫が暴れ回っても生活道路などは壊さずに済むし、人々からも距離が取れる。アケルはそう思っていたのだが、マキの考えは違ったようだ。
「誘導してる間に民間人を巻き込んだら元も子もない」
そうしてマキは、もう一度刀を構えた。マキに頭を切られて暴れる禍虫に向かい、刀を水平になぎ払う。それは、先ほどの一撃よりも強いエネルギーをもって、禍虫の胴を引き裂いた。
「がぁぁぁ…………」
それは禍虫の断末魔だった。耳障りなその音の陰でアケルはそっとため息をつく。
「はあ、しょうがないなぁ」
そうしてアケルは強く地面を蹴った。軽やかに宙を舞い、禍虫の頭上から落下のスピードに乗って、真っすぐに禍虫を貫く。禍虫の頭頂に深々と突き刺さるアケルの刀。その瞬間、刀から薄紅色の光が放射状に放たれた。光に引き裂かれるようにして、禍虫の頭部が断末魔の声を上げる間もなく四散する。まき散らされる深緑色の体液を避けるように、アケルは禍虫の胴を蹴って再び跳躍すると、マキのとなりに降り立った。
二人の目の前で二体の禍虫が見る間に黒く変色していく。そうして禍虫の身体やまき散らされた粘液、体液は黒い煙となって風に流されていった。
街に静寂が訪れる。
そして、次の瞬間——
「すげえ……」
「かっこいい」
「これが華守衆」
拍手が起こった。
咲き誇る花が覆ったこの世界 異形と戦う若者がいた