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第3話

 一方でマキは、肘掛け椅子にどっかりと座り込み、スマートフォンを取り出した。SNSアプリを開いて、タイムラインをぼんやりと眺める。華守衆かしゅしゅうとしての発信は許されていないが、匿名の世界で、ただの一般人として交流することは特に禁止されてはいない。そのため華守衆の中には、趣味のイラストや写真のアカウントを持っている者もいるらしかった。

 マキは画面をスワイプし、流れていく文字や画像に目をやった。その表情が、ほんの僅かに和らぐ。たまに手を止め、何かしらの反応を送るボタンを押す。

 しばらくして、マキがスマホを見つめたままポツリと言った。

「あのタヌキとはどういうつながりなんだ?」

 突然の質問に、アケルは思わず手を止めてパソコンから顔を上げた。マキがそういう個人的なことに興味を持つとは思っていなかったのだ。

「あー……親戚、だな。一応」

 アケルの声には、複雑な感情が混じっていた。マキがスマホ画面から目を離し、アケルの方を向く。

「伯父なんだ」

 今度はマキの方が驚く番だった。平瀬ひらせ財閥が一族経営で有名なことは、誰もが知っている。テレビや雑誌でも度々取り上げられる、日本有数の名門財閥だ。

「お前、いいとこのボンボンだったのか……」

 確かにアケルは華染里はなぞめのさとにいた頃から、服装が周りの子どもと比べて少しオシャレだった。実家の親がたびたび差し入れを送ってくるのだと、マキもそんな話を聞いたことはある。しかし、それがまさか日本有数の財閥の話だとは思わなかった。

 アケルは、どこか自嘲めいた笑みを浮かべた。

「俺は出来損ないだから、後継者争いからは外されてるけどね」

 父親は自分には見向きもしないが、母親は何かと気に掛けてくれて、物を送ってきたり連絡を寄越すのだと、アケルは続けた。

「……」

 スマホに視線を戻すマキ。ややあってマキは言った。

「金持ちは金持ちで大変なんだな」

 その言い分にアケルはクスッと笑う。

「そ。……だから俺は華守衆かしゅしゅうになれたことに感謝してるんだ。平瀬から離れて生きて行ける道が見つかったからね」

 アケルが眺めるパソコンでは、動物の生態系に関するスライドが流れている。環境生態学。アケルの専攻だが、もしもアケルが平瀬の中にいたならば、進むことは許されなかった学科だろう。

「……」

 マキは特に何も答えなかったが、それは決して拒絶するような冷たさをもったものではなかった。


 そのときだ、二人が持つ木札が同時に小さくブゥンと音を立てた。淡く黄色に光るのは、緊急ではないものの重要な連絡を意味する。

 二人はそれぞれに木札に手をかざした。古風な彫刻が施された木札の前面に、ちょうどスマートフォンくらいの大きさのホログラムの画面が浮かび上がる。マキとアケルは、そこに表示された文字を読んで、小さくため息をついた。それは、東杏とうきょうで発生した華守衆二人の殉職の報せだった。とはいえ同じ華守衆かしゅしゅうでも、顔や名前を知っている相手ではない。華守衆の総数はおよそ五千。そのうち、一年間に死んでいく者は約四十。縁遠い同業者の訃報、それもまたマキたちにとっては、ありふれた日常だった。



「なんで俺たちがこんな場所にいるんだ……」

 マキがぼやく。

「任務任務。そーゆー顔するなって」

 マキのとなりで、アケルがなだめるように笑う。

 彼らは今、名梧屋なごや駅の真上にそびえ立つ高級ホテル「エビコス名梧屋」の最上階にいた。このあたりでも最も高いビルの最上階。そこにしつらえられた宴会場の窓からは、まさに名梧屋の夜景が一望できる。その夜景のきらめきを上回るシャンデリアの輝きに照らされて、華やかなドレスや着物、上質なスーツに身を包んだ人々が談笑している。ここは、平瀬慎吾が主催する立食パーティーの会場だった。

「護衛が必要な間くらい、パーティーの一つや二つ、我慢できねえのかよ」

 苦々しげに言うマキ。

「仕方ないよ。こういうトコのつながりやコネが次のビジネスに繋がるらしいから」

 アケルも、そうは言うもののちょっと呆れた顔だ。名だたる大企業の社長や財界の大物が集まっているこの場。万が一ここで禍虫の襲撃などがあれば、めんどくさいことになるのが目に見えている。慎吾にはできればあまり出歩かずに大人しくしていてほしい。それはアケルもマキに同意するところだった。


 きらびやかなこの空間において、いつもの黒い服に黒い陣羽織、腰に日本刀を佩いた二人の姿は明らかに異質だった。とはいえ任務中の華守衆かしゅしゅうはこの服装が義務づけられている。慎吾はパーティーの開始前に二人に向かい「護衛は護衛らしく目立たないようにしていろ」と言ったが、正直なところ華守衆というのは、どこにいても注目を集めるのだ。目立つなというのは、無理な注文である。

 事実、パーティーの参加者たちは、ときに二人に視線を流しては、ひそひそとささやき合っている。

「華守衆が来ているのね」

「さすが平瀬様。護華庁ごかちょうに護衛を要請できるのか」

「政府の要人などには専門の華守衆が護衛として付くからな……」

「あの二人が華守衆なの? まだ若いのね」

 居心地がいいわけではないが、二人とも、周囲の人間のそのような態度にはすっかり慣れている。


 二人はパーティーの参加者ではないが、用意された食事を食べることは許されていた。

「せっかくだから、今のうちに食べておこう。あの様子じゃ、今夜はいつ終わるか分かったもんじゃない」

 アケルがマキを、料理が並んだテーブルに誘った。そこには色とりどりの食材が並んでおり、料理によっては、控えているシェフが、その場で切り分けたり火を入れてくれるらしい。

「それ、俺にもください」

 アケルはマナーに沿って、右端の前菜のコーナーに近づいた。生ハムを切り分けているシェフに声をかけ、クラッカーの上にチーズと生ハムを乗せてもらう。一方マキは、インボルティーなどの肉料理のコーナーにさっさと進み、皿の上にところせましと料理を詰め込んでいる。

「あーあ……」

 そんなマキの様子に、アケルは苦笑いを浮かべた。あまり行儀がいい行動ではないが、自分たちはここでコネクションを作らなければならない身ではない。放っておいてもいいだろう。

 料理を取り終えた二人は、また会場の隅に戻った。会場の様子や周囲の気配には気を配りつつ、料理を口に運ぶ。

「米が欲しくなるな……」

 ぼやくマキ。つられるようにアケルも小さくため息をつく。

「俺もシャンパンが飲みたいけど、任務中だもんなあ」

 その言葉にマキは、アルコールを配布しているカウンターにちらりと目をやった。冗談めかせてアケルがツッコミを入れる。

「もう一年待てよ? 二十歳前の飲酒は華守衆かしゅしゅうでもNGだ」

「こんなところで飲んだりしねえよ……」

 マキが不機嫌そうに唸る。 二人がそんな会話を交わしていると、会場のほうから人々が話す声が聞こえてきた。

「あの黒髪のほうの華守衆『樟田くすだ』というらしい。……血筋じゃないんだな」

「茶髪のほうも、平瀬の血筋だろう。たしか落ちこぼれでどこかにやられたと聞いているが、華守衆になっていたとはな」

「乱暴で血なまぐさい、お似合いの仕事だ……」

 マキは相変わらず無表情だったが、アケルの表情が明らかに険しくなった。

「ほんと口さがないなあ……」

「放っておけ」

 淡々と言うマキ。

「でも……」

「クマゼミの声と変わらない。気にするだけ無駄だ」

「クマゼミって……」

「やかましいのは同じだろ?」

 そこへ慎吾が近づいてきた。

「警備はどうだ? 変わりはないか?」

「セミがうるさ……」

 言いかけるマキ。アケルはさりげなくマキのすねを蹴りつけた。

「今のところ異変はありません」

 慎吾はうなずきながらアケルとマキの皿に目をやった。前菜がきれいに盛られた皿と、ボリュームがある料理ばかりが無造作に押し込まれた、対照的な皿。

「お前もやはり『平瀬』の育ちか……」


 その音が聞こえるのと、マキとアケルが動くのの、どちらが早かっただろうか。

 最初に聞こえたのは、グラスやカトラリーが分厚い絨毯の上に落ちる微かな音。続いて、やや重量のあるものが床にぶつかる音だった。

 その音が聞こえたと思ったときには、マキとアケルは皿をその辺のテーブルの上に放り出し、音のした方へと駆け出していた。

 パーティーに参加していた年配の男性が、急に胸を押さえて倒れ込んだのだ。

「きゃあ……!」

「吉岡様! 大丈夫ですか」

 周囲の人々が慌てふためく中、マキとアケルはすでに倒れた男性の元にたどり着いていた。

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