映画チケットや飲食を売っているロビーのある階に到着すると、俺はロビーにいくつか置かれていたソファーへと松田課長を座らせた。
「チェックインと、飲み物を買ってきますね。何か欲しいものとかありますか?」
「いや、とくには……」
「それじゃあ少しの間、ここで座って待っていてください」
「わかった……」
松田課長が深くゆっくりと頷いたのを笑顔で見届けると、俺は売店近くに設置されている端末に近づいていった。
(デート……)
頭に浮かんだ単語に、俺は中学生かと思いながら、浮足立つ気持ちを抑えることに必死だった。
(デートか……。実際、デートなんて何年ぶりだろ……)
もしかして学生ぶりかもしれないと思いながら、俺はタクシー内で予約しておいたチケットを発券するために、スマホを端末にかざした。
(うーん……)
端末の画面が読み込み画面になったが、そのまま画面が中々進まないため、俺は松田課長の言葉を咄嗟に思い出す。
『私はてっきり……バーか君の家かと……』
(あれって、そうだと分かっていながらタクシーに乗ったってことか? いや、話をしましょうって言って乗ったわけだけだから、やっぱり深い意味は……けど……)
俺はふと、松田課長に目を向けた。
すると、俺の視線に気付いたのか、松田課長は膝の上にウェディングブーケを置いて、少し恥ずかしそうに俺に向かって小さく手を振ってきた。
(な、なんだんだ! あの可愛い生物は! 俺をキュン死させるつもりか!)
十五歳も年上で、身長もそれほど俺と変わらないはずなのに、その愛くるしい仕草に俺はたまらない気持ちにさせられる。
(い、いけない。いけない……。俺がペースを乱されては。俺は魔性の男だ……。松田課長を、今日なんとしてでも誑かさなくては……)
こうすれば、相手が喜ぶ。
こう動いて欲しい。
俺はそういったことを考えて行動するのが、得意なほうだった。
だから、松田課長は今、親しい友人が欲しいはずだ。
心を許して何でも話せる、高木課長に代わる誰かを。
(本当は、高木課長の代わりなんて御免だ……。けど、これも松田課長を手に入れるためだ。そのためには……)
俺は笑って高木課長に手を振り返すと、チケットの発券がちょうど終わった。
(よし……)
そのまま俺は売店に向かって、LLサイズのコーラを二つと、塩とキャラメル味の両方が入ったポップコーンバケットを購入してトレーに乗せると、松田課長の元に戻ってきた。
「随分な大荷物だな。まるで、映画に出てくる海外の映画館での一コマのようだ」
俺の顔が隠れるくらい、巨大な紙コップとポップコーンバケットを乗せたトレーを持つ俺の姿を見て、松田課長は笑みを零した。
「ピクニックにはお弁当と一緒です。これこそ、映画館の醍醐味ですから。さあ、いきましょう。席はスクリーンの前の方です」
「ああ」
松田課長は座っていたソファーから立ち上がると、ウェディングブーケを手にもって難しい顔を浮かべた。
「これは、邪魔になる……か。ちょっと、そこに預けてくるとするか……」
映画館ロビーの端っこに設置させているコインロッカーを見つけた松田課長は、足早に向かおうとしたため、俺は松田課長の腕を咄嗟に掴んで止めた。
「えっ……」
「無理すること、ないと思いますよ」
(あっ……)
咄嗟に出てしまった言葉に俺は一瞬まずいと思ったが、すぐに松田課長を掴んでいた腕から手を離した。
「あっ、えっと……いいんじゃないんですか、花束くらい別に……」
俺が掴んでいた部分と俺を見比べて驚く松田課長に、俺はどうしていいかわからず、軽く顔を俯かせてしまう。
(だって、あんな……)
コインロッカーに向かおうとして、俺から顔を背けたときに一瞬だけ見せた、松田課長の唇を噛みしめるお辛そうな顔。
俺はそんな松田課長の顔を見て、どうしても衝動が抑えられなかった。
(本当にこの人は、どんな気持ちでこのウェディングブーケを受け取ったんだろう……)
式の途中で松田課長の名前が呼ばれ、スポットライトが当てられたその表情から察するに、ウェディングブーケの手渡しは、サプライズ演出だったと思われる。
ステージの前に誘導されて移動して、高木課長の感謝の言葉の最後に添えられた『お前も結婚して、幸せになって欲しい』という切なる願いの言葉は、松田課長の心をどれだけ抉っただろうか。
高木課長のことは今でももちろん尊敬しているが、松田課長の気持ちも知らずに、いやもしかして知っていて言ったかもしれない言葉に、俺は怒りを覚えた。
「大和くん……どうしたんだ? もしかして、具合が悪いのか?」
「いえ。そんなことないですよ」
松田課長に声をかけられて、俺は慌てて俯かせていた顔を上げた。
「ほら。松田課長ほど、そのウェディングブーケが似合う人はいませんよ。大事に持ってましょうよ」
(本当は俺が奪って、バラバラにして捨ててやりたいけど、そういうわけにもいかないしな……)
我ながら怖い発想をしていると思いつつ、俺は必死に覆い隠すように笑った。
「それ、女の子が言われれば喜ぶかもしれないが、男が……しかもオジサンが言われても喜ばないぞ」
「そうですか? 俺は一番似合うと思います。高木課長には悪いですが、奥様よりも……ね。こんなに似合う人は他にはいません。それでよくないですか?」
「よくないですかって。大和くんは強引だな」
そう言って、松田課長は俺へ笑い返すように静かに笑った。
その笑顔は、今まで見たどんな笑顔よりも、柔らかく笑ってくれているように思えた。
(ああ。なんて幸せなんだ……)
この幸せな気持ちを壊したくない。
松田課長を後悔させなくない。
でも、手にして俺の前に全てを曝け出させたい。
(ああ。また、よくない発想が……)
「さあ、いきましょう」
自分にこんな湧き立つような感情があったなんて知らなかったと思いながら、俺は席まで誘導するように、松田課長より半歩前を歩き出した。