「座席、間違えてないか……?」
「いえ、間違えてないですよ」
「でも。ここって……」
松田課長は周りを気にするように、辺りを見渡した。
「いいじゃないですか。ゴロゴロしながら映画を観るなんて、最高じゃないですか」
俺が予約した席は、いわゆるカップルシートと言われる席だった。
小さめのシアター内後方の席は、一つ一つが肘掛けで区切られた一般的な座席だったが、前方は二人がけ用になっていた。
ただ、座席は椅子になっておらず、まるでソファベットを倒したボックス席のようになっており、隣から見えないように低めの仕切りが設けられていた。
「いや、男二人でここは……」
「始まってしまえば、誰も気にしませんよ。ほら、始まるまでまだ時間もありますし。立ったままだと邪魔になりますから、座りましょ?」
俺は手に持っていたジュースとポップコーンバケットが置かれたトレイを、足元に設置された専用の置き場へ置くと、スーツの上着を脱いで寝っ転がると、思いっきり伸びをした。
「くぅー……。普段もスーツですけど、やっぱり着慣れていないスーツは肩が凝りますね。松田課長は、そうでもないですか?」
「いや……。私もさすがに疲れたよ」
俺が何も気にしていない様子のため馬鹿馬鹿しく思えたのか、松田課長は観念したようにスーツの上着を脱いで、俺の横に寝っ転がった。
「はい、松田課長。コーラで大丈夫ですか?」
「ああ。あっ、そういえばお金……」
俺が差し出したコーラを受け取った松田課長が、慌てて脱いだスーツの上着に手を伸ばしたため、俺は優しくその手に触れた。
「いいですよ。俺が誘って付き合ってもらっているんで。それに……俺、昔に一度、松田課長に奢って貰っているんですよ」
「えっ……?」
身に覚えがないといった様子で驚く松田課長に、俺は触れていた松田課長の手からそっと手を離した。
「松田課長は覚えていないと思いますけど……。俺が入社して半年後くらいですかね。俺、とんでもないミスしちゃって……。喫煙所で辞めよっかなってぼーっとしてたら、松田課長が缶コーヒー買ってきてくれて、わざわざ差し出してくれたんです」
「ああ、あのときの……」
(えっ……)
俺は思わず驚いて、寝っ転がっていた上体を起き上がらせてしまう。
「覚えていらっしゃるんですか……? だって、あんな……」
「忘れないよ。あんな神妙で思い詰めた表情していた大和くんを見たのは、あれが最初で最後だしね」
俺の頬に、松田課長が手を伸ばして触れてくる。
(嘘……)
まるで存在を確かめるように触れてきたその指先は、俺の身体を途端に熱くさせた。
「大きくなったねって言ったら、田舎のおじいちゃんみたいかな?」
おじいちゃんどころか、子どもが悪戯したときのように笑う松田課長に、俺の心は完全に奪われた。
(ああ。本当にこの人は……)
すると、映画開始のブザーが鳴り、照明がゆっくりと落とされていった。
俺は慌てて起こしていた上体を寝っ転がらせた。
すると、さっきよりも松田課長の顔が近くにある気がした。
「たしかに。暗くなってしまえば、周りの目は気にならないもんだね」
「えっ、ええ。お疲れでしたら、寝ちゃっても構わないですよ。なんなら、腕枕しますよ」
冗談のつもりで、俺は松田課長の頭の上まで腕を伸ばした。
「それじゃあ……。せっかくだし、してもらおうかな」
「えっ……?」
俺が驚くよりも先に、松田課長は俺の上腕辺りに頭を乗せてきた。
そして、頭を乗せただけでなく、俺の腕の太さと固さを確かめるように、松田課長は俺の腕に手で触れてきた。
「鍛えているんだね。思っていた以上にがっしりしてる……」
松田課長が不敵になんて笑うはずがないのに、俺を上目遣いで見つめてくる松田課長の顔が、なぜか俺にはそう見えた。
(うっ……)
予想もしていなかったことをされた俺に余裕なんて残されているはずもなく、気にしていないことを必死に装うため、まだ予告ばかりが続いて本編も流れていないスクリーンを、俺は黙って見つめることしかできなかった。