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第10話 本当は……縋って欲しかった

「どうぞ」


 俺は松田課長の代わりに玄関の扉を開けて、俺の腕に掴まる松田課長をゆっくりと玄関の中へと誘導した。


 そして玄関から一段高くなったところに、腰を下ろさせた。


「悪かったね。ここまで送ってもらっちゃって」


「い、いえッ……!」


(ここが松田課長のお宅……。しかも、一人暮らし……!)


 俺は緊張から、声が上擦ってしまう。


 映画館からまたタクシーに乗って辿り着いたのは、都内の高級住宅街に建つマンションだった。


 土地勘がないため、駅に近い物件なのかわからなかったが、タクシーの運転手さんに松田課長が伝えていた地名は、俺も知っている有名なものだった。


「それじゃあ、俺はここで……!」


 スマホで現在位置を調べれば帰れるだろうと、俺は松田課長に背を向けるが、スーツの裾を松田課長に掴まれてしまう。


「ここまで送ってもらったついでに、もう一つ頼み事をしてもいいですか?」


「えっ……?」


「これを花瓶に入れたいんです。けど、キッチンの一番高い棚に置いてあるから、見えないままで取り出すのが怖くてね」


(それって……俺が松田課長の家に上がるってこと……?)


 玄関まで入ったのなら、あとは一緒の気もするが、やはり靴を脱いで上がるのとはわけが違う。


 そう思った俺は、ふと、ある可能性に気が付いた。


「そ、そういえば! 予備の眼鏡とかあるんじゃないんですか?」


 今思い返せば、松田課長が今日つけていた眼鏡はいつもと違っていた。


 ということは、普段つけている眼鏡があるはずだ。


「いつもの眼鏡とは、今日お召しになっていたのとは違いますよね。だったら……」


 俺が言いかけたところで、突然、松田課長に腕を引っ張られてしまう。


「えっ……」


 俺は何が起こったのか理解できないまま、玄関の一段上がったところに腰と手をついてしまう。


「ここまで来て、それはないんじゃないですか?」


(ん……? ん……?)


 まるで俺を押し倒すように肩を押してきた松田課長は、靴のまま俺のお腹の辺りに跨ると馬乗りになってきた。


「大和くんの考えていることは、正直全く意味がわからないんです。本当はこうやって、私をお持ち帰りしたかったんじゃないんですか……?」


 松田課長は俺の手をとると、自分の頬に添えさせるように触れさせてきた。


「本当は慰めたいんじゃないんですか……? 高木に振られた私を……」


「松田課長……」


「君の目に、今の私はどんな風に映っているのでしょうか……。年をとったおじさんが、必死に慰めて欲しいと縋っているように見えるのでしょうか……。それなら滑稽ですね。ハハッ」


 まるで自暴自棄のように笑う松田課長の姿に、俺は胸が潰れそうなほど酷く締め付けられた。


「そんな風に笑わないでください!」


「えっ……?」


 俺は慌てて上体を起き上がらせると、松田課長を抱き締めた。


「本当は……縋って欲しかったんです。俺にだけ……高木課長への気持ちを打ち明けて欲しかったんです」


「やまとく……ん」


「けど、今の俺じゃ……そんなこともしてくれないだろうって……」


 俺は松田課長を強く抱き締めると、松田課長の肩が小刻みに震えたのを感じた。


「慰めて欲しいなら、俺が全力で慰めます。だから友達から……」


 俺が言いかけると、俺の言葉を遮るように松田課長の唇が重ねられた。


「友達からなんて、始められるわけないでしょう……」


 松田課長の目から、涙が一筋流れていった。


 その涙は、今日、松田課長を見つけたときに見た涙より、綺麗だと思った。


 俺は松田課長に顔を近づけると、唇で涙を拭っていた。

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