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56 新しいパスケース


★★★★★


 翌朝。

 通学路。


 いつもの時刻に、いつもの電車に乗る。



 ――ピッ!



 ただ、自動改札に交通系ICをかざす時に手が震えた。


 ……緊張、している。


 学校の最寄り駅の改札を出たところで、思わず足が止まる。

 いつもなら、さっさと鞄の前ポケットにしまい込むパスケース。

 でも、この手に馴染まない感じが、「あ、新しいヤツなんだ」という実感を与えてきて、……緊張する。


 昨日までのビビットなキングドルフィンじゃなく、淡いピンクのイチゴ柄。


 思わず、少し見入ってしまった。


「……初恋味じゃん」


 そんな声がして、思わず顔をあげると、戸塚さんがいた。

 制服のスカートを何度も折り返し超ミニにして、ベストの下のブラウスは袖も折って、長い茶髪をふわふわと揺らしながら通り過ぎていく。


 視線がぶつかると、「ちっ!」と舌打ちを鳴らして顔を背けられた。


 話しかけられたわけじゃ、ない……よね、そりゃ。


 あぁ、そういえば……りっちゃんも、欲しがってたっけ。



 わたしが初恋味のチョリッツに憧れていた頃、わたしの周りにはまだたくさんの友達がいて、戸塚さん――りっちゃんとも仲良しだった。

 よく二人で、「もらうならどこでがいい?」なんて妄想を膨らませて盛り上がってたっけ。


 わたしは教室がいいって言って、りっちゃんは体育館裏がいいって言ってた。

 意見が合わないね~なんて言ってたのに、二人とも「時間は夕焼けの時がいい」って意見が一致して。


 ……あの時は、よくおしゃべりしてたのにな。



 知らず、手に力が入る。


「おはよ、高名瀬さん」


 顔につられるように心が俯きかけた時、声を掛けられた。

 顔をあげると、自転車に乗った鎧戸君がいた。


「……おはよう、ございます」


 なんとか笑顔を作って挨拶をする。

 少し、気分が落ち込んでいたから、うまく笑えてないかも……


「あ、使ってくれてるんだ」

「……え?」


 鎧戸君がわたしの手の中を覗き込んできていて、そこに視線を向けると初恋味のチョリッツパスケースが握られていて、なんだか一気に昨日のことが思い起こされて……今度は違う意味でうまく笑えなくなった。


 ……待って。

 緊張する。


 わたしがこのパスケースを使っていると知ったら、鎧戸君はどんな顔をする?


 昨日のシミュレーションが順番に脳裏に浮かんでは消えていく。



『これは、違うんだよ! 他意はなくてね!?』

『高名瀬さんが嫌なら、今度、別のを買いに行こうね』

『使ってくれてるってことは……そういうこと、だよね?』

『僕も味わってみたいなぁ、甘酸っぱい初恋の味――』



 いや、待って!

 そこまでのことは考えてなかったはず!

 特に最後の!

 そんなの、全然鎧戸君っぽくないからね!?


「あぁ~、これさぁ。なんか、昔いろいろあったみたいだね」


 自転車から降りて、わたしに合わせて、同じ速度で歩く鎧戸君。

 やっぱり、帰りの車内でササキ先生から聞いたらしい。


「甘酸っぱい初恋味なんて、僕全然知らなかったよ~。高名瀬さんは知ってた?」

「え……えぇ、まぁ」

「そっかぁ。やっぱり女の子の方がそういうの詳しいよね~」


 にこにこ笑いながらも、微かに頬が赤く染まっている……ように、見えなくも、なく?

 少し照れたりしているんでしょうか?

 ……なんとも思っていない、とか?


 …………鎧戸め。


「高名瀬さんは嫌じゃなかった?」

「へ?」

「お前なんかからこんなのもらいたくなかったわー、とか」

「そんなこと思いませんよ」


 そう思うなら受け取っていませんし、そもそも、そんなことを思うような相手とどこかへ出かけたりなんかしませんよ、わたしは。


「よかった。じゃあ、今後も使ってね、そのパスケース」


 こ、れ……は…………どういう解釈、だろうか?


『高校生にもなって、そんな小学生がはしゃぐようなこと意識してんなよ』ということなのか……

『ちょっと特別な思いを込めておいたから、肌身離さず持っててくれると嬉しいな』ということなのか……


 由来を知って、なおわたしに持っていてほしいと明言するのは、つまりそれは、少なからずわたしに好意を抱いていると……そういう解釈で……


「もし誰かに何か言われて揶揄からかわれたら、『あいつ、わたしに惚れてんだよ~』って言っといていいから」

「い、言いませんよっ! ……それじゃ、自意識過剰なイタイ女みたいじゃないですか」


 ……心を見透かされたのかと思って、一瞬心臓がひしゃげましたよ。……もう。


 なんだか、思っていたのとはずいぶんと違う結果だけれど……

 鎧戸君らしいな。


「今度は下駄箱でソレを落としたりしてね」

「そうならないように、バッテリー残量には気を付けてくださいね」

「は~い」


 そんなとりとめもない会話をしながら学校までの短い距離を二人で並んで歩く。

 たったそれだけのことなのに、わたしの心を俯かせた重く沈んだ気持ちは、いつの間にかすっかりと消えてなくなっていた。


 本当に、不思議な人だなぁ、鎧戸君は。





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