さて、車を走らせ、
「着いた……!」
その家の前には、倍以上の敷地面積の庭があって、祖父は生前、そこで畑をやっていた。夏にはなす、きゅうり、トマト。枝豆も作っていた。秋にはじゃがいもやブロッコリー、キャベツ、白菜を植えて、野菜はたくさん採れればご近所にも配って歩いて、代わりに果物や米をもらったりしていたようだ。
幼い頃、近くを流れる沢で、祖父の作った夏野菜をキンキンに冷やして食べた記憶を思い出し、ため息が
「懐かしいな……」
畑があった場所も、庭も。なぜかちゃんと草が刈られていて、衛人はその風景を見て、すぐに当時を思い出すことができた。近くに住む親戚か、あるいは叔母が来て、衛人が住むから、と、草刈りをしてくれたのかもしれない。
「なんだかんだ言って、けっこう助けてくれるんじゃん。叔母さんたちも」
そんなひとり言をちょっとえらそうに口にして、車を降り、ぐーんと伸びをする。そうして、ポケットから鍵を取り出した。これは、祖父の家の鍵。父から手渡された、大事な鍵だ。だが、その鍵を握り、家の玄関に向かって、数歩歩きだした、その時だった。
「え――……?」
祖父の家の窓が、少し開いていることに気付いた。あの場所は、おそらく客間だろう。
「窓、開けてってくれたのかな……」
草刈りをしたついでに、閉めっぱなしではよくないと、換気するのに窓を開けておいてくれたのだろうか。だが、あまりに不用心だ。祖父の家は、まだ掃除も、遺品の整理もできていない。当然、家の中には金目のものも、まだ置いてある。今日、衛人が入って、ひとまず大まかな場所の掃除をする予定だったのだ。それを知っていて、窓だけを開けておくだろうか。
「変なの。まぁ、いいか」
ただ、それはあまり気にしなかった。父はともかく、叔母や親せきの多くが、この那須町に住んでいる。人口密度が高くないこの田舎町では、ちょっと窓が開いているからって、物騒だとは思わないのかもしれない。ただ、そう思いかけて、かぶりを振った。
「クマが入るかもしれないのは、気にしないのかな……」
そう呟いて、ぼんやりと家の外観を眺める。そうなのだ。この近辺には、昔からよくクマが出る。やはり窓が開いているのはおかしい。だが、そう思った、次の瞬間。
「……っ」
思わず、息を
「誰か、来てるのか……?」
今日、父にはなにも言われていない。この鍵を渡されたときも「じゃあ、大変だろうけど、頼んだぞ」と言われただけで、ほかに誰かが来るような話は聞いていなかった。近くだから、叔母が手伝いに来てくれているのだろうか。それにしては、今の人影は背丈が大きく、やや細かったような気がする。叔母はどちらかといえば、背は低く、ふくよかな体格をしているのに。
「えぇ……、なんなんだよ、もう……」
見間違いだと信じたい。だが、昭和ガラスの星屑をちりばめたようなノスタルジックな窓に、ゆらりと見えた人影は、見間違いではなかったはずだ。衛人はごく、と
どうしよう……。なんかいるのかな、こえぇ……。
幽霊か妖怪みたいなものだったら、百歩
ちょっと、タイム……!
衛人は一度、車まで戻り、考えに考えた。今、ひとりで家の中に乗り込むのは危険かもしれない。父か、叔母――あるいは、警察に連絡したほうがいいだろうか。しかし、すぐにかぶりを振った。見たのはほんの一瞬だったし、気のせいだという可能性もなくはない。たしかに見た、と思っても、本当にその姿を確かめるまでは、自信が持てなかった。
それに、大切な祖父の家を荒らしている誰かがいるとしたら、たとえ誰であろうと許しておけない。泥棒だとしても、クマだとしても同じだ。その姿をしっかりと確認したいという好奇心も手伝って、衛人は今一度、腹を決めた。そうして、助手席に投げてあった長傘を取り、再び玄関へ向かう。
こう見えても、衛人は高校、大学時代、バレー部の主将を務めていた。高校時代は「春の高校バレー」に出たこともある。学生時代に
「……よし」
なるべく音がしないように、抜き足、差し足、忍び足で、玄関口までたどり着き、鍵を取り出す。ガチャ、と音がして、鍵が開いた。緊張と恐怖で、心臓がバクバクと高鳴って、今にも吐きそうだ。だが、
「うぉらぁああーーーッ!」
無駄にデカい声を張り上げて叫び、玄関の戸を勢いよく開ける。こんな山奥で、一番近いご近所さんの家も数キロ先。屋根すら見えないのだから、これしきの奇声を発したところで、誰かに通報されることもない。こういうところだけは、田舎町は都合がいい。
家の中は、しん、と静まり返っていて、物音ひとつしなかった。しかし、さっきの人影を見たせいで、その静寂すら恐ろしく思えてくる。
「っしゃあ、おらぁあああッ!」
傘を肩に
「よし、クリア……!」
次は、居間だ。さっき昭和ガラスの向こうに見えた人影は、間違いなく居間の窓だった。間違いない。居間を
ちょっと待った……。なんでさっき、気付かなかったんだ……。あの窓が見えてるってことは、つまり、あそこの雨戸が開いてるってことじゃないか……。
たちまち、血の気が引いていく。そうなのだ。居間の窓は、雨戸が閉まれば外からは全く見えないようになっている。しばらくここへ来ていなかったので忘れていたが、あの窓が見えているのはおかしい。
衛人はまた、
人間かもしれない……。