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1-3

 やはり、泥棒だろうか。そう予想して、衛人は居間の引き戸に手をかける。そうして、さっきと同様に静かに息を吸って、渾身こんしんの力を込めてそこを開けた。


「おらぁああああッ!」

「ぎゃあああああッ!」


 怒鳴り声で叫んだあと、ほんのゼロコンマ数秒後に聞こえた悲鳴を聞いて、咄嗟とっさに傘の先を向ける。するどく尖った先端を向けた先は、畳の居間のすみ。そこには誰かがいる。小さくなってしゃがみ、肩を丸め、耳を抑えている、誰かが。


「す……、すみません……ッ、ごめんなさい……、ごめんなさい!」


 声から察するに男だった。男は、浴衣姿で小さく丸まったまま、ひたすらに謝っている。それを見て、衛人はまゆをしかめた。どうやら、相手に戦闘の意志はないようで安心したが、それにしても妙だ。彼がどこの誰なのか知らないが、ここにいるのは絶対におかしい。不法侵入者だ。


「あんた、誰だよ。ここでなにやってんの」


 衛人はたずねる。緊張と恐怖で、わずかに語尾がふるえたが、どうでもよかった。今、目の前にいる男が何者なのか。それをまず、確かめたかったのだ。


「すみません……、ほんとに、すみません……!」

「いや、すみませんじゃなくてさ。あんたは誰だって聞いてんだよ。答えろ」


 口にしてから、これだけ怖がって、謝罪している相手に対して、あまりに高圧的になってしまった――と、ほんの少し反省する。だが、それでも、彼が今、この家に不法侵入していることに変わりはない。そもそも、怖い思いをさせられたのはこっちのほうだ。


「あのさ、ここ、俺のじいちゃんちなのね。あんたは、じいちゃんの知り合い?」

「い、いえ……」


 それを聞くなり、苛立いらだった。祖父の知り合いでもないのに、なぜ、この家に勝手に上がり込んでいるのだろう。理由によっては、衛人は至急、この男を警察に突き出さなければならない。ここまでの会話から考えても、彼はどう見たって怪しい。だが――。


「あの、僕は――……」


 そう言いかけて、男が顔を上げた瞬間。衛人は目をみはった。薄暗い部屋の中でも十分にわかってしまうほど、その男は容姿が整っていた。髪が長いせいか、まるで、俳優かモデルのような華やかさがある。


 どうでもいいけど、すっげえ美形だな……。


「僕は……、ネコタセンリといいます……」

「ねこた?」

「あっ、ネ、ネコちゃんの猫に、田んぼです。センリは、漢数字の千と、里山の里で……」


 どうやら彼は、猫田千里というらしい。変わった名前だと思った。だが、そんなことはどうでもいい。この変な名前の男が偽名を使っていようと本名だろうと、とりあえず不法侵入者だ。


「ええと……、おじいちゃんちに勝手に入って、本当にすみませんでした……」


 ひたすらにぺこぺこと頭を下げる目の前の男を、衛人はじいっと見つめる。すると、千里の二重の瞳もまた、真っすぐに衛人を見つめた。筆で書いたような、切れ長の目尻が美しい。眼球は色素がやや薄く、その中に、ひまわりの花のような放射状の形が浮かんでいる。鼻すじはすっと通っていて高く、肌の色は、薄暗い部屋の中で見てもわかるほどに白かった。それなのに、体つきはやけに男らしく、筋肉質。


 年齢は見たところ、衛人よりも少し歳上に見えるが、それほど離れているとは感じない。彼はどこからどう見ても、非の打ちどころのない美形だった。だが、やはりその前に、不審者だった。


「あんた、秘密基地ごっこでもしてたわけ。ここで」


 とてつもない美形が、背中を丸めてしおらしく謝る姿を前にして、ひとまず、苛立いらだちはおさまっている。だが、不法侵入の理由を聞かなければならない。衛人は、職務質問をする警察官になったような気分で、千里の顔をのぞき込んだ。


「ねぇ、ここでなにしてたの。玄関も窓も、鍵かかってたはずなんだけど」

「あの、裏の――……。勝手口が、開いてましたんで……」


 思わずまゆを上げた。どうやら、そういうことらしい。勝手口を閉め忘れていた――とわかり、衛人は記憶を辿った。前回、ここへ来たのは葬式のあとだったはずだが、おそらく最後に戸締りの確認をしたのは父だったはずだ。しかし、それであってもやはり、鍵が開いていたからといって、それがよその家に入っていいというものでもない。


「あっそう。勝手口、開いてたんだ。でも、人んちでしょ。入っちゃだめでしょ」

「そうですね……」

「まさか、泥棒か?」

「いえ、違います! す、すみません……。あの、僕は住むところがなくて……、雨風がひどかったときに、あっちの勝手口が開いてたもんで、それでつい……」


 それを聞くなり、首をかしげる。今、言い訳がましく話す千里のセリフがまるで、生きる場所を人間に取られた、野生の動物の言い分のように聞こえたからだ。衛人はいた。


「あー……、あのさ、ごめん。先にいていいかな?」

「はい……」

「そもそも、君は人間なの?」


 衛人の問いかけに、千里は少しの間、ためらったが、すぐにこく、と頷く。衛人はあきれた。人間だとしたら、彼は要するに、山にむホームレスではないか。だが、こんな美しい容姿の男が、ホームレスで勝手に人の家に住んでいるなんて、やっぱり信じられない。衛人はもう一度いた。


「人間? ほんとか?」

「あの、人間なんですけど……。フツウの人間じゃなくってですね……」

「うん、そりゃそうだろうね」


 見ればわかる、と言わんばかりにそう言うと、千里はおずおずと話し出した。


「あ、あの……、僕、ハーフなんです……」

「ハーフ? なに、外人さんってこと?」

「いえ、えっと……。し、信じてもらえるかどうかはわからないけど……、お父さんが人間で、お母さんが仙狸せんりというあやかしなので……、僕はそのふたりの間にできた、ハーフなんです……」


 あやかし――。それを聞くなり、ほんの一瞬、思考が止まった。彼がなにを言っているのか、理解が追いつかなかった。


「あやかしって……、センリ……って、なに?」

「妖怪です……。ざっと説明しますと、魅力的な人間に姿を変えて、ですね……。その……、人間のせ、せ……、精気せいきを吸い取って暮らすという……」

「精気? あっ、もしかして、エッチなことする悪魔みたいなやつ?」

「そ、そうなんです、ご存知ですか……! 人間を襲って、エッチなパワーを吸い取って暮らす妖怪なんです!」

「知ってる、知ってる。聞いたことあるわ!」


 そう言いながら、その妖怪はセンリなんて名前じゃなかったような気がするし、そもそも西洋風の魔物みたいなやつだったような気もしたが、ひとまず、それは頭の片隅かたすみに追いやっておく。西洋の魔物だろうが、妖怪だろうが、今、それはどうでもいいことだ。


「いやぁ、嬉しいです。残念ながら、僕はあくまで半妖はんようなので、力は母に及びませんが――」

「じゃあさ……。つまりは君も、そういう気質があるってことなの……?」


 衛人はジトっと男を見つめてく。すると、男は慌てたようにかぶりを振って答えた。


「いいえッ、僕はハーフなので……! ちょっと力を受け継いでいるだけで、ほとんど人間と変わりません。フツウに食事をとれば、それで十分に暮らしていけます……」

「ふうん……。そんで? 人間とそんなに変わんないなら、なーんでこんな山奥で不法侵入してまで、ホームレスやってんの」

「えっと、ですね……。これには、ややこしいわけがあるんです……」


 深いため息をき、千里は話し出す。以前は父と母と、三人で東京に住んでいたこと。千里の体はほぼ人間でありながら、母である仙狸せんりの性質も受け継いでいること。そのため、無意識的に色香を漂わせ、性別関係なく、あらゆる人間を無差別的にきつけてしまい、いちいちトラブルになること。


 また、仙狸せんりというあやかしは、元は中国にいたらしいのだが、貿易等をおこなうようになってから、船で日本へ渡ってきたようだ。漢字では狸と書くが、日本にいる化け狸とは違い、どちらかというと、山猫に近いのだとも話してくれた。


「ふうん、山猫か……。でも、変だな。好きでもない人のことも、誘惑しちゃうわけ」

「はい……。たぶん、仙狸せんりとしての母の体質が遺伝しているんだと思います」

「なるほどね。……それで? 誰も誘惑できない、こんな山奥の、人口密度の低い町に逃げてきた、と」

「はい。でも、郊外といっても、やっぱり街中に出ると大変で……。人をけて、逃げ続けた結果、誰もいないこの集落のはずれまで来て、ようやく楽になったんです。好きでもない人と関係を持つなんて、僕にはとてもとても……」

「それがホームレスになった理由か……」

「はい。仕事も、それのせいでうまくいかなくて……。辞めてしまいました」


 千里がそう言って、へらへらと笑う。その能天気さに、衛人はまゆを上げた。


「おおい、それでどうやって生きてくんだよ。そこまで人生うまくいかないなら、もう両親に泣きつきゃいいのに」

「それはできません……」

「なんで」

「母は、少し前に亡くなりましたから。猫にふんして、夜道を歩いていて、車の事故にってしまって……。父さんも、もうずいぶん前に病で……」


 千里は悲しそうに目をせて、肩を落としている。それを見れば、特殊な体質で生まれ、人間社会から浮いてしまい、かと言ってあやかしにもなれず、天涯孤独な生活を送っていることが伝わってきた。きっと、彼が今、言葉にした「少し前」というのも、本当に少し前なのかもしれない。

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