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1-4

「そうなんだ……。大変だったんだな」


 衛人がそう言うと、千里は顔をせたまま、こく、と頷いた。とりあえず、彼が悪人ではない、ということだけはわかって、衛人はホッとため息をく。そうして、今一度、彼を見つめた。


 不法侵入をしたホームレスというだけで、明らかに不審者ではあるのだが、このまま追い出すのは心苦しい。半妖だということも、嘘か本当かもわからないが、社会に馴染なじめず、どこにも行けないで、こんな山奥の古い家にひとりで住むしかなくなっている彼を、衛人はひどく気の毒に思った。そうして、命を終えるまで、この家にひとりで住んでいた、ちょっとへんくつで、頑固者の祖父に、どこか似通にかよったものを感じてしまった。衛人は言う。


「まぁ……、この家、もうすぐ俺が住むようになるから。面倒起こさないって約束するなら、いてもいいけどさ――」

「ええぇっ! ほ……、本当ですか!」


 衛人の言葉に、千里は即座に反応して、衛人に駆け寄り、手を取った。切れ長の目にきらめきが見え、頬がぽうっと赤らんでいくのを間近にして、衛人は思わず目をらす。


「あぁ、うん……」


 まずい。危ないところだった……。一瞬、可愛いって思いそうになった……。


「嬉しいです、ありがとうございます……! 僕、なんでもしますから!」


 言ってしまった手前、少しだけ後悔する。自らを半妖だと名乗る、得体の知れない男を、父にも叔母にも断らずに、この家へ住まわせてしまっていいものだろうか、と。


 そもそも、冷静になって考えてみれば、人間と妖怪のハーフだなんて、この世の中にそんなものがいるなんて、ちょっと信じられない。ただ、それでも澄んだ瞳で、真っすぐに衛人を見つめる千里を前にして、衛人は彼が嘘をいているとは思えなかったし、彼の人間離れした魅力も、わずらわしいほどに感じていた。


 見れば見るほど、千里は綺麗だった。それこそ、ちょっと怖くなるような、妖艶ようえんさがあったのだ。ただし、だからこそ。ひとつ、気になることがあった。


「千里、いっこだけ気になるんだけどさ」

「はい」

「千里が俺を誘惑しちゃうってことはないの?」

「どうでしょう……。僕も、誘惑しようと思ってやってるわけじゃないし……」

「いや、そうかもしんないけど。性別関係なく、誰でも効いちゃうんだろ、その能力。なら、俺だって可能性はあるじゃん」


 千里の話が本当なら、彼は無意識的に誰彼かまわず、人間を誘惑してしまうということになる。好きでもないのに、相手が体の関係をせまるほどに、魅了してしまうということだ。すなわち、それは相手が衛人であっても、例外ではない。


「たしかに……。でも、そのときは、もうどうしようもありませんから……」


 衛人の問いかけに、千里は静かに答えた。だが、その表情は堅い。それまでとは一変した、その表情のせいで、衛人はわけもなく緊張した。


「どうしようもないって……」

「僕の色香に、あなたがかかってしまったら……。そのときは、僕を――……」

「僕を……?」

「僕を、好きに抱いていただいてけっこうです!」

「え――?」


 想定外の答えが返ってきて、衛人は目をぱちくりさせたまま、硬直した。そうして、彼の言葉を反芻はんすうする。だが、やはりイマイチ理解が追いつかなかった。


「ごめん……、どういうこと?」

「ですから、僕を抱くなり、もてあそぶなり、好きなようにしてもらっていいです……。このお家に居させてもらえるのですから。その代償にさせてください……」

「いや……、あのさ――」

「むしろ、足りるでしょうか……。もし足りなかったら、足りるまでどうぞ、お好きに……」


 衛人はまた目をぱちくりさせる。言葉が出なかった。「どうぞ好きにしてください」と言われても、「じゃあ遠慮なく」とはいかない。そもそも、それでは本末転倒な気がしてくる。彼をここに居させてやる意味がない。


「僕の気持ちなんか、気になさらないでくださいね。あ、もちろん精気は吸わせてもらえなくても――」

「いや、いやいやいや。ちょっ、ちょっと待ってよ」


 衛人は慌てて千里の言葉をさえぎった。これが半妖の感覚なのかどうかは知らない。だが、好きでもない相手との行為をこばんで、ここへ逃げてきたのに、いくら代償だとしても、衛人に体を許してしまうのはいかがなものだろう。衛人はあきれて、千里の頭をポンポン、とでる。


「あのさぁ……、気持ちはわかるんだけど。あんた、もっと自分を大切にしろよ……」

「自分を……、大切に……?」

「そう。せっかく、その体質のわずらわしさから解放されたんだろ? 千里の問題は、俺もどうやって解決してやったらいいかわかんないけどさ、そういうことは、ちゃんと好きな相手としたほうがいいよ」

「でも……」

「じゃないと、変に傷ついて引きずるぞ」


 千里にそう言いながら、胸の奥がチクリと痛む。べつに、好きでもない相手との行為なんか、衛人には経験がない。けれど、思いがけずおかしな傷つき方をして、過去を引きずってしまうことも、そのわずらわしさも、痛いほどにわかるのだ。衛人は同時に、硬くふたをしたはずの嫌な記憶を思い出し、はあっと息を吐いた。


「まぁ……、この家は広いし、寝室は分けられる。それに俺は幸い、色恋沙汰にも、エロいことにも興味ないほうなんだ」

「そうなんですか……。でも――」

「大丈夫。現に今、お前をどうしたいかなんて、これっぽっちも考えてないし。絶対好きになんないから、安心しな」

「はい……」

「そうだ、俺の名前、言ってなかったよな。俺、春川はるかわ衛人えいと。よろしくな」

「春川さん……」

「衛人でいいよ」


 そういうわけで、衛人はこの十日間、このおかしな半妖、猫田千里との奇妙な共同生活をすることになった。ただ、そのとき、頭を深々と下げて礼を言った千里は、なぜか途方もなく寂しそうで、衛人はそれがほんの少しだけ、気になった。

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