「そうなんだ……。大変だったんだな」
衛人がそう言うと、千里は顔を
不法侵入をしたホームレスというだけで、明らかに不審者ではあるのだが、このまま追い出すのは心苦しい。半妖だということも、嘘か本当かもわからないが、社会に
「まぁ……、この家、もうすぐ俺が住むようになるから。面倒起こさないって約束するなら、いてもいいけどさ――」
「ええぇっ! ほ……、本当ですか!」
衛人の言葉に、千里は即座に反応して、衛人に駆け寄り、手を取った。切れ長の目にきらめきが見え、頬がぽうっと赤らんでいくのを間近にして、衛人は思わず目を
「あぁ、うん……」
まずい。危ないところだった……。一瞬、可愛いって思いそうになった……。
「嬉しいです、ありがとうございます……! 僕、なんでもしますから!」
言ってしまった手前、少しだけ後悔する。自らを半妖だと名乗る、得体の知れない男を、父にも叔母にも断らずに、この家へ住まわせてしまっていいものだろうか、と。
そもそも、冷静になって考えてみれば、人間と妖怪のハーフだなんて、この世の中にそんなものがいるなんて、ちょっと信じられない。ただ、それでも澄んだ瞳で、真っすぐに衛人を見つめる千里を前にして、衛人は彼が嘘を
見れば見るほど、千里は綺麗だった。それこそ、ちょっと怖くなるような、
「千里、いっこだけ気になるんだけどさ」
「はい」
「千里が俺を誘惑しちゃうってことはないの?」
「どうでしょう……。僕も、誘惑しようと思ってやってるわけじゃないし……」
「いや、そうかもしんないけど。性別関係なく、誰でも効いちゃうんだろ、その能力。なら、俺だって可能性はあるじゃん」
千里の話が本当なら、彼は無意識的に誰彼かまわず、人間を誘惑してしまうということになる。好きでもないのに、相手が体の関係を
「たしかに……。でも、そのときは、もうどうしようもありませんから……」
衛人の問いかけに、千里は静かに答えた。だが、その表情は堅い。それまでとは一変した、その表情のせいで、衛人はわけもなく緊張した。
「どうしようもないって……」
「僕の色香に、あなたがかかってしまったら……。そのときは、僕を――……」
「僕を……?」
「僕を、好きに抱いていただいてけっこうです!」
「え――?」
想定外の答えが返ってきて、衛人は目をぱちくりさせたまま、硬直した。そうして、彼の言葉を
「ごめん……、どういうこと?」
「ですから、僕を抱くなり、もてあそぶなり、好きなようにしてもらっていいです……。このお家に居させてもらえるのですから。その代償にさせてください……」
「いや……、あのさ――」
「むしろ、足りるでしょうか……。もし足りなかったら、足りるまでどうぞ、お好きに……」
衛人はまた目をぱちくりさせる。言葉が出なかった。「どうぞ好きにしてください」と言われても、「じゃあ遠慮なく」とはいかない。そもそも、それでは本末転倒な気がしてくる。彼をここに居させてやる意味がない。
「僕の気持ちなんか、気になさらないでくださいね。あ、もちろん精気は吸わせてもらえなくても――」
「いや、いやいやいや。ちょっ、ちょっと待ってよ」
衛人は慌てて千里の言葉を
「あのさぁ……、気持ちはわかるんだけど。あんた、もっと自分を大切にしろよ……」
「自分を……、大切に……?」
「そう。せっかく、その体質の
「でも……」
「じゃないと、変に傷ついて引きずるぞ」
千里にそう言いながら、胸の奥がチクリと痛む。べつに、好きでもない相手との行為なんか、衛人には経験がない。けれど、思いがけずおかしな傷つき方をして、過去を引きずってしまうことも、その
「まぁ……、この家は広いし、寝室は分けられる。それに俺は幸い、色恋沙汰にも、エロいことにも興味ないほうなんだ」
「そうなんですか……。でも――」
「大丈夫。現に今、お前をどうしたいかなんて、これっぽっちも考えてないし。絶対好きになんないから、安心しな」
「はい……」
「そうだ、俺の名前、言ってなかったよな。俺、
「春川さん……」
「衛人でいいよ」
そういうわけで、衛人はこの十日間、このおかしな半妖、猫田千里との奇妙な共同生活をすることになった。ただ、そのとき、頭を深々と下げて礼を言った千里は、なぜか途方もなく寂しそうで、衛人はそれがほんの少しだけ、気になった。