翌日――。気を取り直して、衛人は二人分の朝ごはんを作る。作ると言っても簡単なものだ。白飯を炊いて、味噌汁を作り、目玉焼きを焼く。味噌汁の具は玉ねぎとおかか。目玉焼きは半熟だが、食べやすいように少しだけ硬めにした。
「いただきます!」
「いただきます。味噌汁、しょっぱかったらごめんな」
「いえ、……おいしいです」
「よかった」
座卓を囲んで、千里と朝ごはんを食べていると、なんだか不思議な気分になる。まだこの家に来て、たった二日目だというのに、まるでこの家で暮らす家族になったように感じる。
特段、べらべら話すわけでも、冗談を言い合うわけでもなく、少し言葉を交わして、互いに黙り、目が合うと頬が
昨日の夕方、千里に過去のトラウマを話してから、少しだけ心が軽くなったような心地がしていた。不思議だが、ずっとつけていた
千里は、誰かを好きになることってないのかな……。
朝食をとりながら、衛人はそんなことを考えてみる。半妖だといっても、その半分は人間なわけだ。ついでに言えば、彼の母親は人間と恋をしたわけだから、千里だって恋をしないとも限らないし、彼は夕べ、「興味が湧いた人間に触れると、感情が流れてくる」と言った。つまり、彼は少なからず、衛人に対して、なにかしら興味があるということだ。
「なぁ、千里」
「はい?」
「千里は今まで、誰かを好きになったことあんの?」
それを
「誰かを好きになったことか……、ないですね」
「一度も?」
「はい。幼い頃から、どうも人間の中には
「でも……、なに?」
「いえ、なんでもありません……」
そう言ったあと、千里はため息を
「千里、どうした? 急にしょぼくれて」
「いえ……。恋をするのって、すごく大変なんだなと思って……。僕は今まで、一度もそういう気持ちになったことがないので……、てっきり、もっとキラキラしているものかと……」
「あぁ……」
千里が今、言ったのは、たぶん、夕べの衛人の過去話のことだ。たしかに、衛人の初恋の思い出は、キラキラしたところなんかひとつもない。――いや、失恋するまではあった。だが、失恋と同時に、絶望感に襲われた。それからはずっと心が重くて、苦しくて、痛かった。
「悪かったな。たぶん、俺みたいな経験する人はそういないから。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」
「そうですか……」
「好きな人と両想いになるって、たぶん、すごい幸福感だぞ。俺は味わったことないけど」
「僕も味わってみたいです」
「だったら、少しでも街中に行って、人と会ったほうがいいよ」
そう言ったあと、千里はまた黙った。なにか気に
なんて目をするんだよ……。
切れ長の澄んだ瞳が、どこか
「いえ。僕はここのほうがいいです。ここにいると、安心します」
それを聞くなり、また
この感情はまやかし。妖力にあてられているだけ。そして、千里の視線や言葉に、心を
「千里……」
「はい」
返事をされただけなのに、猛烈な期待感に襲われた。
「今日はさ、庭仕事をしたいんだ。悪いんだけど、また手伝ってくれる?」
ひとまず、この雰囲気をどうにか抜け出したくて、衛人は話題を変えた。千里はぱあっと目を輝かせて、頷く。そうして食べ終わった皿を片付けてくれた。
「それじゃ、ここの後片付けは僕がやりますね」
「ありがとう。俺は食後のお茶でも入れようかな。千里も飲む?」
「はい、いただきます。ありがとうございます」
嬉しそうな笑顔で、千里は座卓の上を片付けながら、鼻歌を唄い出す。たくましい男の背中を眺めながら、衛人は
まやかしだって、わかってるのに……。俺は本当にだめだな……。
***
食後のお茶を済ませたあと、衛人は身支度をする。この家から、車で十五分ほどの場所に、この町で唯一のホームセンターがあるのだ。そこで、庭仕事に必要なものを買わなければならない。――といっても、幸い、祖父が長年使っていたものが納屋にあるので、だいたいのものはそれを使える。スコップや鎌、軍手。土を掘り起こすクワや、土をならすためのレーキまである。
祖父は最後の最後まで、この納屋を使っていたのだろう。工具や庭仕事の用具はすべてきれいに片付いていたし、どれもちゃんと手入れをしてあった。さびているものはほとんどなかった。今日、買わなければならないのは、植物の苗だ。
「お庭になにを植えるんですか? 野菜?」
「いや。夏野菜を植えるには、ちょっともう時季が遅いんだ。でも、なにか植えておかないと、雑草が生えるばかりで大変だから。雑草対策に、花を植えておくんだよ」
「へえ、お花……」
千里の瞳がきらりと輝いたのを、衛人は見逃さなかった。きっと、興味があるのだろう。
「花、一緒に選びにいく?」
「行きたいです……。でも、僕が行くと、きっと衛人さんに迷惑をかけます……」
「大丈夫だよ。俺のそばに、ずっと一緒にいればいいから」
衛人は、ちょっと男らしさを見せて、平然とそう言ってみせる。長年続けていたバレーのおかげで、体はそれなりに
「行こうよ、千里。変なやつが来たら、俺がちゃんと守るから」
そう言うと、千里は嬉しそうに頷いた。