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3 ポーチュラカ

 翌日――。気を取り直して、衛人は二人分の朝ごはんを作る。作ると言っても簡単なものだ。白飯を炊いて、味噌汁を作り、目玉焼きを焼く。味噌汁の具は玉ねぎとおかか。目玉焼きは半熟だが、食べやすいように少しだけ硬めにした。


「いただきます!」

「いただきます。味噌汁、しょっぱかったらごめんな」

「いえ、……おいしいです」

「よかった」


 座卓を囲んで、千里と朝ごはんを食べていると、なんだか不思議な気分になる。まだこの家に来て、たった二日目だというのに、まるでこの家で暮らす家族になったように感じる。


 特段、べらべら話すわけでも、冗談を言い合うわけでもなく、少し言葉を交わして、互いに黙り、目が合うと頬がゆるむ。昨夜、夕飯を一緒にとったときも、こんな感じだった。千里との時間は、とても穏やかで、あたたかくて、ホッとする。そしてときどき、つやめきを見つけてしまう。


 昨日の夕方、千里に過去のトラウマを話してから、少しだけ心が軽くなったような心地がしていた。不思議だが、ずっとつけていたかせが外れたような、そんな感覚があるのだ。衛人は自覚している。もう、恋はしないはずだった。色恋沙汰は苦手だった。千里の誘惑に当てられないように気張きばるはずだった。それなのに今、二日目にして千里にかれている。困ったものだ。ただ、相手が人間ではないということを思えば、これは不可抗力だ、とも言い訳できた。


 千里は、誰かを好きになることってないのかな……。


 朝食をとりながら、衛人はそんなことを考えてみる。半妖だといっても、その半分は人間なわけだ。ついでに言えば、彼の母親は人間と恋をしたわけだから、千里だって恋をしないとも限らないし、彼は夕べ、「興味が湧いた人間に触れると、感情が流れてくる」と言った。つまり、彼は少なからず、衛人に対して、なにかしら興味があるということだ。


「なぁ、千里」

「はい?」

「千里は今まで、誰かを好きになったことあんの?」


 それをくだけで、緊張してくる。しかし、それを悟られないように、必死に平常心をよそおった。千里にかれていると、気付かれてしまったら、おそらく彼はこの家を去ってしまう。だから、なにがあっても悟られるわけにはいかない。もっと言えば、今後は彼に安易に触れられるわけにもいかなかった。


「誰かを好きになったことか……、ないですね」

「一度も?」

「はい。幼い頃から、どうも人間の中には馴染なじめなくって。でも……」

「でも……、なに?」

「いえ、なんでもありません……」


 そう言ったあと、千里はため息をらし、そのまま黙ってしまった。味噌汁を飲み干し、白飯をたいらげても、下を向いたまま、なにやら元気をなくしている。


「千里、どうした? 急にしょぼくれて」

「いえ……。恋をするのって、すごく大変なんだなと思って……。僕は今まで、一度もそういう気持ちになったことがないので……、てっきり、もっとキラキラしているものかと……」

「あぁ……」


 千里が今、言ったのは、たぶん、夕べの衛人の過去話のことだ。たしかに、衛人の初恋の思い出は、キラキラしたところなんかひとつもない。――いや、失恋するまではあった。だが、失恋と同時に、絶望感に襲われた。それからはずっと心が重くて、苦しくて、痛かった。


「悪かったな。たぶん、俺みたいな経験する人はそういないから。そんなに怖がらなくても大丈夫だよ」

「そうですか……」

「好きな人と両想いになるって、たぶん、すごい幸福感だぞ。俺は味わったことないけど」

「僕も味わってみたいです」

「だったら、少しでも街中に行って、人と会ったほうがいいよ」


 そう言ったあと、千里はまた黙った。なにか気にさわっただろうか、と衛人は顔を上げる。だが、その時。千里の瞳にとらわれた。じっと見つめられて、衛人はごくん、と生唾なまつばを飲む。


 なんて目をするんだよ……。


 切れ長の澄んだ瞳が、どこかはかなく、寂しそうな眼差まなざしで、真っすぐに千里を見つめている。それだけで、衛人は錯覚しそうになった。今、もしかしたら千里に求められているかもしれない――。もしくは、欲情されているかもしれない――と。


「いえ。僕はここのほうがいいです。ここにいると、安心します」


 それを聞くなり、またあきれるほどに期待してしまう。自分に都合のいい憶測をして、彼に好意を向けられているのではないか、と勘違いしそうになる。だが、そうして浮ついてしまいそうになる気持ちを、衛人は必死に押し殺した。


 この感情はまやかし。妖力にあてられているだけ。そして、千里の視線や言葉に、心をとらわれたとしても、それらに特別な意味はない。しかし、そうだとわかっているのに、こんなにも感情がたかぶるのはどうしてなのだろう。思えば、夕べよりも、この欲望と執着に似たような感情は、うんと強くなっている気がする。


「千里……」

「はい」


 返事をされただけなのに、猛烈な期待感に襲われた。漠然ばくぜんとした期待と、腹の奥がうずくような気持ちに狂わされそうになる。だが、衛人は必死に押し殺した。すべては、千里のそばにいるために。


「今日はさ、庭仕事をしたいんだ。悪いんだけど、また手伝ってくれる?」


 ひとまず、この雰囲気をどうにか抜け出したくて、衛人は話題を変えた。千里はぱあっと目を輝かせて、頷く。そうして食べ終わった皿を片付けてくれた。


「それじゃ、ここの後片付けは僕がやりますね」

「ありがとう。俺は食後のお茶でも入れようかな。千里も飲む?」

「はい、いただきます。ありがとうございます」


 嬉しそうな笑顔で、千里は座卓の上を片付けながら、鼻歌を唄い出す。たくましい男の背中を眺めながら、衛人は微笑ほほえんだ。千里が可愛くて、愛おしくてたまらない。ドクン、ドクン――と高鳴る胸の鼓動を感じながら、衛人はわずかに、笑みをこぼす。


 まやかしだって、わかってるのに……。俺は本当にだめだな……。



***



 食後のお茶を済ませたあと、衛人は身支度をする。この家から、車で十五分ほどの場所に、この町で唯一のホームセンターがあるのだ。そこで、庭仕事に必要なものを買わなければならない。――といっても、幸い、祖父が長年使っていたものが納屋にあるので、だいたいのものはそれを使える。スコップや鎌、軍手。土を掘り起こすクワや、土をならすためのレーキまである。


 祖父は最後の最後まで、この納屋を使っていたのだろう。工具や庭仕事の用具はすべてきれいに片付いていたし、どれもちゃんと手入れをしてあった。さびているものはほとんどなかった。今日、買わなければならないのは、植物の苗だ。


「お庭になにを植えるんですか? 野菜?」

「いや。夏野菜を植えるには、ちょっともう時季が遅いんだ。でも、なにか植えておかないと、雑草が生えるばかりで大変だから。雑草対策に、花を植えておくんだよ」

「へえ、お花……」


 千里の瞳がきらりと輝いたのを、衛人は見逃さなかった。きっと、興味があるのだろう。


「花、一緒に選びにいく?」

「行きたいです……。でも、僕が行くと、きっと衛人さんに迷惑をかけます……」

「大丈夫だよ。俺のそばに、ずっと一緒にいればいいから」


 衛人は、ちょっと男らしさを見せて、平然とそう言ってみせる。長年続けていたバレーのおかげで、体はそれなりにきたえられているものの、それはただ、バレーが上手くできるだけで、喧嘩が強いわけではない。だが、千里にいいところを見せたいし、想い人に頼られるのは悪い気分でもなかった。


「行こうよ、千里。変なやつが来たら、俺がちゃんと守るから」


 そう言うと、千里は嬉しそうに頷いた。

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