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3-2

 衛人は千里にも支度をさせてから、助手席に乗せ、ホームセンターへ向かった。彼の浴衣姿は、美しくつやっぽくもあって魅力的だが、胸元はすぐはだけるし、足下もひらひらとめくれて心許こころもとない。あまりに肌の露出が多すぎるのだ。


 これでは、妖力がなかったとしても、無差別的に誰彼だれかれ構わず、彼を目にした人をすべて恋に落としてしまいそうだ。衛人はひとまず、自分の服を千里に貸してあげてから、帽子を被せた。


 田舎のホームセンターの客入りは意外なほどあった。きっと近年、この那須高原一帯に、キャンプ場やグランピング施設が急増したせいだろう。祖父の家の辺りは標高の高い場所で、お隣さんとは数キロ離れているので、野生動物に遭遇しても、人に会うことはほとんどないが、少し山道を下りれば、通りはすぐににぎやかになる。


「さぁ、着いた。行こう」


 衛人は千里と連れ立って、ホームセンターの苗売り場を回った。そこで、夏の一年草の苗を大量に購入する。べつにしゃれたものでなくていい。地をうように広がる、植物の一年草を植えれば、庭の雑草取りの仕事はうんと減るはずだ。これは生前、祖父が教えてくれたことだった。


「ポーチュラカにしよう。色とりどりで綺麗だし。よく広がってくれるんだ」

「うわぁ、可愛い……!」


 そう言って、千里は嬉しそうにポーチュラカの苗を選んでは、カートの中へ入れていく。衛人はそんな彼に見惚れながら、カートを押した。想い人が、自分のTシャツを着てはしゃいでいるのを見るのは、いい気分だ。まるで、彼とデートをしているような気分になる。


 やっぱり、千里って本当に可愛いな……。


 恋人気分でぼんやりしたまま、苗を買い、愛車に積んでいく。だが、その途中。衛人がほんの一瞬、目を話したすきに、衛人は異変に気付いた。今さっきまでここにいたはずの千里の姿が、忽然こつぜんと消えているのだ。


「あれ……。千里……?」


 見れば、少し離れた場所に停まっている車の近くで、千里が声をかけられていた。相手は体格のいい中年の男だ。雰囲気から察するに、たぶん、あれはナンパだろう。


「千里……!」

「あっ、衛人さん!」

「なんだ、しけた連れがいんのかぁ」

「いや、見ればわかるでしょう、一緒にいたんだから。千里、おいで」


 しけた連れ、と言われたのはしゃくだが、それには反応しないで、衛人は千里の手を取って引き、強引にその場を離れ、車に戻る。そうして、彼を助手席に乗せてから、運転席に乗り込んで、鍵をかけた。


 千里の手に触れてしまった、ということに気付いてはいたが、あの場ではそうするほかにどうしようもなかった。秘めた想いに気付かれ、千里が衛人から離れていってしまうとしても、ここでわけのわからない中年男にさらわれるよりはずっといい。


「すみません……。ちょっと道をきたいと言われて、ついていったら、車に乗って、案内してって言われちゃって……」

「え……!」

「ちょうど、衛人さんが助けにきてくれて、よかったです」


 そんなことが、あのわずかな時間に起こっていたとは驚いた。目を離したのは、本当にほんの一瞬だったのだ。しかし、そのわずかな時間で人をきつけてしまうなんて、それだけ彼の妖力が強いということなのかもしれない。


 衛人は考えがちょっと甘かったことを猛省しながら、ハンドルを握り、アクセルを踏む。今はこの場からさっさと脱出して、家に戻りたかった。一分、一秒でも早く、千里を安全な場所に隠しておきたくなったのだ。ただし、その一方で同時に緊張もしていた。


「千里、ごめんな。守るとか言って、ちゃんと見ててやれなくて……」

「いえ、衛人さんは助けに来てくれました。それに、手を引いてくれて……。僕、嬉しかったです……」

「あぁ、うん……。まぁ、何事もなくてよかったけど」


 照れくさいあまりに、口調がぶっきらぼうになってしまったのを悔やんだ。だが、さっき彼の手に触れてしまった手前、これ以上動揺を見せるわけにはいかない。今、この気持ちをなんとかして隠さなければ、千里は今夜にもいなくなってしまうかもしれないのだから。


 衛人は不安に駆られながら、「千里」と彼を呼んだ。千里は振り向き、衛人を見つめる。たとえ、ここで別れがきたとしても、衛人はそれを確かめずにはいられなかった。


「この前さ。興味を持った人に触れると、その人の感情が流れてくるって言ってたよね」

「はい」

「それ、さっき手を繋いだときにも、なにかわかった……?」

「それはえっと……、慌てていたので、あんまり……」

「そっか」


 その返事に、ひとまずはホッと安堵あんどする。どうやら、気が動転していたせいで、千里にはそんな余裕はなかったようだ。


「なにか、考えごとでもしてたんですか?」

「ううん、べつに……」


 短い返事のあと、千里はもうなにもかなかった。


***


 そのまま車を走らせ、真っすぐ家へ戻った衛人は、千里と一緒に庭の土を耕し、たい肥を入れる。そうして、そこへ買ってきたポーチュラカを庭に植えていった。辺り一面、赤、ピンク、黄色、オレンジ、白の小花。色とりどりの花が地面をおおい、庭は見違えるほどに華やかになった。


「綺麗ですねえ……」

「だな」

「僕、こんなにきれいなお花畑を見たのは、はじめてです」


 ポーチュラカの花は、本当に可愛らしく、綺麗だ。ひとつひとつの花は小さいが、一株から黄色やピンク、白や赤など、さまざまな花色が出て、地面をおおうように広がっていくので、どこかメルヘンチックな雰囲気がある。


 この花は、祖父が生前、よく庭に植えていた花だった。夏休みに遊びに来ると、ここに必ずこの花と夏野菜が一緒にここへ植わっていて、その風景は衛人にとって、夏の風物詩になっていた。


「懐かしいな……。昔、よくじいちゃんが植えてたんだよ。夏になると、必ずこの花でさ」


 衛人は井戸水を引いている蛇口に、ホースのジョイント部分をめると、シャワーヘッドの先を思いきり伸ばして、植えたばかりのポーチュラカの根元に水をいていく。


「おじいちゃんは、この花が好きだったんですね」

「そうかもね」

「僕、おじいちゃんにも、会ってみたかったです」


 千里がそう言って、衛人はくくっと笑う。もし、祖父が今もピンピンしていたら、千里はこの家へは絶対に入ってこれなかったし、こっそり入ろうものなら、もれなく警察に突き出されていただろう。それを言うと、千里は目を細め、ひとしきり笑った。


 衛人はいつまでも笑っている彼に、わざとシャワーで水をかけてやる。すると、千里は幼い子どものようにはしゃいだ。履いていた靴を放り投げ、裸足になって、そこらを駆け回った。


 本当に不思議だな、千里は……。俺より五歳も上なのに、子どもみたいな顔ではしゃいで、そうかと思えば、急に色っぽい表情をして、俺を慰めたりもするんだから……。


「あぁ、もう……。すごい濡れちゃった。でも、冷たくてきもちいや……!」


 濡れた長い黒髪をき上げて、千里は笑う。濡れた服のすそをぎゅっとしぼり、またわざと水を被りにくる。衛人はそんな彼にまた見惚れた。


 照る太陽の下で、水を浴びながら、色鮮やかなポーチュラカの花に囲まれて笑う彼の笑顔は、彼を取り巻くどんなものよりも、つややかにきらめいていた。目の前にはたくさんの色が溢れているのに、衛人の心の中は、すでに千里一色だ。


 あぁ、お手上げだ……。これじゃ、気付かれるのは時間の問題だろうな……。

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