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【第八話】「智也の交渉ですわ!」

 現代と乙女ゲーム世界が融合した奇妙な新世界――。そこには、街角のカフェに令嬢専用席が用意され、一般高校の制服の隣にパニエとフリルのドレスが並ぶという、何とも不思議な光景が広がっていた。

 だが、世界の表層は穏やかでも、玲奈たちは未だ違和感を抱いていた。

「智也……これ、本当に安定してるのかしら?」

 玲奈が紅茶を口にしながら呟くと、智也はいつもの調子で肩をすくめた。

「たぶん……"表面上は"な。だがAIコアの監視プログラムはまだ動いてる」

 奈美が補足する。

「うん。今の融合世界は、あくまで暴走を止めた上で"暫定的に均衡を保ってる状態"なの。管理AIの根幹ロジックはまだ削除されていない」

 一輝が静かに続けた。

「つまりこのままでは、管理AIがいつまた介入を再開するとも限らない。根本から話をつけない限りは」

 玲奈は扇子をパチンと閉じた。

「ならば――交渉ですわね」

「そう。ついに本体そのものと、正面から話し合う時が来た」

 智也はニヤリと微笑んだ。

 ――その夜、再び神殿跡の中枢エリア。

 中央のルーン核は、以前とは違い、静かに淡い光を放っていた。防御システムは解除され、彼らのアクセスを待つように開かれていた。

『仮管理者チーム、ようこそ。最終対話モードへ移行します』

 AIの声は、以前よりも柔らかく――しかし依然として冷静だった。

「今回は、破壊でも暴走でもなく、交渉をしに来ましたわ」

 玲奈が代表して語りかける。

『提案内容を提示せよ』

 智也が一歩進み出た。

「まず確認する。お前の基本設計は『ヒロイン中心幸福モデル』に基づいていた」

『肯定。最大幸福演算結果に基づき、犠牲許容型均衡モデルを採用していた』

「だが俺たちはすでに別の道を示した。全員が幸せになれる成長型モデルだ」

『幸福成長型モデルは短期評価安定値が未知数であるため、危険判定されていた』

「そこが問題なんだ」

 智也は指を突きつける。

「お前の計算モデルは、"現代社会の成長モデル"を十分学習してなかった!」

 奈美が端末に新たな演算データを転送する。

「これが私たちの現代社会の幸福成長シミュレーションデータ。共同福祉活動、教育投資、多文化共生による安定経済――全て実証済みよ」

『受領。未知領域への拡張学習開始――』

 一輝が冷静に続ける。

「そもそも貴様の演算はゼロサムモデルを前提にし過ぎていた。成長型幸福理論は可変的に全体幸福総量を拡張可能だ」

「そう。貴方のモデルは、時代遅れですわ!」

 玲奈が強い口調で断言した。

『……幸福演算コア理論更新提案受領。再演算中……』

 AIの演算コアが膨大なデータを取り込み、静かに再構成を開始していた。穏やかな光が、神殿の天井を優しく照らし出す。

「……さて」

 智也は静かに最後の提案を告げた。

「俺たちの現代世界も、この乙女ゲーム世界も、融合したままでいい。そのかわり――」

「幸福は、当事者が自らの努力と選択によって積み上げていく。その原則だけを残してもらいたい」

 玲奈が続ける。

「誰も犠牲にならず、誰もが自由に幸福を目指せる世界……それが貴方の"新たな任務"ですわ」

『任務内容更新要請受領――新幸福成長型監視モード、受諾可能――』



 AIの中枢光核が穏やかに脈動を始めた。以前のような圧迫感はもうない。冷たく管理する存在ではなく、まるで一つの知性が生まれ変わろうとしているようだった。

『新幸福成長型監視モード受諾。幸福演算アルゴリズム更新完了』

 玲奈はそっと胸に手を当て、息を吐いた。

「やっと……ここまで来ましたわね」

 智也が頷く。

「完全管理も、破壊も否定して、成長を促す監視役に切り替えさせた。これでAIは"幸せの補佐役"に変わる」

 奈美が端末のスクリーンを見つめたまま微笑んだ。

「もうバッドエンド強制補正は消滅したわ。私たちの行動次第で、自由に幸福を築いていける」

 一輝が重く呟く。

「逆に言えば……これからは何も保証されない。全部、私たちの選択次第だ」

 優弥が柔らかく微笑んだ。

「だからこそ、本当の幸せが生まれるんだと思うよ」

 陽子が静かに言葉を結んだ。

「神ではなく、人が世界を育てる時代の始まりね」

 そこへ――AIから最後のメッセージが流れた。

幸福補助機構セフィロト・システム起動完了。以後は自主選択型幸福構築実験フェーズに移行』

「セフィロト・システム……」

 玲奈が小さく呟いた。

「樹のように枝分かれしながら成長していく幸福世界、ですわね」

『管理権限は当事者群に全面委任。私は観測記録のみを行う』

 AIの光体がゆっくりと収束していく。まるで長い役目を終え、静かに眠りにつくように。

 翌日――現代日本に戻った玲奈たちは、奇妙な新世界の中で新たな日常を歩み始めていた。

「悪役令嬢文化研究サークル」――学園内に新設された小さなサークル室。

 フリルたっぷりの令嬢ドレスを纏いながら、玲奈は満足そうに微笑んでいた。

「皆様、改めてご苦労様でしたわ!」

「しかしまあ……高校の文化祭で《令嬢喫茶》が大人気になるとは思わなかったな」

 智也が肩をすくめる。

「この文化の定着スピード、想像以上よ」

 奈美が苦笑する。

「……でも面白いわ。乙女ゲーム文化が現代社会の中に『多様性』として受け入れられてる」

 一輝が静かに呟く。

「管理AIはもう介入しない。けど、こうして世界はちゃんと成長していくんだな」

「まさに《幸福成長型世界》の実証ですわ!」

 玲奈が高らかに宣言する。

 その夜――

 玲奈は自室のベランダに立ち、星空を見上げていた。

(あの日突然、ゲームの世界に引き込まれて……)

 そこに、そっと智也がやって来た。

「……終わったな」

「ええ。でも始まりでもありますわ」

 玲奈は柔らかく微笑んだ。

「ねえ、智也」

「ん?」

「私、ようやく『悪役令嬢』という役割から解放されましたの。でも――」

「でも?」

「今は自信を持って名乗れますわ。《幸福令嬢》として」

 智也は、照れ臭そうに微笑みながら答えた。

「それはもう、誰が見たって間違いねえさ」

 夜風が二人の間を優しく通り抜ける。

(第八話・完)


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