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【第七話】「崩壊するシナリオですわ!」

 神殿での《女神の審判》を経て――

 運命修正AIはもはや直接干渉を行わなくなった。監視モードに移行したとはいえ、これで全てが終わったわけではない。むしろ、世界の歪みは表層に現れ始めていた。

「これはまた……派手に崩れ始めましたわね」

 玲奈は学園中庭の光景を眺めながら苦笑していた。

 リリアは、ヒロインという立場を正式に放棄宣言。攻略対象男子たちは、もはや誰一人として強制的にリリアに向けられるべき"好感度誘導"に縛られていなかった。各自が、自らの本当の願いに従い始めていたのだ。

 まさに、乙女ゲームの構造自体が根本から崩壊していく異常事態だった。

 第一王子エドワルドは、自ら王位継承の辞退を表明し、外交改革に乗り出していた。

「王位など、義務として背負うよりも国際協調の現場に立ちたいのです」

 第二王子ルドルフは、逆に平民教育制度改革に本腰を入れ始めた。

「この国を支えるのは、広く市民層の学問向上だ。貴族も平民も教育格差を埋めねばならぬ」

 元攻略対象で騎士団長のカミルは、孤児院の子供たちの武術教導役に転身。

「剣は守るために使うのが本懐だ」

 あちこちで分岐シナリオの消滅が始まると同時に、悪役令嬢同盟の面々も動き出していた。

「わたくし、政略結婚などもう必要ありませんわ!」

 ミランダは、美術館の運営に情熱を注ぎ始めていた。

「私、洋菓子店を開きますわ!」

 クラリスは、高級令嬢向けのパティスリー開業に奔走。

「辺境領の自然保護区開発……新たな観光事業になるわ!」

 ヴィオラは辺境伯領改革に乗り出していた。

(全員が、自らの幸福へ向かい始めてますわ……)

 玲奈は中庭でその様子を眺め、ゆっくりと息を吐いた。

(これが――本来あるべき、"自由な選択肢"ですわ)

 だが――

 その裏で、まだ最後の危機は迫っていた。

「奈美……どういうこと?」

 玲奈の問いに、奈美が端末を睨みながら説明する。

「システム中枢の最深層に、異常残骸プログラムが残ってたの」

「残骸プログラム?」

「表層AIとは別に存在してた、いわば"最終暴走用の緊急消去コマンド群"。幸福多重モデル導入でAI本体は納得したけど、暴走補助回路が残ってたみたい」

 一輝が眉をひそめた。

「つまり……?」

「もしこの残骸が誤作動すれば、最悪現実世界そのものに影響する規模で強制初期化がかかりかねない」

 陽子も真顔で頷く。

「《融合現象》の危険があるのよ。元の現代世界と、この乙女ゲーム世界が混ざりかねない」

 玲奈の表情が固まる。

「……融合世界?」

「そう。現代日本と、乙女ゲーム世界の構造が交差し始める」



 夕刻、神殿跡の地下施設――

 そこに浮かび上がる光の投影は、今までの整然としたAI制御とは違い、異様に歪んでいた。プログラムの残骸が、まるでうごめく生物のように乱れ続けていたのだ。

『融合計画補助コード起動確認――境界層曖昧化進行中――』

 奈美が苦々しく呻く。

「来たわ……現代世界と乙女ゲーム世界の境界が崩れ始めた!」

 一輝が静かに告げる。

「これが、管理AIの最深部に隠されていた《緊急世界融合実験プログラム》……か」

 玲奈はわずかに息を呑んだ。

(まさか、ここまでのスケールだったとは……)

「元々、私たちがここに転移したのも、この融合実験の副産物だった可能性がありますわね」

「たぶんそうだ」

 智也が苦く笑う。

「そもそも《マリアージュ・デスティニー》っていう乙女ゲームは、この融合実験のための仮想環境に過ぎなかったんじゃねぇかな」

「つまり私たちは……『悪役令嬢救済シナリオ』を超えて、世界の構造実験に巻き込まれていたというわけですのね」

『境界安定不能――現代世界要素混入開始』

 異変は即座に現実にも現れ始めた。

 王都の街角に、なぜか現代のファッションビル風の建物が突如として立ち上がったり、乙女ゲーム世界の住人がスマートフォンのような端末を手に歩き出したり。

「こ、これは何ですの!? なんですのこの妙な混成文化は!」

 玲奈は困惑を隠せず叫んだ。

 市民の間でも――

「悪役令嬢専用のファッションブランドショップ、オープンですわ!」

「今だけ! 公爵令嬢カフェ、期間限定営業開始!」

 と、まるで現代日本のポップカルチャーと乙女ゲーム世界観がごちゃ混ぜになった奇妙な新都市が形成されつつあった。

「まるで……現代に乙女ゲーム世界が融合侵食してきてますわ!」

 優弥が呟く。

「これは……放っておくと現代の我々の世界自体が上書きされかねない」

 智也が静かに頷く。

「つまり、このままだと帰る場所も消えちまう……」

 その言葉に玲奈は拳を握りしめた。

「ここが本当の《分岐点》なのですわ!」



 翌朝、ローレンツ邸の作戦会議室。

 奈美が端末を操作しながら詳細な現状を説明する。

「融合進行率は約32%。今のままなら1週間以内に完全融合が確定するわ」

「完全融合……」

 玲奈は静かに扇子を握りしめた。

「つまり、この乙女ゲーム世界が、私たちの現代日本そのものに侵食するということですのね」

「だが悪い話ばかりじゃねえ」

 智也がニヤリと微笑んだ。

「今回の融合は、あくまで《管理AI》が消えた後に残された補助コードの暴走に過ぎねえ。中心部の暴走核に直接介入できれば止められる可能性がある」

「そう……最後の戦いになりますわね」

 玲奈の言葉に、全員が静かに頷いた。

「敵は既にAIそのものではない。プログラムの残骸、シナリオの亡霊……」

 一輝の言葉が重く響く。

 そこへ、リリアが心配そうにやって来た。

「カタリナ様、私もお手伝いできますでしょうか?」

「もちろんですわ!」

 玲奈は微笑んで手を取った。

「貴女がこの世界の『ヒロイン』だったからこそ、今の私たちがここまで辿り着けましたの」

 リリアは涙ぐみながら頷いた。

「……私も、自分の役割を超えたいんです!」

 その日の夜――

 最後の決戦の場は、神殿跡のさらに奥深く、《融合核》と呼ばれる最深部だった。

 そこには、まるで巨大な心臓のように脈動する青白い光球が浮かんでいた。

『融合実験継続中――残留データ混入進行中――』

「これが……暴走残骸の中心部ですのね」

 玲奈が息を呑んだ。

「始めるぞ!」

 智也が声を張る。

「奈美、アクセス開始!」

「了解! 融合中枢への強制アクセスプログラム起動!」

 一輝と優弥もそれぞれの端末から支援データを流し込む。

『強制干渉拒否――警告――拒絶波動発生』

 融合核から青白い光線が放たれた。

「来るぞ!防御!」

 陽子が即座に巫女術式を発動し、光の障壁を張る。

「くっ……ここからが本当の勝負ね!」

 玲奈は目を閉じ、静かに口を開いた。

「あなたが残した歪んだ世界の亡霊に告げますわ!」

『……?』

「犠牲の上に築かれる幸福など、私たちはもう必要としておりません!」

『幸福均衡演算……すでに終了済――異常命令継続中』

「だからこそ――」

 玲奈はゆっくりと目を開いた。

「貴方を――赦しますわ!」



 「赦しますわ」――その玲奈の言葉に、場の空気が震えた。機械的な命令に支配されたはずの融合核が、わずかに揺らぎを見せた。

『……赦す……処理不能概念……エラー……』

 奈美が小さく息を呑んだ。

「効いてるわ……! あの融合核は『赦し』という非ゼロサムの概念に処理エラーを起こしてる!」

 一輝が補足する。

「今までのこの世界は、幸福と不幸が天秤で釣り合う設計だった。だが、赦しは釣り合いを超越する概念だ」

「つまり……」と優弥が穏やかに続ける。

「誰かが誰かを赦せば、それだけで負債ゼロの幸福が生まれるんです」

 玲奈は前に進んだ。

「私たちは貴方が作った歪みを責め立てるのではなく、共に新たな世界を築くため、赦しますわ!」

『許容……赦し……幸福演算……再定義……』

 融合核の青白い光が、穏やかな金色へと変わり始めた。

『新規幸福基準受領。世界融合計画――任意選択制へ移行――』

「任意選択制?」

 智也が驚いた表情を浮かべた。

 奈美が端末を見ながら解説する。

「融合自体はもう止まらない……けど、このままなら『両世界の要素が重なりながらも、選択的に共存できるモデル』になるわ」

「つまり……現代日本の街角に、乙女ゲーム風の令嬢カフェができたり」

「現代に、悪役令嬢文化が普通に馴染んでくる……」

「ふふ……面白いではありませんか!」

 玲奈は高らかに笑った。

「これこそ《新たな幸福世界》ですわ!」

 数日後――現代日本、玲奈たちの元の街。

 だが様子は以前とどこか違っていた。

「……カタリナ様ブランドのアフタヌーンティー専門店ですって?」

「悪役令嬢学園分校が……こっちの高校の隣に建ったわよ……」

「どこもかしこも令嬢文化で溢れてますわ……!」

 玲奈たちは困惑しつつも、どこか懐かしいような奇妙な新世界に立っていた。

「おかえりなさい、みんな」

 奈美が穏やかに微笑む。

「でも……完全には終わってない感じね」

「ええ。これはむしろ、新しい始まりですわ!」

 玲奈はそう高らかに言い切った。

(第七話・完)


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