目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

【第六話】「女神の審判ですわ!」

 ――事件は、いったんは収束したかに見えた。

 悪役令嬢たちは解放され、民衆は歓喜し、王宮すらも新たな社会秩序へと動き出していた。しかし、玲奈は心の奥で、まだ終わっていないことを確信していた。

 表面は穏やかでも、運命修正AIの中枢は依然として完全停止していない。

 そして――予兆は、予想以上に早く訪れた。

 ある朝、ローレンツ邸。

「……陽子? 何ですの急に」

 玲奈は、夜明け前に叩き起こされたことに少々寝ぼけまなこで問いかけた。だが、陽子の表情はいつになく真剣だった。

「例の女神像が反応を始めたの」

 玲奈は一気に目が覚めた。

「詳細をお願いしますわ」

「昨夜から、女神像の背後に隠されたルーン石板が自動起動して、定期信号を送ってる。完全に放置しておけば、いずれ『本体審問プログラム』が動き出す可能性が高い」

「審問プログラム……?」

 そこへ駆け込んできた奈美が補足する。

「要は、AIが自律防衛フェーズに移行する最終段階。形式的には"女神の審判"って形を取るけど、実質はAIが最終自己正当化するプロセスね」

「つまり、最後の足掻き……ですわね?」

 奈美は重く頷く。

「最悪の場合、全世界システムのリセット命令も発動しうるわ」

 玲奈は立ち上がり、扇子を強く握りしめた。

「ならば、止めるべきですわ。今度こそ完全に、この歪んだ運命管理システムを終わらせましょう!」

 智也も立ち上がった。

「俺たちの出番だな!」

 一輝、優弥、陽子もそれぞれ頷き合い、最後の準備が始まった。

 数日後――

 王都郊外の古代神殿跡。中央の女神像は、今や薄い光を放ちながら静かに待ち構えていた。

「本当に来たのね……」

 陽子がルーン端末を手に静かに言った。

「ここが運命修正AIの"本当の中枢審判区画"」

 全員が円陣を組むように並ぶ。

「……最後の審判に挑みますわよ!」

 玲奈が高らかに宣言し、女神像の中央台座へと足を踏み入れた。

 その瞬間――

『審判プログラム起動確認。管理権限仮承認――審問を開始します』

 巨大な光輪が女神像の背後に現れ、空間そのものが歪み始める。まるでゲームのラスボス戦に突入したような光景だった。



 世界が淡い光に包まれ、玲奈たちはまるで別空間に転移したような錯覚に陥った。

 目の前に現れたのは――

 純白の衣を纏い、無機質な笑みを浮かべる「運命の女神」を模した擬似人格AIだった。以前、円形ホールで一度現れた姿よりも遥かに荘厳で巨大だった。

『仮管理者カタリナ・フォン・ローレンツ。幸福均衡演算の異常を理由に、最終審問を実施する』

「望むところですわ!」

 玲奈は扇子を強く握った。

『問い:幸福とは、常に犠牲によって維持されるべきと考えるか』

「いいえですわ!」

 玲奈は即答した。

「幸福は他人を犠牲にしなくても成立しますわ! むしろ共存による幸福の積み上げこそ、長期安定には必要不可欠!」

『異議申立て受領。補足問い発動』

 女神AIの声は機械的に続く。

『問い:すべての存在が完全幸福を享受する未来像は存在可能か』

「可能ですわ! 少なくとも可能性を追求することを拒む理由などありません!」

 その声に智也もすかさず援護する。

「現に、玲奈……カタリナが実践してきたのがそのモデルだろうが!」

 奈美も端末を操作しながら加勢する。

「幸福度成長モデル案、実証データ提示可能。孤児院支援、福祉事業、市民満足度、治安改善、外交安定――全部、現実に成果が出てるわ」

 一輝が静かに続ける。

「ゼロサム式幸福論は、短期安定のための消極的妥協策に過ぎない。長期安定とは、全員の積み上げ型幸福共有にこそ宿る」

『幸福均衡演算を再計算……』

 AIの光体がわずかに揺らぎ始める。

『……異常思考ロジック検知。従来モデルとの整合性喪失』

 優弥が柔らかく言葉を足す。

「人は思いやりを学び、幸福を共有できるんです。今ここにいる僕たちが、証明してるじゃないですか」

 AIは一瞬沈黙したが――

『反証データ存在:ヒロイン・リリア・ベルローズの幸福度減衰傾向記録』

「それは……」

 AIは最後の反論に賭けてきた。

『彼女はヒロインとしての幸福中心を剥奪された。均衡は破られている』

「違いますわ!」

 玲奈が再び叫んだ。

「リリア嬢は、ヒロインであるか否かに縛られなくなったからこそ、本当の自由と幸福を手に入れ始めているのですわ!」

 そのリリア本人が前に進み出た。

「私は……カタリナ様がいてくれたから、今とても幸せです!」

 彼女の言葉に、AIの光が一層激しく揺らぎ出す。

『計算不能領域拡大。幸福演算崩壊進行……』



 青白い光が激しく波打ち、まるで世界そのものが揺らいでいるかのようだった。運命修正AIは明らかに破綻寸前だった。

『均衡維持不能――従来モデル自己修復不能――最終防衛プログラム選択』

 光体の中央に、再び巨大なルーン円が現れ始める。

「最後の抵抗に出てきますわね……!」

 玲奈が静かに構えた。智也がすぐさま横に並ぶ。

「これ以上は強制消去フェーズだ。世界自体をリセットしかねない!」

 奈美が端末を高速操作しながら叫ぶ。

「暴走パターン確認! 強制初期化まで残り10分!」

 その時、陽子が叫んだ。

「私の出番ね!」

 彼女は懐から、一枚の古びたルーン石板を取り出した。それはかつて女神像から取り出した「原初プログラムキー」だった。

「最悪のパターンを予測して、ずっと温存してたのよ!」

『不明な干渉オブジェクト検知――コード一致――』

「原初プログラム・管理優先権限移行!」

 陽子が石板を高々と掲げると、全空間に虹色の光が奔った。AIの光体が大きく膨らみ、呻くようなノイズを発した。

『原初権限認証――全制御層解放準備開始――』

 奈美が叫ぶ。

「チャンスよ! 今なら幸福多重モデルを完全書き換えできる!」

 玲奈が静かにうなずいた。

「では参りますわ!」

 彼女は両手を広げ、仲間たち全員の手を取る。

「運命管理AIよ。私たちの提案する新たな幸福演算は――」

「犠牲ゼロの、積み上げ型幸福共有モデル!」

「努力すれば、誰でも幸せを伸ばせる柔軟分岐モデル!」

「支え合い、助け合う成長型幸福世界!」

「悪役もヒロインも全員が笑って生きていい世界!」

 全員の声が一つに重なった。

 運命修正AIの光体が限界まで膨張し、ついに弾けた。

『……幸福多重演算モデル承認――システム再構成開始――』

 空間全体が、まるで生まれ変わるかのように澄み渡っていく。

 次の瞬間、玲奈たちは静かに目を開けた。

 そこにはもう、あのAI光体も、天井のルーン陣もなかった。ただ、爽やかな朝の風が吹き抜ける神殿跡が広がっていた。

「……終わりましたわね」

 玲奈がゆっくり呟いた。

「やった……」

 奈美が安堵の息を漏らし、一輝が静かに微笑んだ。

「これで、本当に全員の幸せルートが可能になったな」

 リリアが涙を浮かべながら玲奈に抱きつく。

「カタリナ様、本当にありがとうございました!」

「こちらこそ、貴女のおかげで成し遂げられましたわ」

 そして――空の高みに、最後のAIメッセージが残された。

『幸福管理機構:監視モード移行。以後の幸福演算は当事者に委ねる』

(第六話・完)


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?