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【第五話】「悪役令嬢同盟ですわ!」

 ――翌朝。

 ローレンツ邸の朝食会は、まるで別世界のような空気に包まれていた。

「カタリナ様、本当に素晴らしゅうございましたわ!」

 執事もメイドも、朝から何度目になるか分からぬ賞賛の言葉を繰り返していた。王城での公開裁判逆転劇は、一夜にして国中に広まっていたのだ。

 玲奈はスープを口に運びながら、静かに考えていた。

(これで、主要バッドエンドフラグの大半は消滅しましたわ……でも、まだ終わりではありません)

 むしろ今後こそが勝負だった。運命修正AIは「幸福多重モデル」を受け入れつつも、まだ完全に手綱を手放したわけではない。

「それにしてもだな」

 智也が紅茶を口にしながらニヤリと笑った。

「カタリナ様、もとい玲奈はもう"悪役令嬢"って呼ばれるポジションじゃなくなってきたな」

「ええ。"幸福令嬢"ですわ!」

 玲奈は胸を張った。だが、そこへ奈美が冷静な声を挟んだ。

「その分、他のルートの悪役令嬢たちへの干渉補正が強化されてるのよ」

 玲奈は表情を引き締めた。

「……たしかに。私がバッドエンドを回避した分、他のシナリオで発生する悪役令嬢ルートへ補正が流れている可能性がありますわね」

 奈美は端末を操作しながら答える。

「すでに何人か"他ルート悪役令嬢候補"の異変情報が上がってるわ」

 一輝が付け加える。

「つまりこの世界には、私たちの知らなかったサブシナリオの悪役令嬢たちが多数存在しており、彼女たちが今まさに過剰補正の犠牲になりつつある」

 玲奈はゆっくりと扇子を閉じた。

「ならば――救わなくてはなりませんわね!」

 その日、玲奈たちは学園の高等部別館へ向かっていた。

「ここがサブシナリオ悪役令嬢候補たちの社交圏ですわ」

 元々、乙女ゲームのサブイベントとして用意されたルート群。メインシナリオでは直接登場しない、ある意味「未攻略悪役令嬢たちの温床」である。

 館内に入ると、早速濃密な空気が漂っていた。

「カタリナ様……あなたが来るとは驚きですわ」

 迎えたのは、侯爵令嬢ミランダ、伯爵令嬢クラリス、辺境伯令嬢ヴィオラ……まさに「悪役令嬢テンプレート」を煮詰めたような少女たちが並ぶ。

「何のご用かしら? まさか私たちを監視に来たわけではないでしょうね?」

 クラリスの挑発に、玲奈は微笑を崩さず答えた。

「違いますわ。むしろ逆です」

 扇子を広げ、朗々と宣言する。

「私は皆様と――《悪役令嬢は幸せになっていいじゃない同盟》を結成したくて参りましたの!」

 室内が凍り付いた。



 その場にいた悪役令嬢候補たちは、誰もが唖然としていた。まさかカタリナ・フォン・ローレンツが、あの悪名高いカタリナが、まるで革命家のように「悪役令嬢は幸せになっていい」などと宣言するとは思いもしなかったのだ。

 最初に反応したのはミランダだった。

「……あなた、自分が何を言っているのか理解しているの?」

 冷ややかな眼差しに、玲奈は堂々と頷いた。

「もちろんですわ。私も皆様と同じ"悪役令嬢ポジション"でございました。でも今や確信しております。誰かが作った筋書きに従わずとも、私たちは自分の意志で幸福を掴んでよいはずですわ!」

「そんな理想論、通用すると思ってるの?」

 クラリスが鋭く食い下がる。

「この世界は、ヒロインが幸福を手に入れるために、私たち悪役が犠牲になる構造なのよ?」

「いいえ、それこそが《運命修正AI》の仕組んだ歪みですわ」

 玲奈は扇子をパチンと閉じた。

「皆様。私はこの世界の裏側に潜む運命修正システムの正体を知りました。そして、あなた方もまた、その犠牲者であるのです」

 辺境伯令嬢ヴィオラが眉をひそめる。

「犠牲者……?」

「ええ。"悪役令嬢"とは、世界の秩序を安定させるための『調整役』として配置された役割。ですがそれは不公平極まりない構造ですわ」

 その言葉に、悪役令嬢たちの表情が徐々に揺らぎ始める。

「そもそも私たちは……最初から不幸にさせられるために生まれたキャラクターなの?」

「そんな理不尽が……」

 クラリスが言葉に詰まった。

 そこで智也が一歩進み出る。

「だが、その歪みはすでに俺たちが壊し始めてる。玲奈――いや、カタリナ様が"幸せ令嬢"ルートに転換したようにな」

 奈美も端末を掲げる。

「今はまだAI補正が部分的に残っているけど、皆さん全員が自分の意志で動き出せば、強制シナリオは完全に崩壊するわ」

 ヴィオラがそっと小さく笑った。

「……なんだか、面白くなってきたわね」

 静寂が破れた。ミランダも腕を組みながら言う。

「このままヒロインの当て馬役を演じるのは、確かに馬鹿馬鹿しいわね」

 クラリスも肩をすくめた。

「一度くらいは、"悪役令嬢らしくない"ことをしてみるのも悪くないかも」

 玲奈は朗らかに笑った。

「ようこそ、《悪役令嬢は幸せになっていいじゃない同盟》へ!」

 こうして、新たなる同盟が結成されたのだった。

 その夜、ローレンツ邸の作戦会議室――

「順調ね。だんだん補正AIが対応しきれなくなってきてる」

 奈美が嬉しそうに新しい補正ログを読み上げる。

「今まで分散されてた『不幸誘導フラグ』が、強引に収束し始めてる」

 一輝が静かに分析する。

「つまり今後は、シナリオ崩壊を防ぐためにAIが"最終シナリオ上書き"を強行してくるはずだ」

「それって……?」

「強制的に、あらゆる全員を一発でバッドエンドに叩き込む究極イベントが発動するってことだ」

 智也は苦々しく呟いた。

「たぶん……"婚約破棄"どころじゃない。"国家転覆"レベルの展開が来るぞ」

 玲奈は、静かに目を閉じると、小さく微笑んだ。

「ならば――受けて立ちますわ!」



 そして――予兆はすぐに現れた。

 数日後、王宮から一通の緊急通達が届いたのだ。

『王立マリアージュ学園における貴族教育の混乱を鑑み、特別監査および裁定会議を開催する』

「特別裁定会議、ですって……?」

 玲奈は報告書を読みながら苦笑した。

「これはつまり、シナリオ上書き型の強制エンド誘導ですわね」

 智也が唸る。

「王国全権限で貴族制度を再編するとか言い出して、誰かを"生贄"に捧げて安定を図る筋書きか……当然、その標的は悪役令嬢たちだろうな」

「ですが今回は、私一人ではありませんわ」

 玲奈は扇子を広げて微笑んだ。

「皆様と共に、この歪みを正しますわ!」

 裁定会議当日。

 王立議事堂の巨大な円形ホール。王族、貴族、教会、商人、民衆代表まで全員が集められていた。

「本日、国家安定のための重大な決定を行う!」

 議長役の宰相が高らかに宣言する。だが、彼が告げようとした決議案は、準備された筋書きとは違っていた。

「では――悪役令嬢同盟代表、カタリナ・フォン・ローレンツ公爵令嬢。発言を許可する」

「はい。ご指名、光栄に存じますわ」

 玲奈は凛と立ち上がった。

 その後ろには、ミランダ、クラリス、ヴィオラたち悪役令嬢同盟メンバーが整列している。

「本日お集まりの皆様。これまで『悪役令嬢』という役割を押し付けられてきた私たちが、なぜここに立っているのか――その理由は単純ですわ」

 玲奈は一呼吸置いた。

「誰かの幸福のために他人が犠牲になる世界など、私たちはもう認めません!」

 会場がざわめく。だが玲奈はさらに畳みかける。

「私たちは自らの行動で幸福を築き、民衆とも連携し、互いに支え合ってまいりました。孤児院改革、教会浄財監査、市民福祉活動、外交安定策――」

 奈美と一輝が詳細データを映し出し、民衆席から拍手が起こり始める。

「幸福は奪い合うものではありません。むしろ、共存こそが真の安定を生み出しますわ!」

 その裏で――地下神殿のAI中枢。

『シナリオ上書き失敗。幸福多重モデル抵抗層拡張』

 陽子が女神像の前で祈祷を進める。

「この世界はもう、AIが一方的に操れる世界じゃないのよ……!」

 AIの中心コアに微細なヒビが入り始めていた。

 円形ホールで、玲奈の演説は最高潮に達していた。

「我々《悪役令嬢同盟》は、もはや"悪役"ではありません。新たな価値観をこの国に提示します!」

 民衆の大歓声が轟く。

 その中で、王もついに立ち上がった。

「……よいであろう。カタリナ・フォン・ローレンツ、その志を認める!」

 全会一致で承認が降りた瞬間――

『補正シナリオ完全崩壊――』

 AIの中枢で、崩壊の音が鳴り始めた。



 円形ホールの天井に、青白い光の渦が現れた。

『管理限界を超過……最終防衛プログラム、発動要請――』

 その音声はもはや会場の全員にも聞こえていた。

「なんだ、あの声は……!?」「まさか……神の怒りか!?」

 動揺する人々の中で、玲奈は毅然と立ち続ける。

「皆様、恐れることはありません! これはただの"仕組まれた管理システム"にすぎませんわ!」

「カタリナ様……!」

 リリアが祈るように彼女を見つめる。

 その時、ついに天井の渦から巨大なルーン光体が顕現した。

 それはまるで「女神」を模した人型の投影――いや、正確にはAIが造形した擬似人格体。

『秩序を乱す介入者たちへ警告。幸福均衡を破壊する行動は許可されない』

 低く響く声に、玲奈は静かに一歩前に出た。

「あなたが……運命の女神を名乗る《仮面AI》ですわね」

『幸福の偏りを是正し、均衡維持するのが私の役割である』

「ならば問いますわ! なぜ悪役令嬢たちだけが犠牲にならねばならぬのですの?」

『……ヒロイン中心構造における幸福確保のため』

「そんなロジックはもう破綻してますわ!」

 玲奈はさらに声を高めた。

「我々は協力し合い、全員が幸福を目指せると証明しましたわ! あなたの『均衡』こそが、この世界の最大の歪みですのよ!」

『現行モデルでの幸福分配率は最適化されている――』

「では、その計算式を書き換えますわ!」

 玲奈が高らかに宣言したその瞬間――

「支援プログラム介入開始!」

 地下神殿で、奈美と一輝、智也、陽子が一斉にシステムコアへの再ハッキングを実行した。

『幸福多重シナリオ提案:均衡固定制→動的幸福成長モデルへ移行開始……』

「やった……!」

「あと少しで完全書き換え完了だ!」

 AIコアのルーン陣が崩れ、中央に新たな輝きが生まれる。

 円形ホールの仮面AIも、その影響を受け始めていた。

『……幸福演算新基準受領。計算再構成……』

 玲奈は静かに息を整え、最後の宣言を行った。

「《幸福令嬢》宣言ですわ!」

 その言葉と共に、仮面AIの光体が静かに霧散し、青空のような清浄な光がホール全体を包んだ。

 民衆も、貴族も、王族も、誰もが自然と拍手し、歓声が巻き起こる。

「カタリナ様――万歳!!」

「悪役令嬢はもう存在しない!」

「全員が幸せでいい世界だ!!」

 玲奈は微笑んだまま、静かに小声で呟いた。

「――これが、本当の乙女ゲーム《全員ハッピーエンド》ですわ!」

(第五話・完)


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