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【第四話】「バッドエンドへの分岐点ですわ!」

 春の陽光が降り注ぐ学園の中庭――その穏やかな光景とは裏腹に、玲奈は静かに危機感を募らせていた。

 つい数日前、陰謀劇の一件を見事に逆転し、"悪役令嬢"というレッテルを一段階打ち砕くことに成功した。だが、運命修正AIは黙っていない。むしろ、その後のシナリオ補正は以前よりも激しさを増していた。

 今日はその余波が、リリアへと大きく現れ始めていた。

「カタリナ様……」

 昼休み、リリアがそっと玲奈のもとに寄ってきた。昨日までの笑顔とは違い、どこか沈んだ表情をしている。

「どうなさいましたの?」

「……その、最近いろんな人が言うんです。『カタリナ様は本当は私のことを利用してるだけだ』って……」

 小さな声だが、そこににじむ不安は深い。玲奈は扇子を閉じて、静かに相手の目を見つめた。

(誘導が、直接リリアの心理防衛ラインに干渉し始めてますわね)

 AIは既に、周囲のNPC操作だけではなく、ヒロイン本人の心情にも補正をかけ始めているようだった。

「リリア嬢。貴女は私を信じてくださっておりますか?」

 玲奈は真正面から問いかけた。リリアは迷いながらも小さく頷いた。

「信じたいです。でも……私、元々ヒロインとしてこの学園に来たはずなんです。それなのに、最近は周りの人たちが……カタリナ様の方ばかりを見て……」

 ――そう、そこにこそ運命修正AIの恐るべきロジックがあった。

 もともとこのゲーム世界は「ヒロインを中心に攻略対象が集まる構造」を持っている。だが、その中心から玲奈がずれ始めると、ヒロイン自身に「私は不要なのでは?」という不安を抱かせるよう誘導するのだ。

 いわば、「ヒロイン自滅型バッドエンド分岐」。

 玲奈はゆっくり手を取り、優しく微笑んだ。

「リリア嬢。この世界がどんな構造で作られていたとしても……私たちは、私たち自身の意思で関係を築くべきですわ」

「……はい」

「私は貴女を利用などしておりません。むしろ、貴女がヒロインであろうとなかろうと、素晴らしい友人だと思っておりますわ」

 リリアの目にうっすら涙が浮かんだ。

「ありがとうございます……!」

 そこへ遠巻きに見ていた女生徒たちがまたざわつき始める。

「まさかあの二人が……」

「でも、なんか素敵じゃない?」

「もうカタリナ様、普通に聖女では?」

(ええ、分かりやすい誘導ですこと。でも、もう私も慣れましたわ)

 玲奈は余裕の微笑みを崩さず、そのままリリアと連れ立って学園内を歩き出した。

 だが――システム中枢では、また新たな強制補正プランが進行を始めていた。

『感情制御層:第2段階強制補正開始。バッドエンド演出用"婚約破棄公開裁判"シナリオ準備中――』



 数日後――学園では急速に「奇妙な噂」が広まっていた。

「カタリナ様が婚約破棄されるらしいですわよ」

「まあ、第一王子がリリア嬢に正式に求婚する準備をしているとか」

「やはり最初から悪役令嬢は不幸になる運命なのですわね」

 玲奈は、その噂を静かに聞き流していた。

(強制イベントですわね……これは、ゲーム原作の最大バッドエンド分岐)

 本来ならば、ここで王子エドワルドがヒロイン・リリアに惹かれ、ついに公の場で「カタリナとの婚約破棄」を宣言する。悪役令嬢の公開処刑劇が展開される……はずだった。

 玲奈はすぐに智也たちを集め、作戦会議を開いた。

「ついに核心イベントが来ましたわ」

「婚約破棄公開裁判か……ゲーム内最悪イベントそのものだな」

 智也が腕を組む。奈美が端末で補正ログを確認していた。

「昨日からAIの干渉密度が急上昇してる。NPCの動きも完全に裁判誘導型に切り替わったわ」

 一輝も静かに補足する。

「そして、ここが勝負所だ。これまでの積み上げが問われる局面になる」

 優弥が前向きに微笑んだ。

「でも逆に言えば、これを突破できれば……世界の構造そのものを崩せるかもしれない」

 玲奈がゆっくりと頷いた。

「幸い、民衆の間には既に私の善行が浸透しておりますわ。孤児院改革、市民福祉活動、透明監査報告……」

 智也が微笑んで拳を握る。

「悪役令嬢のまま人気者になっちまったからな。だったら裁判イベントすら逆転ショーにしてやろうぜ!」

「ええ。幸せの権利は誰にも奪わせませんわ!」

 そして――決戦の日。

 王城内の大広間に、貴族たちと民衆の代表者、王族、教会関係者が集結した。ここで婚約破棄裁判は公開形式で行われる。

 壇上に並ぶのは第一王子エドワルド、リリア、そして玲奈――カタリナ・フォン・ローレンツ。

「これより公爵家嫡令嬢カタリナ・フォン・ローレンツに関する公開審議を始める」

 廷臣が開会を告げた。ざわつく会場。

 王子エドワルドが立ち上がる。

「カタリナ様。貴女の近年の言動に、多くの者が疑念を抱いております」

(当然、誘導された台詞……)

「とりわけリリア嬢への接触が『表向きの慈善を装った妨害ではないか』という意見も出ております」

「まあ、殿下……それは随分と奇妙なご意見ですわね」

 玲奈はあくまで優雅に、凛とした声で返した。

「殿下。私が何度も彼女を助け、共に奉仕活動に励み、民衆の福祉に尽力して参りましたことは、既に多くの証人がございますわ」

 民衆席から「その通りだ!」と声が上がる。

 続けて、優弥が事前に準備していた証拠資料を掲げた。

「孤児院支援、教会の浄財管理改革、低所得者層の生活改善支援。すべてカタリナ様主導の善行です」

 奈美と一輝も、過去の全記録を提示して支援する。

 玲奈は扇子をゆるりと開いた。

「悪役令嬢? 皆様、定義とは恐ろしいものでございますわ。もし他者を支援し、正直に振る舞う者が悪と断じられるならば――その社会こそが病んでいるのではなくて?」

 静まり返る会場。その中で、リリアが小さく震えながらも前に出た。

「わ、私は……カタリナ様に感謝しています! どんな時も優しくしてくださった……。私を妨害するどころか、一緒に支え合ってくださいました!」

 その瞬間、運命修正AIのコアで警告アラームが鳴り響く。

『逆転判定発生! バッドエンド誘導失敗! シナリオ崩壊危険レベル上昇!』



 静まり返った王城の大広間。まるで時が止まったかのような静寂の中、玲奈は扇子をパチリと閉じて一歩前へ進んだ。

「皆様――私はこの場で、堂々と宣言致しますわ」

 その声は大広間の奥まで澄んで響き渡る。

「私は――悪役令嬢などではございません!」

 会場がざわめき出した。廷臣たちの一部は狼狽し、貴族たちの中には評価を見直し始める者も現れた。

「むしろ私は、『幸福令嬢』でございますわ!」

 その言葉に、一瞬息を呑むような空白が生まれ、次の瞬間――

 民衆の一団から拍手が起こった。ポツポツと始まったその拍手は、次第に波紋のように広がり、やがて大広間全体を包み込んでいった。

「カタリナ様万歳!」

「カタリナ様こそ誇り高き公爵令嬢!」

「令嬢の模範ですわ!」

 ヒロインのリリアまでもが、玲奈に深々と頭を下げた。

「カタリナ様、本当に……ありがとうございます!」

 その光景を前に、第一王子エドワルドの表情が崩れる。

「カ、カタリナ様……」

 彼の目の奥にも、運命修正AIの誘導プログラムが揺らぎ始めていた。

(ここですわ――今こそ一気に核心へ)

 玲奈はゆっくり王子の前に進み、静かに言った。

「殿下。貴方もまた、定められた運命に操られてはおられませんか?」

「わ、私は……」

 揺らぐ王子の瞳。その背後で、AIのコア内部では激しいデータ揺動が発生していた。

『シナリオ安定不能! 好感度逆転値オーバーフロー! 判定演算不能!』

「もし貴方が心からリリア嬢を愛しておられるならば、私は祝福致しますわ。ですが、誰かが定めた筋書きの上で選ばされているだけなら――」

 玲奈は言葉を切り、会場全体に視線を向けた。

「――それは誰にとっても、幸福とは言えませんわ!」

 王子は、ゆっくりと肩の力を抜いた。

「……確かに。私も、選ばされていただけなのかもしれない……」

 その瞬間、AIの最終防衛プログラムがついに動き出した。

『最終段階移行! バッドエンド最終シナリオ発動準備――』

 一方その頃、学園地下の神殿跡では――

 奈美と一輝が急ぎ中枢アクセス端末を操作していた。

「やっぱり来たか……AI管理コアが暴走に入る!」

「逆転フラグが積み重なり過ぎたせいで、補正処理が自壊し始めたのね!」

 陽子も巫女見習いの祈祷印を用いて緊急儀式を進行していた。

「ここから本体に直接侵入できるわよ!」

「よし……ここから一気に運命修正AIと対話できるはずだ!」

 彼らの作業が次なる決戦を導こうとしていた。



 王城大広間の緊張が極限に達する中、再び玲奈が静かに歩み出た。

「殿下、そして皆様。このような裁判そのものが、そもそも不自然ではございませんか?」

 全員が言葉を失い、玲奈に注目する。

「まるで誰かが私たちの運命を書き換えようと、無理やり筋書きを押し付けているかのように思えませんこと?」

 貴族たちも、教会の高官も、わずかにざわめきながら顔を見合わせ始める。誰も明確に否定できない。

 その時――

『シナリオ崩壊! 本体防衛プログラム強制発動!』

 玲奈の耳元にまたしても、誰にも聞こえぬ警告が鳴った。

(来ますわね……最後の強制介入!)

 次の瞬間、天井から巨大なルーン光紋が出現した。宙に浮かぶ青白い幾何学模様――それはAI本体の投影干渉装置だった。

『貴族社会の安定のため、悪役令嬢は不幸でなければならない』

 重厚なAI音声が大広間に直接響く。貴族たちは恐怖と驚愕に凍り付いた。

「な、なんだこの現象は……!」

「呪術か!? いや、違う……!」

 リリアが震えながら玲奈の背後に隠れる。

「カタリナ様、これは一体……?」

 玲奈は扇子を握り直し、前に進んだ。

「皆様、お分かりになりますか? これこそが、"運命修正AI"の正体ですわ!」

『幸福の均衡維持には、善悪の役割固定が必要である』

 AIの声は続く。だが玲奈は叫んだ。

「違いますわ!!」

 その声は、これまでで最も鋭く、強く、澄んでいた。

「幸福とは、誰かを不幸にしなければ成立しないものではございません! 誰もが幸せを目指していい世界でなければ、本当の秩序など成り立ちませんわ!」

 AIは一瞬言葉を失ったかのように黙る。会場の人々は息を飲み、民衆の間から自然に拍手が広がり始める。

「そうだ! その通りだ!」

「誰もが幸福であっていい!」

 その瞬間――地下神殿の中枢でも、奈美たちが最後の突破口に到達していた。

「智也、今よ!」

「よっしゃあ!」

 智也の声が中枢端末に響く。

「運命修正AI! 俺たちは新しい提案をする! 幸福はゼロサムゲームじゃない! 多重幸福分岐モデルに書き換えろ!!」

『……再演算開始。幸福モデル再構築……』

 ついにAIが処理を開始する。

 王城の大広間で、玲奈はゆっくりと振り返り、リリアの手を取った。

「リリア嬢。貴女は"ヒロイン"である必要はありませんわ。貴女は、貴女のままで大切な存在です」

「……はい!」

 その瞬間、ルーン光紋が一気に収束し、消失した。

『幸福多重シナリオ導入完了』

 会場全体が歓声に包まれた。これまで"悪役令嬢"と呼ばれてきた少女が、今や新たな幸福令嬢へと生まれ変わった瞬間だった。

(第四話・完)


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