旅の途中、主は小さな村の酒場に立ち寄った。
木造りの扉を開ける。
ふわりと漂ってくるのは香ばしい肉とスパイスの香り。
奥の炉では肉の塊がじゅうじゅうと音を立てて焼かれている。酒と煙と笑い声が天井に渦を巻いていた。
温かくて、騒がしい。
ここはとても賑やかな場所。
主は店内を見回し、壁際の少し静かな席へ向かう。
そして、抱えていた盾をそっと壁に立てかけた。
(ふふ……主が見える……正面から……まるでデート……♡)
ドキドキが止まらない。
目の前の席に、静かに腰掛ける主。
主はずっと盾を見ている。
(そんなに見つめられても……)
盾は照れながら顔を背けた――つもり。
(んふっ……)
頬を染めながら、主の様子をちらりとうかがう。
料理を待つその表情も端整で絵になっていた。
(……はぁああ〜……好き……)
やがて運ばれてきたのは、芳ばしく焼かれたローストチキン。
(あの肉に……かぶりつくのですね……その唇で……あぁっ♡)
ワイルドな瞬間をこんな正面から見られるのかと盾が胸をときめかせる。
(……って、え、あ、ナイフとフォークで……)
主はナイフを手にし、静かに肉を切り分け始めていた。
(さすが我が主。食べ方も紳士♡)
肉を切り分ける姿も気高く、品がある。
ナイフを握る指は力強さと繊細さを兼ね備えている。
(その指先で肉を……いや、むしろ私を割いてほしい……いや違う……んふっ♡)
スープや焼きたてパンも添えられている。
これはもう、我が主の食事ショーだ。
(あのチラリと見える、牙……それを……ぁぁっ)
盾は自分が食べられる妄想をして、脳内で喜びの肉汁を溢れさせていた。
(ふっ、だが私は盾だ。私が噛まれる事など……)
理性と妄想のバトルは続く。
盾はふぅと息を吐き、心を落ち着かせ、再び主の口元に集中する。
主は静かにスプーンを取り、スープを口に運ぶ。
(我が主……スープを飲む姿も、美しい……)
盾はその様子を、金属の目――いや、目ではなく青い宝石を潤ませながらじっと見つめていた。
と、そのとき。
「よぉ! シュエン!」
(シュ……エン? しゅえ……!?)
脳内に鐘が鳴る。
(まさか! それが我が主の名か! シュ、シュエン……シュエンさまっ……!)
「レツエンか……何の用だ」
「いや〜、たまたま通りがかったら見覚えある後ろ姿があったからよ。……あ、なんだそれ、新しい盾か?」
ぐいっと持ち上げられる盾。
(……っ!!? だ、誰ですか貴様はッ!!)
抵抗できないのが悔しい――盾だから。
青龍は大混乱。
せっかくの正面特等席を奪われた上に、ぞんざいに扱われる屈辱。
現れた男は、シュエンの顔見知りらしい。レツエンと名乗り、酒臭くて声がでかい。
(降ろせ! 馬鹿者! ああっ!私の特等席がッ!)
レツエンは盾に顔を近づけてジロジロ見た。ニヤつきながら匂いを嗅いだりする。
青龍は思わずグルルルゥと吠えた――その声は誰にも聞こえない。
金属の中でバチバチと怒りを放電中。
「なんかピカピカだな。新品か? ええ~? すっげぇ装飾……」
レツエンはツンツンと宝石を触る。
(やめろ! ベタベタ触るな! 汚れるだろ! 離せ! この!)
青龍は暴れている――金属の中で。
(くっ……動けない……)
レツエンの手で弄ばれる盾。
時折ピカっと光る盾を見て、シュエンが言う。
「美しいだろ」
――その一言が、青龍の心に突き刺さった。
(…………なっ!?……そんな、もう、シュエン様ったら……ふふ♡)
盾の中心が熱くなる。
シュエンの声は穏やかだった。まっすぐ届いた主の言葉に、青龍の心はぐにゃぐにゃだ。
(美しいだなんて……ふふ……ふふふふふ)
「なんだ、この盾。熱くなってんじゃねぇか。壊れてんじゃねぇの」
(黙れ! これは主に褒められて高まりすぎた私の体温だ!)
青龍は怒った。
ところが、レツエンは盾をギターのように構え、歌い始めた。
「恋する~盾~♪ 今日も~ピッカピカ~♪」
(うるさいわ! この下手くそ!)
盾は暴れる。いや、実際には動いてないが。
しかし、そんな盾を見て、シュエンは口元を緩め微笑んでいた。
(ああ、シュエン様が……微笑んで……)
――不覚にも、中心の青い宝石が、キラリと光ってしまった。
(嗚呼、シュエン様……その笑顔だけで私は)
「おっ? なんかここ、柔らかいのな……」
(ッ……貴様ッ……今いいところだったのに!)
「どうした、レツエン」
「いや、ここ。お前も触ってみろよ?」
(や、やめて……っシュエン様は……そんな、そんな公の場でっ……♡)
盾の魂は悲鳴と歓喜と羞恥と怒りが入り混じるトルネード。
ギラギラと輝きながら、もはや全身で震えている。物理的には静止。
だが、そんな混乱の渦中にも、主の優しい声が降る。
「……元は青龍でな、きっと今も生きている。いい子だ」
(しゅ……え、シュエン様っ……!)
盾の宝石がぶわっと光を放つ。
レツエンが面食らって盾を元の場所に戻した。
「なんだ、こいつ……」
シュエンの目がわずかに鋭くなる。
「私の連れに、あまり無礼をするな」
レツエンが一瞬だけ固まり、そして肩をすくめて笑った。
「……へいへい、悪かったよ。連れってわけか。ふーん、ま、仲良くな」
レツエンは「じゃあな」と言って去って行った。
(……ああ、シュエン様っ)
主が守ってくれた。
(ああ、私が主を守るべきだというのに!)
シュエンはそっと盾を撫でた。
(っ……シュエン様……♡)
青龍は、宝石の奥から投げキッスを飛ばした。
今夜もドキドキが止まらない。