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第3話


 裕洵の善意に急かされ、燈霞と颯天は手早く荷物をまとめて身支度を調えてから函神獄舎を出た。

 そのときになってようやく、なぜ出立前に懍葉から着替えを一式多く持って行けと言われたのか。その意味を理解した。

(懍葉さんは女になってたって知ってたのね)

 まあ任務を持ってきた張本人であるのだから当たり前か。

 ふと燈霞は砂漠で前を歩く颯天を見た。

 燈霞は肉付きも悪くガリガリだと懍葉から称されるが、背は高いほうだ。そんな燈霞の私服となると、小柄な今の颯天にはいささか大きい。

 どうにか高い位置で腰帯を強く結んで固定したが、わずかに余る下衣かいの裾に颯天は不服そうだった。

(たしかにその丈じゃ歩きづらいわね)

 とくに砂の上となるとなおさらだ。

 それでも身軽そうに歩いているのだから器用なものだ。

「あなたが男だったら、その服もちょうど良かったかもね」

「んなわけあるか。俺が元の姿だったら逆に足りないよ」

「でも、女性のときにそんなに小柄なのよ? 男に戻ったってそんなに背が高いとは思えないけど」

 図星なのか颯天は口ごもる。が、すぐに裕洵から借りた笠をやや持ち上げて紗の隙間からしたり顔を見せた。

「俺は美貌で勝負する質なんだよ。体格がいいからってモテるわけじゃないからな」

「へえ、そう」

 冷めた相づちを打つ。あまりに自分の美貌を疑わない姿に、素直に認めるのは癪だと思ったのだ。

 颯天はたしかに美しい。

 今だって彼は少女然とした愛らしい顔立ちと、生来は男であるが故か凛とした人を寄せ付けない硬質さも持ち合わせている。顔立ちに合わない荒っぽい口調も、人によってはぐっと心を掴まれるだろうと燈霞は他人事のように思った。

(でも、いくら可愛くて綺麗だからって死刑囚だもの)

 人を一人殺したぐらいじゃ死刑にはならない。それこそ親殺し、または多くの人を殺めたような大罪でも犯さない限りは。

 この颯天という男はまだまだ若い。その年若さで一体なにをしたというのだろう。

(人を殺しておいてこんなふうに平気な顔をしてるんだもの。碌な男じゃないんでしょうね)

 所詮綺麗なのは見てくれだけだ。

 見かけの愛嬌に騙されないようにせねばと、燈霞は今一度気を引き締めた。

「俺の監視役が来るとは聞いてたけどさ、あんた一人だけ? 名前は?」

「今回この仕事を任されたのは私だけ」

「じゃああんた一人で俺のことを制圧できるぐらいには強いんだ」

 で、名前は? としつこく訊かれる。

 本当なら死刑囚になんて教えたくはないが、あまり意地を張るのも馬鹿らしい。なによりこれは仕事だ。仕事。

「汐燈霞。法術を扱えるからあなた一人ぐらいならどうにかなるわ」

「へえ~。冴えない顔して優秀なんだ」

 冴えないは余計だろう。これでも美人と評判だった母に似てると自負しているし、実際にそう言われて育ったのだ。

 深紅の髪も瞳も、その母譲りだ。

「まだ若いよな? 意外と上の役職だったりするの」

「……ただの窓際部署の内勤よ」

「なんだよ。優秀ってのは嘘か」

 ひけらかすほどではないが、燈霞にもある程度の矜持はある。あからさまにガッカリされると腹立たしく思うが、ここで言い返すと一生終わらない気がして、減る体力と疲労を考え、ここは沈黙を選んだ。

 これは監視と呪いの解呪が目的だ。

 なにも死刑囚と仲良しこよしをする必要はない。

 燈霞が黙ると、あれだけペラペラとしゃべり通していた颯天も口を閉じた。

 さくさくと微かな砂を踏みしめる音だけが響き、ときおり熱風が二人の間をすり抜けて砂を巻き上げていった。


 三蕗に着いたのは陽が頭上を過ぎて傾き始めたころだ。

 街に入るとさっきまで立ちこめていた重苦しい暑さが引いて、春らしい穏やかな温もりに包まれる。

 ほっと身体が軽くなった気がした。

 三蕗はさほど大きい街では無い。

 観光地でもないし、地元の者が住む住居が淡々と並んでいる。だが、隣国――獅惺しせい国に向かう途中にあるからか宿は多く、大きな一本の通りに並ぶ商店たちはそれなりに繁盛している様子だ。

 宿へ向かおうかと目抜き通りへ行くと、立ち並ぶ露店はちょうど混み合う時間なのかそれなりに人がひしめき合っていた。

 夕餉の買い出しとみられる客の声があちこちから響き、どこからかいい匂いも漂ってきた。

 空腹を訴える腹を一撫でしつつ燈霞は昼餉を提案しようと振り向いた。

「まずはお昼でも――はっ?」

 不意に颯天が消えた。いや、正しくはのだ。

「悪いな! 俺は知らない女と二人旅なんてゴメンだ。こっちはこっちで勝手にやるからあんたも一人で頑張ってくれ!」

 どこにそんな力があるのか、小柄な颯天はひょいと近場の屋根に飛び移ると器用に屋根の上を走って遠ざかっていく。

 完全に出し抜かれた。慌てて走りだす燈霞だったが、人混みを縫う自分と屋根を駆ける颯天では距離は開くばかりだ。

 追いかける燈霞に気づいた颯天は、苛立ちまじりに見下ろしてくる。

「ちゃんと呪いを解いて戻るから好きにさせろよ! あんたも監視なんて面倒だろ!」

「そんな言葉信じられるわけないでしょ! あなたに逃げられたらこっちの首が飛ぶのよ!」

 自分から獄舎に戻る囚人なんて聞いたことがない。この世で信用できない言葉の上位三つには入るだろう。

 それなのにまるで燈霞が聞き分けがないとでもいうように颯天が顔を歪めるのだから腹立たしいものだ。

 振り切ろうと颯天が一段と高く跳躍した。隣の通りを飛び越えてさらに奥へと逃げるつもりなのだ。

 このままじゃ建物に阻まれて見失う。そう焦りを覚えたとき。

「ぎゃっ!」

 踏まれたような声とともに、空中で動きを止めた――というよりもなにかに阻まれた颯天が勢いをなくして落下した。まるで見えない壁に衝突したような動きだった。

 痛みを耐えるように顔を押さえながらも、颯天は宙で一回転して体勢を整えると両足で着地してみせた。突然降ってきた少女に、周囲の人間が距離を取って好奇と不審な目を向けながら行き過ぎていく。

「いてえ……なににぶつかったんだ?」

 きょとりと金眼がしばたたく。首を捻る颯天の元に、息をあげた燈霞がようやく追いついた。

「はあ、はあ……あなた枷のこと忘れたの?」

「いや覚えてはいたけど、まさかこんなに許容距離が短いとは思わなかったんだよ」

「馬鹿ね。囚人を見えない距離で自由にさせるわけないじゃない」

 距離にして五十メートルほどだっただろうか。まあ妥当なところだろう。

「はあ。せっかくあんたの仕事を減らしてやろうと思ったのに」

「増やすの間違いでしょう」

 やっぱりこの任務中は一切の隙を見せてはいけない。燈霞はさらに強く決意した。法術の枷を解けるとは思わないが、万が一があってはいけない。颯天は油断も隙もない男なのだ。

 燈霞が颯天へ向ける眼がますます冷ややかになった。

「今日はここで一泊するからもう宿に行きましょう」

 予定している宿は宿泊客だけでなく大衆向けの食堂も併設されている。昼餉も夕餉もそこでとってしまえばいいだろう。そうして宿に引きこもり、夜が明けてから余裕を持って移動すればいい。

「久々に外に出れたのに宿に引きこもりかあ……」

「それが嫌なら逃亡なんて目論まないことね。それに今後の方針も決めないといけないし、時間はいくらあっても困らないわ」

 なんせ呪いをかけた相手というのが誰なのか、一切手がかりがない。呪いを解くにはかけた張本人が必須なのだ。

 先導する燈霞を、渋々ながら颯天は追いかける。さっきの衝突がよほど堪えたらしい。

「そういや向こうを出る前に功篤のじいさんが言ってたな――おっと」

 急に飛び出してきた小さな影が颯天とぶつかって鞠のように跳ねた。尻餅をついた少年に、颯天が膝をついて窺う。

「大丈夫か? ちゃんと前見て走れよ」

 ひょいと子どもの両脇を持ち上げて立たせてやる。そんな颯天の姿を意外そうに燈霞は見ていた。

 少年は五つに届くかどうかだろう。軽く尻を打ったぐらいで大きな怪我はないだろうに、どこか濡れた眼で二人を見上げてきた。

 子どもらしからぬ強い力が颯天の下衣を掴む。

「ばか、脱げる脱げるっ!」

 ただでさえゆるい下衣を、颯天は慌てて押さえつけた。

「なにする――」

「お願い! 兄ちゃんを助けて!」

 叱りつけようとした颯天がピタリと言葉をのんだ。ただごとではない子どもの言葉に、思わず二人は窺い合うように目を合わせてしまった。



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