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第2話 ごきげんよう、断罪されました

 今日も、元気に罪人を受け入れる準備をしていきますわ。


 ──けれど、コーヒーが煮えきる前に、わたくしの煮えきらなかった過去のお話を少し。


 上手いこと言おうと思って、全く言えていませんわね。


 それはさておき、事件は半年ほど前の王宮大広間。黄金のシャンデリアが輝き、社交界の可憐な花々がドレスを揺らす学院卒業舞踏会の夜のこと。


 突然、耳をつんざくような大声が発せられました。


「リディア・フォン・グレイス! 貴女の悪行、この場で断罪する!」


 婚約者である中央貴族リグレイン侯爵家の嫡男──その名もセドリック様が声の主でしたわ。


 セドリック様の傍らには、庶民出身の令嬢エリス様が涙目でその細腕をセドリック様に預けていました。


 これからすらすらと罪状を述べるために、美声自慢のセドリック様が、咳払いをしながらステージ中央に進むあいだ、わたくしは心のなかで拍手していましたわ。


 ──これきた、テンプレート……と。


 エリス様と言えば清楚な白いドレスに身を包まれ、涙の真珠で着飾っておりました。とはいえ、セドリック様が離れてからはすぐに涙を拭い、キョロキョロと周りの様子をうかがっておいでです。これは──自然な演技派、いえ無垢な演技派。いじめられ令嬢、つまりはヒロイン・ポジションですわね。


 わたくしの心のうちなど知る由もないセドリック様は、高らかにお得意のテノールの声を響かせて断罪を続けます。


「──エリス様は、階段で貴女に突き落とされて危うく命の危険を──」


 ああ、いけません。「危うく」と「危険」で二重表現になってしまっています。


 せっかくの見せ場が台無しですわ。


 ──それに、わたくしは彼女が階段を降りるときに近くにいただけですわ? むしろ手を差し伸べて支えようとしたのですが、なるほど結果的に悪役令嬢になってしまったのですね。


「他にもいくつもの罪の報告を受けているが、リディア。……君からなにか弁明は?」


 あまりの出来事に王宮交響楽団の演奏も止まってしまいました。観客席の取り巻き令嬢たちは冷たい微笑を浮かべて見事な掌返し。騎士団のざわめきが場面を盛り上げてくださいます。


 広間に集う多くの紳士淑女の皆様が、わたくしの醜い弁明をいまかいまかと待っています。


 けれども、すでにおわかりの通り、この断罪イベントの前にわたくしは前世の記憶を思い出していたのです。


 悪役令嬢において断罪イベントは、回避不可能──ならばと、私はスカートの裾を持ち上げて優雅に微笑んでみせました。


「無意味ですわ。お好きなように」


 呆気に取られたセドリック様が次の台詞を吐く前に、わたくしはスカートを優雅にひるがえしました。


「わたくしが退場すれば、王宮は平和になるのでしょう? では、ごきげんよう──」


 ──リグレイン家は有力貴族。公の場でその嫡男に恥をかかせたわたくしは、こうして爵位没収、婚約破棄、そして追放。という悪役令嬢テンプレを見事完走したのです。


 そして、教会に送られる馬車のなかでわたくしは前世の頃から抱いていた夢を実現することにしたのですわ。


 それはカフェ。ブラック労働で受けたどんな理不尽も、嫌がらせも不幸も──そして自分の罪でさえ、コーヒーは全てを流してくれます。


 ならば今世の仕打ちもコーヒーで流しましょう。わたくしは、カフェでスローライフを目指します。


 ……と、忘れていましたわ。


 両親にも見放されたわたくしを泣いて追いすがって来る者が一人。


「お嬢様ァァァァ! 捨てないでくださいませえええ!」


 そう叫んでいましたのが、我が唯一無二の従者、クラリスです。



「──それで私まで追放されたんですよ?」


 昔話に花を咲かせ、クラリスはぐすりと泣きながらテーブルを拭いています。情けないように見えますが、もう立派な断罪カフェの共同経営者ですわ。


 元メイドてすので、感情の昂りとは関係なくそつなく仕事をこなしてくれますの。


 小柄な体に白のエプロン。背中まで届く栗色の髪を本日は三つ編みに。


 ですが、真面目にまとめているつもりでも、感情が顔に出すぎですのよ。翡翠色の瞳がうるうると潤んで、今にも涙がこぼれそう。


「そんなに言うのであれば、わたくしの罪など知らぬ存ぜぬで通せばよかったのでは?」


「だってぇえ……お嬢様とは子どもの頃から一緒。私の中では実の姉のような存在なのです。一人ぼっちにさせるなどできるわけないじゃないですか〜!!」


 思いかけず熱い想いを聞いてしまったわたくし。泣きながら食器を拭く姿に感心しつつ、ほんのりと心が温まったのです。


 追放されて断罪カフェを営んでいる現在のわたくしは、金茶色の髪をうなじでまとめ、黒を基調としたワンピースに白のエプロンと、まさかのメイド服姿。


 貴族時代を象徴する宝石は、長ったらしい名前とともにすべて手放しました。


 今はこのコーヒーの香りこそが、わたくしの誇りですわ。わたくしはここで、再焙煎をして人生をリスタートさせるのです。


 扉が開いて、今日のお客様がやってきましたわ。まあ、いつもの御方なのですけれど。


「神父様。今日こそは浅煎りコーヒーをご所望ですか?」


 まだ午前中というのに、くたびれた神父様はまるで鞭打ちを受けたばかりの囚人のようにだらりとした足取りでカウンターの一席に座りました。


「今日も……懺悔に……」


「罪の重さはいかほどでしょう?」


「……神に成り代わって口からでまかせを……」


「重罪ですわね。皆様は神の言葉を聞きに訪れるのです。ですが、正直に申告したので、今日のコーヒーはフェルガナ・ブレンドの中煎りですわ。酸味をたっぷりと味わってください」


 すぐに用意したフェルガナを飲むと、神父様は「くぅ……」と苦痛にまみれた声を出し、眉間を指でつまみます。


「再犯は罪が重いですから、その分金額もかさみますわ。ねぇ、クラリス」


「はい、お嬢様!」


「うぅ……世知辛い。罪の世界は──」


 教会の鐘の音が鳴り、神父様と入れ違いに来店されたのは、いつもの黒フードのタナカ様。肩口の金の刺繍が今日も密かに身分を主張しています。


 タナカ様が来ると、クラリスがソワソワしだします。わたくしも気にならないと言えばウソになりますわ。


 王族と思わしき方が、罪人の集うカフェへ通う理由を。


「……また来た。今日は、軽いものを頼む」


 タナカ様。罪が薄くなったのかしら。


 罪を申告しない方には、代わりにわたくしが罪を見立ててコーヒーを作ることにしています。


「……かしこまりました。タナカ様にはまだ出していない──クラリス、ミオリナブレンドを」


「りょ、了解しました!」


 クラリスが先に焙煎室へと向かい、わたくしはフードの中に隠されたタナカ様の表情をうかがいます。


 手入れのされていないヒゲ、少し浅い呼吸──相当お疲れのようですわ。


「罪が軽くなったのですわね?」


「軽く? ふふっ、そうかもしれないし、そうではないかもしれない。君にはどう見える?」


 少しお顔を上げたことで、目元が少し見えています。──この空のような碧色の瞳は、やはり。


「罪が重なりすぎると、わからなくなりますわね。……それでは、ご用意してまいります」


「……ああ、楽しみだ。君のコーヒーは誰のものよりも格別だ。いつまでも気長に待っている」


「誰のもの? 浮気の罪は重いですわよ」


 そう言い残すと、わたくしは焙煎室へ向かいます。


 さあ、タナカ様。今日はどのような罪の味をご所望かしら?


 貴方の心に沁みる一杯を──。

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