「断罪カフェ」が断罪から免れ、教会から正式に認められて数日──カフェは前以上の賑わいを見せて、遠方からのお客様も多数訪れるようになっていました。
中にはこっそりお忍びでやってくる貴族の方々も……。
「お待たせしました。アルヴィカ・ルシアンの深煎りです」
「ありがとう。リディア」
コーヒーを提供したのはまさかのセドリック様。
「……どうだろうリディア。私とよりを戻すと言うのは……」
セドリック様の噂は、実はこっそりと先日一人で訪れたエリス様からも聞いておりました。どうやらお二人の仲は上手くいっていないようです。確かにあの無垢な演技はエリス様とお付き合いするのは大変かと思いますが、セドリック様にも大いに問題がございます。
わたくしは差し出された手を拒否し、そのままカップを押し出しました。
「わたくしを断罪したこと、忘れたとは言わせませんわよ? 今、こうして、お客様としてお迎えしているだけでも感謝してほしいものです」
そう冷たく言い放って、焙煎室へ戻ろうとしたわたくしにセドリック様はなおもしつこく食い下がります。
「た、頼む! すぐによりを戻すとは言わない! せめて一度二人きりでお茶でも──」
「お断りですわ。──それに、わたくしもうお相手は決まっておりますの」
セドリック様の顔が引きつります。
「ま、まさか……レオナール王子?」
「ご想像にお任せしますわ」
真っ黒なコーヒーを見つめまがら固まるセドリック様を置いて、わたくしは焙煎室へと向かいました。これから大切なお客様が来店されます。特別なメニューでおもてなししなくては。
*
特別なコーヒーができあがったちょうどそのタイミングで、お店の扉が開きます。クラリスが出迎える声を聞いて、わたくしは焙煎室から出てお店へと向かいました。
「お待たせした。リディア。無事にお二人を連れてくることができた。まあ、一人は頑なに来ようとしなかったのだが」
レオナール王子の後ろで居心地悪そうに黙っているのは、グレイス伯爵──つまりはわたくしの父です。そして父の横で気づかれぬように苦笑いを浮かべているのはわたくしのお母様。……変わらないですね。なによりも権威を大事にし厳格な父と、それに従うだけの母。
「こちらへどうぞ」
深く一礼して奥のテーブルへ案内すると、わたくしはコーヒーを用意してお二人の前に並べました。
「こちらが、当店のコーヒーです」
お母様にお出ししたのは、「白無垢のミオリナ・カフェ」。最も口当たりが柔らかなミオリナ・ブレンドにミルクをたっぷり入れて、花蜜を加えた一杯。ミルクの白さに隠れていますが、しっかりとコクのあるコーヒーが存在している。赦しへの希望と優しさを伝えるコーヒーですわ。
「グレイス伯爵にはこちらを」
お父様には、アルヴィカ・ルシアンの深煎りにさらに炭を混ぜた強い苦味のあるコーヒーを。さらに今回、わたくしは初めて直接コーヒー豆に火を当てる「直火焙煎」を行いました。いつものアルヴィカよりもさらに苦味とコクが一段階強くなっています。
その名も「贖罪のフォルテ・ルシアン」。
「これが、リディアのコーヒー……随分と違うのね」
遠慮がちに口を開いたのはお母様でした。
「ええ。当店ではお客様の罪に応じて豆も味も変わります。わたくしがお二人の罪に一番合うコーヒーを淹れました」
「……罪に合うコーヒー」
「やめろ」
お母様がカップに手をつけようとしたところで、お父様の硬い声が響き、空気が張り詰めました。
「コーヒーで罪が測れるわけもない。茶番だ、帰るぞ」
立ち上がろうとしたお父様に、レオナール様がお声を掛けます。
「逃げるのですか? 娘がこうして向き合っているのに。あなたは逃げるのですか、グレイス伯爵」
レオナール様の言葉の中には、見えない怒りが滲んでいます。わたくしのためを思ってくださる熱が感じられます。
王子の迫力に、お父様は黙って座りました。しかし、コーヒーを睨みつけるだけで一向に手を伸ばそうとはしません。
「……では、わたくしからいいですね?」
見かねたお母様が、先にコーヒーを飲みました。その目が大きく見開かれます。
「……お母様」
お母様の柔らかい瞳から大粒の涙が零れ落ちていました。
「こん、な……優しい……。リディア、わたくしは、わたくしは──何も……できませんでした……」
その先は声が震えて言葉になりませんでしたわ。ですが、お母様の気持ちはわたくしへとしっかりと届いていました。お母様もずっと苦しんでいたのです。何も言えず、何もできず──きっと、わたくしと同じように。
お母様の様子を横目で眺めていたお父様は、微かに震える手でカップをつかみました。
「コーヒーはただの嗜好品だ。何が変わるわけでもない」
そう呟くと一口、口に含みます。途端に顔をしかめました。
「な、なんだこの苦味は──こんな泥水なようなもの、私の口には合わない」
乱暴に音を立ててカップを置いたお父様。しかし、わたくしはそのことを予想しておりました。
罪の味は、耐え切れないほどに苦い。特に頑なに罪を認めようとしない方には、わたくしのコーヒーはただの泥水と一緒。
ですから。
「お父様。こちらの砂糖をお試しください」
わたくしは小瓶の中から黒砂糖を一つつまむと、お父様へ。お父様は一度逡巡しましたが、わたくしの手のひらから黒砂糖をつかむとコールタールのような真っ黒なコーヒーの中へ。
スプーンでかき混ぜると、香りがほんの少し変わります。苦い罪の味がすぐに受け入れられないのであれば、口あたりを変えればいいのです。
お父様は改めてコーヒーを飲みました。目が少し開き、カップを置くと、もう一度、味を確かめるようにもう一口。
わたくしはその行動に、微かな、でも確かな希望を見ました。お父様は罪を味わおうとしているのです。
カップを置いたお父様は、目を閉じると腕を組みます。
しばし沈黙が続きました。コーヒーの香りと静かな談笑が続く店内で、わたくしたちの周りだけが時が止まったようでした。
口を開いたのは、ハンカチで涙を拭ったお母様。
「諦めてください。もう、意地を張るのはやめて。リディアの想いがあなたにも伝わったはずです」
強い口調でした。わたくしの記憶がある中で一番強い口調。
お母様にたしなめられて、お父様は腕組みを解き、バツが悪そうにわたくしに視線を向けました。
瞳の中が揺れます。お父様に真正面から見つめられることは、本当に久しぶりのことでした。
お父様はすぐに視線を逸らします。
「……私は、私のやり方で貴族の責務を果たしたまで。一つの失敗が次の失敗を生み、やがてそれは混乱として広がっていく。……だから私は、お前を──赦すことができなかった」
そう言うと、お父様は自然とカップに手を伸ばしわたくしの淹れたコーヒーを口にしました。
「私がやったことは間違いとは思わない。──だが、もしかしたら他のやり方があったのかもしれぬ。……リディア、ともかくこのコーヒーは……悪くない」
お父様は顔を背けたまま、コーヒーを飲むと席を立ちました。
「今日は帰ろう。……ところで、クラリス!」
突然、お父様はクラリスの名前を呼びました。接客をしていたクラリスは慌てて変な声を出すと、走り寄ってきました。
「は、はい! なんでしょう、グレイス様」
「お前はまだグレイス家の使用人だ。この意味がわかるな?」
「へ? ええっと……まさか、お屋敷に戻れということですか!?」
お父様は首を横に振ります。隣にいるお母様はクスクスと顔を隠して笑っておりました。
「違う。リディアを支え、しっかりと守ってやれ……ということだ」
まだわからない顔をしているクラリス。代わりにわたくしが前へと出ました。
「お父様──グレイス伯爵。お心遣いありがとうございます。……そして、よければまたわたくしのコーヒーを飲みに来てください」
お父様はわずかに首を振ると、お母様を連れて何も言わずにお店を出ていきました。
お父様が去っていかれた扉の向こうを、わたくしはしばし無言で見つめておりました。レオナール様の手がそっと、わたくしの肩に添えられます。
「罪と向き合うには相応の覚悟が必要だ。グレイス伯爵はその覚悟をつくろうとしている。立派だった、リディア。君は自分の信じる赦しを貫き通した」
少しおどけたようなその言い方に、ようやくわたくしは微笑むことができました。
「ふふっ、まるで褒美のような口ぶりですわね」
「褒美というより、称賛だよ。……それに、心からの想いでもある」
レオナール様の瞳が、まっすぐにわたくしを射抜きます。王族特融の威厳をたたえながら、どこか寂しげなまなざしで。
「僕は君のそういうところに、惹かれたんだ」
「……前から言おうと思っていたのですけど、レオナール様。王子の癖に、口説き方が直球過ぎますわよ」
照れ隠しにふっと笑うと、レオナール様は悪戯っぽく目を細めました。
「だったら、罪深いこの王子をどうか赦してほしい。君を愛してしまったという、大罪を」
──なんという大胆な言葉。わたくしの胸はどうしようもなく熱くなり、言葉を見つけるのに苦労してしまいます。
「……レオナール様。そのようなお話、店内でされては困ります」
「それでは、焙煎室へ行こうか。続きはコーヒーの香りに隠して……」
甘い王子の提案にわたくしは小さくうなずきました。
「……また、罪の共有ですか?」
「ああ。だが、コーヒーよりも私は君が──」
「レオナール様。それ以上は、婚約発表のあとにしてください」
くすりと秘密を笑い合うと、わたくしたちは肩を並べてカウンターの奥へと歩いていきました。
*
そのあと、半月もしない間に王宮から正式な婚約発表がなされ、わたくしは元悪役令嬢から一転、王子の婚約者として国中の注目を浴びることになりました。
けれども──。
「ごきげんよう、本日も断罪カフェ2号店、開店ですわ!」
わたくしは断罪カフェ2号店の店主として、毎日皆様にコーヒーを淹れています。
王宮の敷地につくられた新しい断罪カフェに訪れるのは、身分も肩書きも関係なく実に様々な方。
お店の扉が静かに開かれました。やってきたのは金の刺繍がほどこされた黒フードを深く被った常連のお客様。明らかに偽名なのですが、名前は「タナカ」様です。
タナカ様は、空いていたカウンターテーブルに座ると一杯のコーヒーを注文されます。
「今日も頼む。……やはり、王宮よりもここの方が落ち着くのでな」
わたくしは込み上げてくるおかしさを我慢して、笑顔でたずねました。
「ごきげんよう、罪は自己申告でお願いしますわ!」