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第2話


その夜、僕はアルドーさんに呼び出された。名も知らないメイドがやけに片眉を釣り上げて僕に「アルドー様がお呼びです」と告げた。やがて、いそいそと忙しなく踵を返し「あぁ、もう。こんな伝言、忙しい私に押し付けないでよね」と小言を言いながら立ち去る。その背中を見て「ごめんなさい」とひとりごちた。

 廊下を歩む。夜に染まった空が窓から見えた。開きっぱなしのそこから舞い込む夜風は冷たく、身震いをする。湯浴びをした体に沁みた。

 ランタンの光でぼんやりと浮かんだ廊下をカツカツと靴を鳴らし、歩む。

 ────落ち着いて。

 僕は心臓を脈うたせていた。まさか、アルドーさんに呼び出されるとは思わなかった。憧れの彼が一体僕になんの用なのだろう。

 そこまで考え、ふと足を止める。

 ────まさか、お叱りとか?

 そう考えると身が震えた。アルドーさんの気に触ることをしてしまったのだろうかと耽っていると、赤褐色のドアの前までたどり着いた。二回ノックすると、中から低い声が聞こえる。


「入れ」


 その音に、ドキリと胸が跳ねた。「はい」と吃りながらドアを開け、部屋へ入る。中にはベッドの淵に腰を下ろしたアルドーさんがいた。

 ────わ……。

 鎧を脱ぎ、ラフな格好をしたアルドーさんが視界に入り、全身に汗が滲んだ。掻き上げている髪を下ろした姿は、威厳ある彼の表情を柔らかく、そして幼くしている。普段は見えない鎖骨があらわになっていて、ごくりと唾液を嚥下した。

 ────なっ、何考えてるんだろう、僕!

 いつもの姿とは違うアルドーさんを見て、変な気分になってしまったのか頬が染まった。それを隠すため、首を横に振る。都合よく、部屋は暖炉の火だけがぼんやりと浮かんでおり薄暗かった。故に、頬の赤らみがバレることはないだろう。


「ロル、よく来てくれた」


 彼が大きな手のひらで手招きをする。僕は導かれるように一歩足を踏み出した。彼の前で立ち止まる。アルドーさんを見下ろす形になった僕は居心地が悪くなり、手遊びを繰り返した。


「な、何か御用でしょうか?」

「お前を呼び出したのは他でもない」


 彼がポケットを漁る。


「これを直せるか?」


 差し出されたものは小ぶりな懐中時計だった。古びたそれを見て、ホッと胸を撫で下ろす。

 ────僕へのお叱りとか、そういうのじゃなくてよかった。

 僕ら魔術師は、火を出したり、風を吹かせたりすることができるほか、傷を治したりもできる。そして、継続時間は長くはないがこういう繊細な装置も修理できたりするのだ。

 僕は「はい、直せます」と返した。アルドーさんは「そうか」と言い、ベッドの淵をトンと叩いた。


「じゃあ、頼む」


 そう言い、隣へ座るよう促された。僕は「へ?」と素っ頓狂な声をあげる。


「座ってくれ」

「は、はひ……」


 僕は今、うまく笑えているだろうか。そんなことを考えながら彼の隣に腰を下ろす。最骨頂に心臓がバクバクと跳ね、呼吸さえ危うい。

 彼は手の中にある懐中時計を僕の方へ差し出す。そこへ手のひらを翳した。


「────」


 唇を噤み、目を伏せる。懐中時計を光が包んだ。やがて穏やかな暖かさが周囲を呑む。


「……はい、多分これで直りました。ご存知だとは思いますが、これは一時的な処置です。時間のある時に、専門家に見せてくださいね」


 ふぅと息を吐き出し、翳していた手を下ろす。アルドーさんへ視線を向けると、バッチリと目が搗ち合った。その真剣な眼差しに唾液を嚥下する。


「え、えっと……」

「あぁ、すまん」


 アルドーさんはパッと視線を逸らした。

 ────な、なんだったんだろう。僕、変なことしちゃったかな。

 射るような彼の強い眼差しを思い出し、全身に汗が滲んだ。

 やがて彼はごほんと咳払いをする。


「……お前は、杖を使わなくても魔法が使えるんだな」

「えぇ。僕のような熟練者は手を翳すだけで使えます」

「そうか」


 なるほど、バッレリーリ姫が杖を使っていたのに僕が素手で魔法を使ったことに疑問を抱いていたのか。先ほどの視線の意味が理解できた。


「すまないな、力を使わせてしまって。実は行きつけの修理屋が長らく閉まっていてな。どうやら店主の爺さんが腰をやったらしくて。それで、この時計を直せる者を探していたんだ」

「そうなんですね」


 アルドーさんが街の小さな修理屋へこの時計を持っていくところを想像してみる。なんだかとても可愛くて頬が緩んだ。


「その時計、かなり使い込まれていますね。いつから愛用なさってるんですか?」

「これは祖母からの贈り物なんだ。子供の頃から、使っている」


 「大事なものなんだ」と目を細める。そんな表情をするアルドーさんを、初めて目の当たりにする。

 いつもキリッとしていて、真面目で、気高い彼のほんの少しのゆるりとした隙間。その垣間見えるものを目の当たりにし、胸の高鳴りが抑えきれなかった。


「ロル」

「は、はい」

「ありがとう」


 静かに微笑んだ彼に僕は小さく悲鳴をあげそうになった。誰からも頼りにされるアルドーさんがまさか僕なんかを頼って、その上で感謝をしてくれるだなんて。

 ────嬉しい。

 喜びを噛み締めていると、不意にアルドーさんが僕へ手を伸ばした。


「あと、お前……」

「は、はい?」

「湯浴びのあとは、いつもよりさらに幼く見えるな」


 ボリュームが落ちた髪へ、アルドーさんの指が触れる。

 瞬間、時が止まったかのように僕は固まってしまった。ぽかんと口を開けた僕を見て、アルドーさんは察したのか手を離す。


「すまないな、変なことを言って」

「い、いえ。そんな……」


 気まずそうに僕から視線を外したアルドーさんが色っぽく見えて、背中に汗が滲んだ。


「ぼ、僕、子供っぽいですもんね、あはは。アルドーさんみたいに大人の男になりたいですけど、なかなか難しくて……」

「お前は、そのままでいい」


 後頭部を乱暴に掻きながら俯いた僕に、アルドーさんがキッパリと告げる。もう一度「お前は、そのままでいい」と言われ、静かに頷いた。


「あと、お前は子どもっぽくなんかないぞ」

「へ?」

「魔法を使う時、お前は別人みたいになる。あの鋭い眼差しを見て、俺はお前が一流の魔術師だと確信した」


 咄嗟に頬へ手を伸ばす。魔術を使っている時の自分の顔つきなど、意識もしたことがない。


「お前は自分を卑下しているかもしれないが、十分やってくれている。姫も、お前の頑張りをたいそう褒め称えている」


 オーブ色の切れ目が僕を捉えた。


「もちろん俺も、お前には感謝している」


 いつも見ていた威厳ある顔つきはどこにもなかった。そこには一人の人間を見守る、優しく穏やかな男がいるだけだった。

 僕は彼から目が話せないまま「こ、今後も励みます」と声を裏返しながら返事をした。



「きゃあ、アルドー様よ」


 メイドたちの声が聞こえ、僕は歩んでいた足をそちらの方向へ向けた。城内をそそくさと移動し、柱に身を隠す。そこにはメイドが複数名いた。遠くから歩いてくるアルドーさんを見て、浮ついた声を漏らしながらも、手を腹に添え、踵を揃えた。ピシッとした姿勢で待ち構える彼女らの職人意識は、さすがという他無い。陰でこそこそと盗み見している自分が情けなくなる。

 彼女らはまるで機械仕掛けの人形のようにお辞儀をした。


「ご苦労」


 前を通過するアルドーさんが手を挙げる。メイドたちはきっときゃらきゃらとした声をあげたいのだろうが、伏せた目をそのままに口を閉ざし無表情を貫いている。

 すごいなぁと感心していると、不意にアルドーさんと目が合った。咄嗟に柱の影へ身を潜めようとした僕は、固まってしまう。

 アルドーさんがフッと小さく笑い、僕へ微笑みかけたからだ。

 やがて視線を進行方向へ向け、いつもの凛々しい顔つきになる。

 僕は銅像のように固まり、数秒後に柱の影へ引っ込んだ。

 ────あ、あれ僕に微笑みかけたんだよね……?

 全身から汗が吹き出て、頬が火照る。ぐわんと揺れる頭の中、彼の微笑みが何度も何度も繰り返される。

 ────あんなことされたら、本格的に惚れちゃうよ!

 柱を背にずるずると尻餅をついた僕の耳にメイドたちの声が聞こえる。「今日はなんだか朗らかな感じだったわね」「いいことでもあったのかしら」。そんな声がどうでも良くなる程、僕はアルドーさんによって振り回されている感情をどうしようかと耽った。

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