◇◇◇
完全にあの時に惚れてしまった。
彼を見た瞬間に、雷に打たれたような感覚が全身を支配した。こんな経験をしたことがなかった俺は、どうして良いか分からなかった。
戦いの中であるにも関わらず、彼から目が離せないままだった。
彼は民間の魔術師協会に属しており、この国に襲いかかった魔物たちとの戦争に駆り出された、城下町に住まう一般市民である。
名前は────ロル・アルロル。ふわふわとした癖っ毛の髪は亜麻色。出来の良い鳥の巣を連想させた。黒々とした瞳はビー玉のようで、見つめるたびに心の奥底を射抜かれているような感覚に陥る。
彼を見た時、この戦いに出して良い人材なのだろうかと疑問に思った。
ローブ越しにもわかるほど弱々しそうな体格と、その顔つき。虫を捻り潰すことさえ躊躇しそうな穏やかな空気を孕んだ彼が、果たして俺たちと肩を並べることができるのだろうか、と。
しかし、そんな疑問は戦争が始まれば消え失せた。
「危ない!」
戦争の最中。魔物の攻撃でよろけた俺は地面に尻餅をついた。見上げれば魔物が手を振り下ろそうとしていた。鋭い爪に体を抉られたら、ただでは済まない。
避けようと体勢を整えた時、劈くような声が鼓膜を弾く。同時に激しい雷鳴が轟き、魔物へ命中した。
声のした方へ視線を投げる。そこにはロルが立っていた。泥だらけのローブを翻し、手を翳している彼はまるで別人のようだった。真剣な眼差しと噤まれた唇。氷の如く冷たい表情は、初対面のロルからは想像もつかなかった。
その時、雷に打たれた感覚が全身を支配した。ロルが発した魔法かと思ったが、いや違うと察し、しかしこの衝撃がなんなのか理解できずに、俺は固まった。
「あの、えっと。騎士さま。大丈夫でしょうか?」
俺へ駆け寄ったロルは、途端に表情を元へ戻す。その緩急も、俺をひどく苦しめた。
返事もできないまま頷く俺に、彼は朗らかに微笑んだ。
────なんなんだ、この男は……。
彼は人を惹きつけて深淵へ引き摺り込む沼のようだ。一度囚われたら最後、二度と抜け出すことはできない、そんな沼。
その時、俺は確信した。
「よかった。騎士さまが無事で」
血と泥と怒声が響く戦場で、俺は恋に落ちてしまった。
◇
その後、戦いは終息した。民への被害はほぼなく、無事に幕を下ろす結果となった。
しかし、そんなことどうでも良いほど、俺はロルという男に夢中になっていた。
どうにかして、自分の手元に置いて彼を眺めたいと考えた俺は、ちょうどその頃に「魔法を学びたいわ」と嘆いていたバッレリーリ姫の言葉を聞き、閃いた。
────彼女の専属の魔術指導者にしてしまえば良い。
そうすれば、俺とロルの距離はぐんと縮まる。そう考えた俺は、すぐさまロルを引き抜いた。
二度目の再会を果たしたロルは、やはりあの頃と同じ穏やかな空気を孕んでいた。なぜ自分が選抜されたのか分からないと言いたげな表情を崩さないまま、俺と姫へ挨拶をする。
「初めまして、姫、騎士さま。僕はロル・アルロルと申します」
その時、ロルは俺のことを覚えていないということを知り、衝撃を受けた。
彼にとって、俺は数いる中の一人の騎士でしかないということだ。いやしかし、それは仕方がないことなのかもしれないなと自分を納得させる。
────俺が一方的に、ロルへの重い感情を実らせていただけだ。
「……よろしく、ロル。俺はアルドーだ」
「アルドーさま。よろしくお願いいたします」
「アルドーでいい」
「いえ、騎士さまを呼び捨てにはできません」
「じゃあ、アルドーさんでいいんじゃない?」
姫が浮ついた声で提案した。その言葉に、ロルは目を細め頷く。「アルドーさん、よろしくお願いいたします」。手を差し伸べられる。柔らかい皮膚に触れ、俺は頭に血が上りそのまま後ろへ倒れそうになった。
以降、俺は彼を目で追い続けた。バッレリーリ姫に魔法を教える姿や、城内を歩き回り迷子になり泣きべそをかく姿。メイドたちに絡まれる姿や、腰を曲げた庭師を労い一緒に作業をする姿。
その全てを目に焼き付け、一秒でも逃すまいと見つめる。それが俺の日課だった。
きっとロルは気が付いていないだろう。騎士団長である俺から、こんな熱の籠った視線を浴びせられているなど。
いつもの温厚なロルも、魔法を使う時の勇ましいロルも、そばでずっと眺めることができる。それは幸福以外のなにものでもなかった。