「ロルってなんか妙に人を惹きつけますよね」
副団長であるジオラがポツリとそんなことを呟いたのは、朝の稽古終わりの時だった。何気なくポツリと呟いた言葉に俺は固まった。やがてジオラが視線を俺へ向ける。ギョッとした顔つきになり一歩後ろへ退いた。
「アルドー団長、顔が怖いですよ!」
「……なぜ、そう思った?」
「え? 顔のことですか?」
「違う、ロルの話だ」
俺を魅了してやまないロルの魅力。それは俺だけが知っているはずなのに、なぜジオラが知っているんだ。じろりと睨んだまま、ジオラからの返事を待つ。彼は蛇に睨まれたカエルよろしく、頬を引き攣らせていた。
「いやぁ……なんていうか、いつもはほわんとしてますけど、魔術を使う時はキリッとしてるし……なんか、そういうのが好きな人には刺さるなぁって……」
「いや別に、変な意味で言ってませんよ?」と首を振りながら俺に弁解する彼に、何も答えないまま俯いた。
────俺以外にも、ロルの魅力を知っている奴がいるなんて。
そこでハッと我に返る。もし仮に、ロルの魅力を知っている人間が他にいたら? そう考えるだけでゾッとした。
ロルはきっと断れない体質だ。屈強な男や気の強い女に告白されたら、渋々承諾するだろう。
「……アルドー団長、顔が怖いですよ」
「すまない、気にしないでくれ」
「気にしますよ! どうしたんですか? もしかしてロルが嫌いなんですか?」
そう問われ、俺は勢いよくジオラを睨んだ。「うわっ、こわ」とさらに怯えるジオラを見て、咳払いをする。
「嫌いじゃない。ちょっと、思うことがあったんだ」
「そ、そうなんですね。ただ、ロルはアルドー団長のこと大好きなんで嫌ってあげないでくださいよ」
「今なんて?」。俺は口を半開きにさせたまま聞き返した。「いや、だから……」。
「ロルはアルドー団長のこと、好いているんですよ。もしかして気が付いてなかったんですか?」
「えっ」
自分だけが好意を寄せていると思い込んでいた俺は、固まる。ジオラは掲げていた剣を下ろし、額に滲んだ汗を拭った。
「ロルはああいう穏やかな性格だから、威厳のある貴方に憧れてるんです。だから、嫌いになってやらないでくださいよ」
肩を竦め目を細めるジオラへ「俺が一方的にロルを気に入り、手元に置いておきたいからバッレリーリ姫の魔術指導者にした」と言ってしまえば、どんな表情をするのだろう。そんなことを脳内で考えながら、一つ頷く。
────ロルが、俺を……。
そう考えると、ドキドキと胸が鳴った。
◇
小鳥たちが戯れるような声に導かれるかの如く足が進む。中庭で軽装に着替えたバッレリーリ姫とロルがいた。バッレリーリ姫が松明についた炎を消そうと奮闘し、その様子を微笑ましくロルが眺めている。
────今日も、愛くるしいな。
まるで我が子を見守る親のような表情をしているロルは目を細め、杖を持つバッレリーリ姫を応援している。「バッレリーリ姫、できますよ。集中して」「わ、わたくし、もしかしたら才能ないのかも知れませんわ」「いえ、そんなことないです。できますよ」。ロルが鼓舞を続けた。
「ロルぅ、わたくし、もう無理ですわぁ」
「集中して、できますよ」
「ああう」
「がんばれです、姫さま」
二人のやりとりを見ていると自然に口角が緩んだ。口元を手で押さえ、城内の柱に身を潜める。「もうお茶にしません?」と泣きべそをかくバッレリーリ姫にロルは「始めたばかりでしょう?」と呆れている。
────俺も、学んでみるか?
俺はずっと剣士として生きてきた。腕を認められ、今の地位に辿りついた。故に、魔術とは縁がなく、使いたいと思ったことは一度もない。
────そうすれば、ロルにああやって指導してもらえるかもしれん……。
不純な想いとバッレリーリ姫に対する嫉妬に気がつき、自分を酷く恥じた。まさか、男らしいと思っていた自分の中にこんな一面があるとは。
────そんな俺を引き摺り出すだなんて、恐ろしい男だ。
「ロル、お手本を見せてくださいまし」
「わかりました」
ロルが手を翳した。瞬間に先ほどまで笑っていた表情が一気に真剣なものへと変貌する。その顔の動き一つ一つを食い入るように見つめた。
瞬間、刃のような鋭い風が松明の炎を切り裂いた。ビュウと短く、しかし力強い音が響き、燃え盛っていた火が消える。
翳していた手を下ろし、いつも通りの表情に戻ったロルの瞳に、俺は唇を舐めた。
「……やっぱり、すごいですわロル! あんな一瞬で魔法を出せるなんて」
「あ、あはは、一応、魔術師として生きていますから……多少は……」
後頭部を掻きながらバッレリーリ姫の言葉を躱わすロル。健気なその様子は、さらに俺を沼へ引き摺り込んだ。
ふとポケットへ手を伸ばす。入っていた懐中時計を取り出し、眺めた。
────あの夜。
ロルに壊れた懐中時計を直してほしいと告げた夜が脳裏を駆け巡った。湯浴びが終わった後の彼はほんのりと石鹸の匂いを漂わせており、理性を抑えるのに必死だった。
懐中時計を直すようにと言った俺の命令に従い魔法を使う姿は、思い出すだけで胸が苦しくなる。出来ることなら、永遠に眺めていたいほどであった。
「わたくしも、頑張りますわ」「えぇ、姫さまならきっとできます」。二人の声が混じり合う中、遠くから俺の名を呼ぶ声が聞こえた。
「あら、アルドーさま。ご機嫌よう」
歩み寄ってきたのはメイド長のレルバンだ。彼女はおおらかで人当たりがよく同じメイドたちからも、城の人間からも評判がいい。
一つ欠点があるとすればそれは────声が非常に大きいというところだ。
「……アルドー? そこにいるんですの?」
中庭で修行をしていた二人がこちらへ視線を投げる。レルバンも二人に気がつき、お辞儀をした。
「お二人とも、修行ですか。良いですね。ところでアルドーさま、柱の影に隠れて一体何をしていたのですか?」
悪気がないのはその目を見ればわかるが、どうやらレルバンはなんでも口に出してしまうようだ。俺は額に手を当て、唸った。
「あらっ、アルドー。まさか、盗み見ですの!? いやですわ、わたくしが失敗する様を眺めて楽しんでいます?」
「姫、それは被害妄想が過ぎますよ……きっと、アルドーさんは心配してるんです」
ロルがすかさずフォローに入る。「では、私は失礼いたします」とレルバンは白い歯を見せ立ち去っていった。
俺は居心地が悪いまま、彼らの元へ向かう。仁王立ちしたバッレリーリ姫がムッとした表情を崩さないまま俺を睨んでいる。
「盗み見なんて、していませんよ。たまたま通りかかったので、見ていただけです」
「本当ですの? 失敗した私を見て、お父様に報告しようとしているのでは?」
「まさか」
彼女の父であるシロル王は、バッレリーリ姫が魔術を覚えようと躍起になっていることに反対していた。女が戦う術を身につけるだなんて────という古臭い考えからくる反対意見ではなく、彼女が火傷したり怪我をしたりすることに対して不安感を抱いているらしい。
「あの子が魔術から興味を無くすにはどうしたらいいと思う?」と涙目でシロル王に縋られた思い出が鮮明に蘇った。
「報告なんてしませんよ」
「あら、そう? では、もしかしてアルドーも魔法を教わりたくて?」
杖を持ったバッレリーリ姫がキラキラとした目で俺を見つめる。グッと息が詰まった。ロルへ視線を投げると、彼はきょとんとした目で俺を見ている。
────これは、チャンスか?
ロルに魔法を教わるいい機会かもしれない。俺はゴホンと咳払いをし、腕を組んだ。
「……そうですね。興味は、あります」
「あ、ありますか?」
ロルが咄嗟に声を上げた。バッレリーリ姫が「お揃いじゃない!」と嬉しそうに跳ねる。
「じゃあ、ロルに教わるといいわ。ねぇ? ロル、アルドーにも教えることできるわよね?」
「できますけど……」
「じゃあ、わたくしとアルドー、どちらが先に炎の魔法を出せるか勝負しましょう!」
子供のようにキャラキャラと笑うバッレリーリ姫と、困った表情を浮かべるロルを交互に見る。まさか俺に魔法を教えるのは不服なのだろうかと眉を顰める。
ロルが胸元で手を握りしめた。
「騎士団長であるアルドーさんに、僕が教えるなんて……」
「あら、不満ですの?」
「違います、光栄なんです……」
俯いたロルに、心臓が締め付けられた。倒れそうになる足を踏ん張り「気負うな」とぶっきらぼうに告げる。ロルは視線をあげ、頷く。
「頑張ります」
「……あぁ。頼んだぞ。じゃあ俺は、ここら辺で失礼します。バッレリーリ姫、怪我をしないように気をつけて」
「えぇ。お互いに頑張りましょ!」
踵を返し、立ち去る。後ろの方で「負けないわよ」とはしゃぐバッレリーリ姫の声が聞こえる。
俺は拳を握りしめ、緩む口元を元に戻そうと必死だった。