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序3

 ―――しかし。


 死は来ない。


 鋭利な鉄塊が振り下ろされたのと、ふわり、と平衡へいこう感覚が薄れたのは、ほとんど同時。


 身体が空を舞ったのだと意識できたのは落下し始めてからで。


 遙希はるきは、わずかな滞空の感覚の後、投げ出されて……アスファルトにはげしく尻餅をついていたのだった。


「え?」


 思わず疑問が口をついて出て、それから生きているのだと気づく。


 だから、目線の先でなにが起きているのかを、すぐには理解できなかった。


 理解できたのは、たったひとつだけ。


 そう、そこには……


 ―――女生徒が、いた。


 すらりとした四肢の、背の高い女の子。


 後ろ姿なのに、それだけで涼やかなかおをした美少女だとわかる、凛とした立ち姿で。


 彼女は……


 振り下ろされた巨人の刃の目前、その中空に立っていた。


 違う。


 彼女は自らの身の丈よりも長い「銀色をした槍」をアスファルトの地面に突き立て、その頂点につま先で立っていたのだった。


 理解する。


 あの一瞬で自分は救われたのだと。


 振り下ろされた段平だんびらが遙希に届く間際、あの娘が自分をあの槍にひっかけてここまで投げ飛ばしたのだと。


 その彼女は、槍の上から甲冑を見下ろしている。


 長い、わずかに色素の薄い栗色の髪をした彼女は、遙希と同じ学校の制服を纏っていて。なのに遙希には今、彼女に別の姿が重なって見える。


 幻視は、彼女の本質を語る。


 わずかに青みがかった白い髪は、どこまでも澄みきった氷の色。その髪は羽根飾りをあしらった、ユニコーンをかたどった兜からあふれるように流れ出でて。


 ふくよかな胸と、しなやかな四肢を覆う鎧は真珠の七色に輝き。深いスリットの入った長いスカートをオーロラのように風にたなびかせている。


 それは戦場を睥睨へいげいする、戦乙女。


 美しい……


「ワルキューレ……」


 思わず漏れた遙希のつぶやきに、槍の上の彼女が、ほんのわずか肩を震わせ、しかし、彼女はそれ以上の反応をすることなく、正面の巨人甲冑に言葉を投げる。


「そこの魂は、熟していない、そうわからない?」


 端的にすぎて彼女たち以外にはわからないのであろう言葉の直後。


 たったそれだけで決裂が確定したのか、双方が、同時に動く。


 ―――赤い巨人甲冑は、大太刀を地面から引き抜いて勢いよく後ろへと振りかぶり。


 ―――娘は足下の槍を引き抜きながら飛びすさり、着地と同時に地を蹴った。


 危ないなどと、遙希が思う間もない。


 ほんの一瞬の間に、甲冑の段平が三度、虹色の暴風をまとい振るわれ。長い髪の美少女は、槍を三本目の脚のように操り、軽やかに、舞うように三連撃を避け、かわす。


 その様はまるで、風に舞う木の葉を捕まえようとする手が空を切るがごとく。


 何度振るわれても、烈風を凪ぐ甲冑の刃は、槍の娘に届かない。


 その戦いの中、踊るように刃を躱す娘の素顔が、わずか垣間見える。


 想像を裏切ることなく、いや、後ろ姿から受ける印象よりも更に……舞う栗色の髪、その狭間にのぞく彼女のかんばせは……怜悧で、澄みきって、なお美しかった。


 やがて、勝負は決する。


 それまで一撃を繰り出すこともなく、ただ剣風を避けることに徹していた娘はふいに、焦れた巨人甲冑が突き出した刃へと向け跳躍し、更に刃の先を蹴って、舞う。


 空中でアイススケートのアクセルのように回転した彼女は、と、甲冑の胸元に埋め込まれた女性型のレリーフ……その肩へとつま先立ちで着地する。


 そして。


 手にした槍の切っ先を、甲冑の首と胴体を繋ぐ隙間にぴたり、と向ける。


 彼女はたった一度の攻防で、そこへ一撃を突き込むべく狙いを定め終えていたのだった。


 双方の動きが止まる。


 娘は動かず。


 甲冑は動けない。


退きなさい」


 槍の娘の言葉に、甲冑は無言だった。


 やがて、周囲にふたたびオーロラが立ちこめはじめたのを確認すると、娘は甲冑の胸から飛び降りる。負けを認めたのだろうか、赤い巨人甲冑は、娘の言葉に応じるようにして、舞台の袖へと退く役者のように光のヴェールの中に姿を消した。


 娘はそれを見送ると、長い槍の切っ先をおろして地面に向ける。彼女が頭をひと振りすると、それだけで癖のない栗色の髪はさらりとまとまって整い、背に垂れた。


 戦いは終わった……のだろう。派手な斬り合いなどはなかったが、娘がひとりで甲冑を圧倒し、退かせたのだ。


 オーロラが消える。気付けば、指先にあった幻の金属の冷たい感触も消えていた。


「助かった……」


 地面に尻餅をついたまま、遙希はつぶやく。


 間違いなく、目の前の美少女が遙希を助けてくれたのだった。


 その彼女は振り向く。


 振り向いて、氷のような眼差しを遙希の背後に向けたまま、表情を微塵も和らげることなく歩いてくる。


 彼女を、知っていた。


 遙希と同じ北照ほくしょう高校の二年生、皆が認める、比肩する生徒などいない、麗人。


 美女になることを約束された、北照高校一の美少女。


 だから知っている。 


 知ってはいるが、あまりに遠すぎて言葉を交わしたことなど一度もない。しょせんその他大勢のひとりである遙希にとっては、憧れても手の届くことのない殿上でんじょう人。


 ゆえに憧れたことすらない、そんな一年上の先輩。


 彼女は、目を合わせることもなく遙希の横を通り過ぎ……


 そうして。


 すれ違いざま、確かにこう言ったのだった。


「愛してる」


 それだけならば、甘いささやきだったかもしれない。


 だが、言葉は尾を引く。


「愛してる……だから」


 だから?


「だから、殺すわ」


 こうして、輪廻は現世に至り。


 最後の物語が、はじまる。

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