―――しかし。
死は来ない。
鋭利な鉄塊が振り下ろされたのと、ふわり、と
身体が空を舞ったのだと意識できたのは落下し始めてからで。
「え?」
思わず疑問が口をついて出て、それから生きているのだと気づく。
だから、目線の先でなにが起きているのかを、すぐには理解できなかった。
理解できたのは、たったひとつだけ。
そう、そこには……
―――女生徒が、いた。
すらりとした四肢の、背の高い女の子。
後ろ姿なのに、それだけで涼やかな
彼女は……
振り下ろされた巨人の刃の目前、その中空に立っていた。
違う。
彼女は自らの身の丈よりも長い「銀色をした槍」をアスファルトの地面に突き立て、その頂点につま先で立っていたのだった。
理解する。
あの一瞬で自分は救われたのだと。
振り下ろされた
その彼女は、槍の上から甲冑を見下ろしている。
長い、わずかに色素の薄い栗色の髪をした彼女は、遙希と同じ学校の制服を纏っていて。なのに遙希には今、彼女に別の姿が重なって見える。
幻視は、彼女の本質を語る。
わずかに青みがかった白い髪は、どこまでも澄みきった氷の色。その髪は羽根飾りをあしらった、ユニコーンを
ふくよかな胸と、しなやかな四肢を覆う鎧は真珠の七色に輝き。深いスリットの入った長いスカートをオーロラのように風にたなびかせている。
それは戦場を
美しい……
「ワルキューレ……」
思わず漏れた遙希のつぶやきに、槍の上の彼女が、ほんのわずか肩を震わせ、しかし、彼女はそれ以上の反応をすることなく、正面の巨人甲冑に言葉を投げる。
「そこの魂は、熟していない、そうわからない?」
端的にすぎて彼女たち以外にはわからないのであろう言葉の直後。
たったそれだけで決裂が確定したのか、双方が、同時に動く。
―――赤い巨人甲冑は、大太刀を地面から引き抜いて勢いよく後ろへと振りかぶり。
―――娘は足下の槍を引き抜きながら飛びすさり、着地と同時に地を蹴った。
危ないなどと、遙希が思う間もない。
ほんの一瞬の間に、甲冑の段平が三度、虹色の暴風を
その様はまるで、風に舞う木の葉を捕まえようとする手が空を切るがごとく。
何度振るわれても、烈風を凪ぐ甲冑の刃は、槍の娘に届かない。
その戦いの中、踊るように刃を躱す娘の素顔が、わずか垣間見える。
想像を裏切ることなく、いや、後ろ姿から受ける印象よりも更に……舞う栗色の髪、その狭間にのぞく彼女の
やがて、勝負は決する。
それまで一撃を繰り出すこともなく、ただ剣風を避けることに徹していた娘はふいに、焦れた巨人甲冑が突き出した刃へと向け跳躍し、更に刃の先を蹴って、舞う。
空中でアイススケートのアクセルのように回転した彼女は、
そして。
手にした槍の切っ先を、甲冑の首と胴体を繋ぐ隙間にぴたり、と向ける。
彼女はたった一度の攻防で、そこへ一撃を突き込むべく狙いを定め終えていたのだった。
双方の動きが止まる。
娘は動かず。
甲冑は動けない。
「
槍の娘の言葉に、甲冑は無言だった。
やがて、周囲にふたたびオーロラが立ちこめはじめたのを確認すると、娘は甲冑の胸から飛び降りる。負けを認めたのだろうか、赤い巨人甲冑は、娘の言葉に応じるようにして、舞台の袖へと退く役者のように光のヴェールの中に姿を消した。
娘はそれを見送ると、長い槍の切っ先をおろして地面に向ける。彼女が頭をひと振りすると、それだけで癖のない栗色の髪はさらりとまとまって整い、背に垂れた。
戦いは終わった……のだろう。派手な斬り合いなどはなかったが、娘がひとりで甲冑を圧倒し、
オーロラが消える。気付けば、指先にあった幻の金属の冷たい感触も消えていた。
「助かった……」
地面に尻餅をついたまま、遙希はつぶやく。
間違いなく、目の前の美少女が遙希を助けてくれたのだった。
その彼女は振り向く。
振り向いて、氷のような眼差しを遙希の背後に向けたまま、表情を微塵も和らげることなく歩いてくる。
彼女を、知っていた。
遙希と同じ
美女になることを約束された、北照高校一の美少女。
だから知っている。
知ってはいるが、あまりに遠すぎて言葉を交わしたことなど一度もない。しょせんその他大勢のひとりである遙希にとっては、憧れても手の届くことのない
ゆえに憧れたことすらない、そんな一年上の先輩。
彼女は、目を合わせることもなく遙希の横を通り過ぎ……
そうして。
すれ違いざま、確かにこう言ったのだった。
「愛してる」
それだけならば、甘いささやきだったかもしれない。
だが、言葉は尾を引く。
「愛してる……だから」
だから?
「だから、殺すわ」
こうして、輪廻は現世に至り。
最後の物語が、はじまる。