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1:2/鳥居の荊姫

 子供の頃から、オーロラを見る。


 だれも見ない、遙希はるきだけが見るオーロラ。


 それこそ物心ついた頃から、ずっと。


 美しいのに恐ろしいような……最初は自分にもそれが何なのかわからなくて。やがてそれが図鑑やテレビで見る『オーロラ』というものにとても近いことを知って。みなに説明しようと、必死で「オーロラを見た」と口にするようになって。


 結果、今度は誰も信じてくれなくなった。


 オーロラは日本では滅多に見られないもの……なのだそうだ。


 そう何度も何度もさとすように教えられ続け、遙希は嘘をついているのだと言い聞かされて、長い時間の末に、それが「自分にしか見えないもの」なのだと理解した。つまりは、オーロラが見えるとき、指先に触れる冷たい金属の感触も、オーロラに伴って現れる目眩めまいも……すべてが幻で、おかしいのは自分なのだと、そう納得したわけだ。


 表向きは。


「だけどなぁ……」


 つむぎとは別の道を学校へ向かいながら、ひとりごちる。


「見間違え、じゃぁないよなぁ」 


 民家もまばらな緑の多い田舎道を歩きながら、遙希の心は、金曜日の夜からずっと、ひとつことにとらわれたままだった。


 それは、赤い鎧の巨人から遙希を助けてくれた女の子のこと。


 長い銀色の槍を振るい、スカートをなびかせて軽やかに宙を舞う、制服姿の美しい娘。


 綺麗な上級生……あれは……


「背羽先輩だよな……」


 暗い夜道ではあったけど、オーロラの光を背負って戦うあの美少女は、たぶん美術部の背羽氷夜香先輩に……少なくとも遙希にはそう見えた。


 あの夜のことはわからないことだらけだった。


 いつもより強い目眩と、見たこともないはっきりとした幻視。


 オーロラの中から現れた、赤い和風甲冑の巨人。


 銀の槍を手に立ち回る、綺麗な上級生。


 去り際につぶやかれた、「あいしてる」。


 そして。


 だから「殺すわ」……という言葉。


 なにもかもが理解の範疇はんちゅうを超えていて、なにもかもがもやもやする。


 あれが本当は誰だったのか。その確信がもてないことに、彼女が残した言葉の意味がわからないことに、そして、霞がかかったように見つからない心の置き所に、判然としないわだかまりがつのる。


 おかしいことはわかっている。


 なにがって、自分が。


 だって自分は死にかけたのに、なのに、こうして当たり前のように登校している。


 巨人の存在そのものに現実感がないとか、目の前で行われた戦いが人間の限界を無視しているだとか、そんなことは関係ない。


 殺されかかった、助けられなければほとんど死んでいた状況で……しかも相手は正体すら不明だというのに。あれで終わったという保証すらなくて、今日だって襲われるかも知れないのに……それなのにこうして、のうのうと学校へ向かっていることそのものがおかしい。


 おかしいのに。


 遙希は、殺されかかったという事実よりも、あの女生徒が何者なのか、それだけに心とらわれている。


 危機感すら押さえつけて遙希の心を支配しているそれは、『わかるかもしれない』という想い。


 今まで否定されることしかなく、遙希以外には誰もいなかった『オーロラの輝く世界』……あの「赤い和甲冑」と「銀の槍の美少女」は、遙希だけが孤独に存在していたあの世界にはじめてやってきた、あの『世界』ではじめて出会った自分以外の人間だったから。


 彼女になら、理解してもらえるかもしれない。


 このオーロラがなんなのか、説明してもらえるかもしれない。


 ……そしてもうひとつ。


 立ち去る彼女を待っていた、青年。


 そうなのだ。「殺すわ」という言葉を残した彼女はその後、遙希に興味を無くしたように、彼女を待っていた歳上らしき青年の元へと向かったのだった。


 背の高い青年だった。


 決して遙希も背の低い方ではないが、それを抜きにしても長身と言って差し支えのない、すらりとした、それでいて力強いシルエットの青年だった。


 遙希を助けたあの娘は、遙希を置き去りにして、その青年とふたりで立ち去った。


 いったいあの男は、彼女のなんなのか……


「……るきさんっ!」


(……?)


 呼ばれて立ち止まる。


「まさか姓名を並べて呼び立てなくてはなりませんか? 門叶遙希さん」


 なんだかバカにするようなイントネーションの物言いに振り向くと、小さな神社の鳥居前に、隣町にある高校のセーラー服を着た娘がいた。


 艶やかな黒髪を赤いリボンでまとめ、竹箒を手に鳥居周辺を掃除する彼女は、この神社の管理をする神職のめいという話だ。そんなに深い付き合いではないため、下の名前が「いばら」さんであることは知っていても、残念ながら名字は知らないのだった。 


「ああ……おはよういばらさん」


「おはようございます」


 彼女は律儀りちぎに会釈、というには少々深すぎるお辞儀などしてから言う。


「ときに門叶遙希さん、めずらしいですね。常時十八女さかりのついた犬のようなあなたが、わたくしに話しかけることもなく通りすぎてしまうなんて」


「へこむわー」


 どうにもひどい言われようだ。


 しかも黒髪ストレートロング前髪ぱっつん清楚な日本美人でございマース! な、いばらにそういうふうに言われると、よりきっつい気がする。


 彼女と挨拶をするようになったのは、梅雨の足音が迫る六月頭のこと。お隣に住む発泡つむぎと同じ高校に進学した遙希が、つむぎとは別の道を使って通学するようになってしばらくしてから、こうして通りがかりに話すようになったのだった。


 きっかけはもう覚えていない。この神社の前で毎朝掃除をしている女の子がいて、いつの間にか短い挨拶をかわすようになって、いつの間にか親しくなった。学校では徹底して他人との会話を避けているせいで、ほとんど女子と話すことのない遙希にとっての彼女は、つむぎと並ぶ数少ない、屈託なく話せる貴重な女の子のひとりというわけだ。


 しかしていばらは、そんな遙希の気持ちになど頓着とんちゃくせず。 


「いえ、互いに手をつなぐことさえ知らない貧弱なお脳ニューロンでずいぶんと考え込んでいたようですので。この土日の間、たまさかになにかおありでしたか?」


「心配してくれてるんだよな、それ」


「まあ、多少は。毎朝のように『弁当を作ってくれ』といい加減しつこくて鬱陶うっとおしいことこのうえない遙希さんですが、まるで言われないのも、それはそれで寂しいのです。もちろん応える気はありませんが」


「ないんだ」


「はい」


「いばらさん愛してる。オレのために弁当を作ってほしい」


「お断りします」


 ばっさり。


 まあ仕方があるまい、と今日もあきらめる。学校も違うので彼女の私生活はよく知らないけれど、いばらレベルの女の子に恋人がいないわけもあるまい。


 こうやって相手をしてくれるだけでも、分不相応の幸せというものだ。


 でも一応。


「けちー」


「しつこいですよ?」


「むぅ、なぜさよ。孔明こうめいだって三回お願いしたらOKしたって、ともだちから聞いたぜ?」


劉備りゅうびと孔明はデキてますから」


「できてる!?」


 理解できていない遙希の様子に、ふっと蔑みを浮かべて。


「自明ですね。とにかくお弁当は作りません」


「ちぇーっ。五十回くらいは頼んでる気がするけどなー。可愛い女の子の弁当サマがお昼に待ってるってだけで、一日がんばる気にもなれるってもんなのに」


 いばらは可愛いと言われてもほほを染めることすらなく、やれやれ、と肩をすくめ。


「出会ったその日から数えて六十二回目ですね。とにかく、お弁当を作って差し上げることそのものはやぶさかではありませんが、遙希さんが本気ではないのでイヤです。誰のお弁当でも良いだなんて、思春期の乙女とお弁当に対する冒涜ぼうとくというものですよ」


「む……いばらさんがオレだけのためにお弁当作ってくれるなら、一生いばらさん以外の女の子見ない自信あるけどなー」


「安い誠実ですね。一昨日きやがれです」


 遙希の誠実を一蹴して、そのくせ、いばらはとても良い笑顔を見せる。


「とにかく、すこしは元気が出たみたいでなによりです。なにを悩んでいるのかは知りませんが、気になることがおありなのであれば、それは行動あるのみというものでしょう。勇者というのは、そういうものではありませんか?」


 そりゃまあ、勇者なら。

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