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1:5/『天狼火炎焱(てんろうほむら)』

 氷夜香を狙って天空から降った、炎の色をした光。それが屋上に突き刺さり、熱を伴った烈風が周囲を蹂躙する。


 屋上は、惨状といっても良い有様だった。氷夜香の立っていた場所には彼女の姿は無く、かわりに薙刀のごとき形をした巨大な槍が突き立っていて、そこを中心にクレーターのように溶けえぐれていた。


「せ、背羽先輩っ!?」


 愕然として叫ぶ。氷夜香は学校の先輩だ。それが一瞬で消し飛んでしまったのだ。いくら彼女が遙希の命を狙って来た相手とはいえ……


 否。


 心配するまでもなく氷夜香は無事だった。


 あのタイミングでどう飛び退いたのか、彼女は制服の短いスカートに風をはらませ、薙刀を挟んでちょうど遙希の対岸側に、つま先から降り立ったところだった。


 彼女は遙希に一瞥をくれ、なにごとかを確認してからふたたび空を見上げる。


 遙希もつられて上に目を向ける。そこには、なにもない夜空に立つようにして、金曜日の夜に見た巨人、赤い和甲冑が浮いていた。


 氷夜香はつぶやく。


戦乙女の馬アウルーラ……フルンドが……また?」


 アウルーラ、という聞き慣れない単語。そんな独り言じみた問いに答えるように、赤い甲冑が空から氷夜香に言葉を投げる。


王神オーディンの娘ともあろうお方がお褒め欲しさに泥棒ネコですか。先日は手を出すなと言っておいて、今日は刈ろうとする。実に気ままな良いご身分だと言わせていただきます』


 意外なことに、それは女性の声だった。鎧を通しているため元の声とは当然違うのだろうが、それでも十二分に可憐さを感じさせる、多分それは少女の声音だ。


 もっとも、言葉の強さ、物言いの激しさは、可憐とはほど遠いもので。


『恥を知り、手をお引きなさい、その方の魂はわたくしのものです!』


 甲冑はそう言い切ると、巨体を突然、クレーターの中心へと落とす。


 轟音。


 校舎そのものを震わす地響きをたてて着地したそれは、なぜだか遙希を背にかばうようにして、氷夜香に相対する位置をとった。


 遙希のところから見ると、薙刀に手をかけた甲冑が遙希の目前にいて、氷夜香の姿はその向こうにある。


 金曜日は赤い甲冑に殺されかかって氷夜香に救われ、今日は氷夜香に命を狙われて赤い甲冑に救われている。先日の夜とまるで逆転してしまった状況に、遙希はただ混乱するしかない。


 ……ない、のだが、そんな遙希の戸惑いをよそに、ふたりは遙希を無視して言葉を交わす。


「その人は。あなたのものではありません」


『なるほど、それでは王神様のものだと言いますか?』


 しかし氷夜香は、その問いには答えず。


「……そもそも、あなたが彼を狙ったりしなければいいだけのこと」


 と、責める。


『意味が不明です。そもそもわたくしたちの役目は、英雄の命を刈り王神様の元へとお連れすること。いつ、どのように命を刈り取るかは、わたくしたちの判断にまかされているはず!』


「話にならない」


 冷たい吐息をひとつ。


「知っているはず。魂というものは、育てなければ運命の時を塗り替える役に立ちはしないと」


『それがなにか?』


「育ってすらいない英雄をどれだけ集めても意味はないでしょう? 父神様の望みは最終戦争を戦い抜く無敵の軍勢。あなたのしていることは、父神様の意に反する行為。独占欲と名誉欲の暴走でしかない」


『独占欲! 名誉欲! そのために数をそろえる! それのどこが悪いのです? まさかそこの少年が神々の運命を書き換える英雄であるとでも? 寝言は寝てから言うものだと習いすらしなかったのですか? ああ、もしかして―――そこの少年に恋慕れんぼの情を抱いているとか? まさか、この程度の魂しか持たない、英雄のひな、いえ塵芥ちりあくたのごとき英雄もどきに?』


 しん、と場が静まりかえる。


 どこに逆鱗があったのか、冷たい沈黙が、場を支配する。


 やがて。


「そう、恋慕はいけないこと? ワルキューレがそれを言うの?」


 氷夜香がつぶやいたのは、零下の意志はらむ、そんな言葉だった。


「―――恋をしたことも、ないくせに?」


『な……』


 あまりに静かでありながら怒気を隠そうともしない、問いかけの体裁をとった断定に赤い和甲冑の巨人がひるむ。


 しかし氷夜香は、甲冑のフルンドの動揺を無視する。彼女は目の前の空中にコイン大の石を放って、槍をひと振り。石を槍の先にある窪みへと収め、先と同じように『ティール』とつぶやく。


「なら相手をさせてもらうわ」


 つぶやき、その槍の先で彼女が中空に描いたのは、上を向いた矢印の形。


 先に指先で縦一文字を描いたときのように、光が空中に軌跡を描き、瞬間、光のヴェールが彼女の身体を包み、はじけるように消える。


 舞い散った光が、氷夜香の髪を煌めく色へと染めていた。


 栗色だった髪は白く透き通り、わずかに青みがかった氷河の色へ。それを、まるで白糸にて編まれた滝のように背中に流し。


 彼女は、戦乙女のいろで、戦場に姿を現す。


 それは、遙希が金曜日の夜に氷夜香に重ねて見た戦女神そのままの髪の色だった。


 美しい、と、そう思う。


 遙希が今まで見てきた、どんなものより、どんな女性よりも神秘的な魅力を孕む、美しい乙女が、そこにいた。 


 しかし赤い巨人甲冑が氷夜香に向けた感情は、まったく違うもの。


『まさか、生身ですかっ!?』


 叫びと同時、なんの宣告もなく、いきなり薙刀を抜き、足許に振り下ろす。


 天までをも震わす轟音を伴わせ、先の反り返った刃を目の前の屋上にたたきつけ更に激昂する。


虚仮こけにされたと受け取りましょう! ワルキューレ同士の戦場においてなお、私ごときを相手には戦乙女の馬アウルーラはおろか、戦装束を纏うまでもないと! この戦場にありて最強の証、狼のケニングにある我が戦乙女の馬アウルーラを、歯牙にもかけぬと!』


 氷夜香は、やはり答えない。


『後悔なさいませ! 恋を知らぬとさげすんだこと! 戦装束さえまとわぬこと……この屈辱、我が刃にてあがなわせましょう!』


 言葉と同時、赤い甲冑が屋上を蹴り、飛翔する。


 揚力を得て滑空するのではない。ただ浮かび上がるように天へ上り、上空でぴたり、と静止したのだった。


 狼が咆哮ほうこうするがごとく、名乗りを上げる。


『刻みませい! 我が名はワルキューレ“フルンド”、狼のケニングにある戦乙女の馬アウルーラ天狼てんろう火炎焱ほむら』を駆る戦乙女ワルキューレであると!』


 天より薙刀の先を氷夜香に向け、朗々と、高々と。


 遙希には、いったいなにが行われているのか理解が届かない。


 わかったのは三つ。


 あの巨大な甲冑は、アウルーラという物であること。


 中に乗っている誰かの名は『フルンド』というらしい、ということ。


 そしてふたりが互いを、いわゆる「ワルキューレ」であると、そう語っていること。


(ワルキューレ……?)


 聞いたことのある響きだった。


 小説で、ゲームで、漫画で、そしてつむぎの部屋にあった神話の本で見たことのある言葉。


 北欧の神話に登場する、戦女神たち。


 彼女たちは、そのワルキューレだと言う。


 でも、それはあくまで活字や絵やお話の世界のことであるはずで……


「逃げて」


 氷夜香が、遙希の思考を断ち切るように言う。


 囁くがごとく、しかし強く。確かに彼女は、遙希に向けてそう言ったのだ。

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