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1:7/背羽リヒト

「……黄金なす、痛み?」


 氷夜香の声は、呆然として。


 対して。


『……見つけた! この方が、わたしだけの英雄様!』


 フルンドの声は、歓喜に満ちあふれていた。


 ふたりが、いやその場の全員が視線を吸い寄せられているその剣は、装飾に彩られてなお質実を損なわぬ剛剣だった。 


 刃の表面は、まるで血に染まった蛇がはうような刃文に彩られていて、亀裂のように入った細い細いスリットから、黄金色の力が、光となってあふれ出している。


 遙希には、わかる。


 今手にしているこの黄金の輝きこそが、何年も前から目眩とともに遙希の指先に触れてきた、幻の感触の正体。


 わかる。これは遙希が持つべき剣で、ずっと遙希を待っていた彼自身の片割れなのだと。


 その黄金を手に、遙希は言う。


「たのむから、ふたりともやめろっての!」


 遙希の前から、フルンドの赤いアウルーラは数歩を下がる。


 が、しかし。


 それと同時に遙希の手の中から、冷たい金属の感触が消えた。


「え?」


 どういう理屈なのか、よりによってのタイミングで、黄金の光放つ剣は姿を消していた。


 つまり、勢い込んで割り込んだのに頼る武器を失ってしまい、遙希は動揺せざるをえないのだった。


 冷や汗が背中を伝う。


「あ、えーっと……」


 そんな遙希の前に、まるで遙希を護るように氷夜香が立つ。槍を手放してしまっている彼女は、これまでの戦いで何度も使った、幾何学的な文字らしき記号が刻まれたコイン大の石を手に身構えていた。


 半壊したアウルーラのフルンドと、槍を失った氷夜香が改めて対峙する。その向こう側から、フルンドのつぶやきが聞こえる。


『胸が、苦しいほどに高鳴っています』


 誰に向けるのでもない、自分自身に向けたつぶやきだった。


『なるほど、恋慕とはこのような……』


 短い沈黙。


 そうして彼女は、氷夜香にではなく、たぶんはじめて遙希に声を向ける。 


『決めました。門叶遙希殿、あなたが、わたくしの……わたくしだけの勇者……いえ英雄であると!』


「え、なに? 俺の名前を知ってる? なんで? 英雄?」


 しかし遙希の言葉はさらりと流される。


「言ったはず。彼はあなたの物じゃないと」


『決められるわれはありません』


(……っていうかさ)


 今になって気付く。これではまるで、ふたりが遙希を取り合っているようではないか。


「な、なあ背羽先輩、どういうことだよこれ。英雄って、まさかオレのことだったりする……のか?」


 その言葉に、氷夜香の背筋がこわばったような気がしたのは、文字通り気のせいだろうか。


「えっと……オレ、モててる?」


 わざとふざけたように目の前の背中に問いかけてみるが、返事はない。


 かわりに、氷夜香はほんの一瞬だけ振り向いて遙希を一瞥する。その瞳はぞっとするほどに冷たい、蔑みすら含んだ、いわゆる零下の視線だった。


「あ、そんなわけないですよね……」


「黙ってて」


「あ、はい」


『なんです? 殺そうとしておいて守護者気取りですか。気に入りませんね。いいでしょう、では、どちらがその方のワルキューレにふさわしいか、今ここで決着をつけ……』


 天から声が降ったのは、そのときのこと。


「そこまでにしておけよ、死体運びども」


 まるで、傲慢ごうまん傲岸ごうがんが大気そのものを震わすような声の色。


 絶対者だけが持つ尊大をただ鷹揚おうように発し、見下ろす者だけが持つ不遜ふそんをだだ漏れにしたそれに、ふたりは……互いに向けていた緊張を空に向け。


 そこに、男がいた。


 屋上出口の上に設置された給水タンクの上に、青年が立っていた。


 光とは背負うものではない、ただ自分の姿を照らす者であるとばかりに、月光を全身に浴び、その青年は高みに立つ。


 それは金曜日の夜に氷夜香を連れて去っていった、背の高い青年だった。


 彼は、戦場の様子を睥睨へいげいしたかと思うと、ほう、と声を上げた。


「面白いじゃないか」


 戦いの後のこんな惨状を見てとっておいて、いったい何が面白いのか。目の前の男の言うことが遙希にはまったくわからない。


 青年は、ワルキューレたる彼女たちに向かって、あくまで上から言葉を投げる。


「こんなところに“和”ルキューレか。なるほど、荊の棘フルンドの名を持つ日本かぶれの戦女神は、今生の英雄をそいつに決めた、ということだな」


 そいつ、とは間違いなく遙希のことだろう。しかし青年がほんの一瞬だけ遙希に向けた目線には言葉とは裏腹に興味の色などまるでない。それはただ雑草を目にするのに等しい雑な行為だった。


 フルンドは、問う。


『なにか問題でもありましょうか?』


「俺のワルキューレがおまえの邪魔をしたというなら、謝罪のひとつもほうってやろうかと思っただけのことだ」


 俺の、と所有を強調するその物言いに、遙希はなぜだか、説明のつかない不快感をおぼえる。まさか嫉妬しているというわけでもあるまいが、ただその胸のざわめきは、氷夜香がフルンドのアウルーラと刃を交わしていたときに感じた不安と同質の物だと、そう遙希には思えた。


 フルンドは、応える。


『いえ、此度こたびの件は、わたくしの独断専行ゆえのことです。あなたさまの戦女神は、功にはやるわたくしをいさめたまでのこと。非はわたくしにあります』


 言葉とは裏腹。まるで納得などしていない、忸怩じくじたる物言いだった。


 だが、青年はゆるさない。


 無言で、見下ろし、見下し、声も無く嘲笑う。


『……っ』


 その無言の時間は、フルンドが心折れ、彼女の戦乙女の馬アウルーラ天狼てんろう火炎焱ほむら』が揺れる光のヴェールの向こうに姿を消すまで続いた。


 それを見送った青年は、はじめからこの場になどまるで興味などなかったとでもいうように背を向ける。


 そうして彼は氷夜香に、「来い」と命令を下す。


 氷夜香は、その場に立ち止まったままで動かない。


「どうした、ルーン」


「……その名で、わたしを呼ばないで下さい」


「気むずかしいな、おまえは。だが忘れるな、お前は俺のワルキューレだ」


「……はい」


だくと言わざるを得ないだろうな、だからこその心地良い響きだ。さあ帰るぞルーン、そいつの魂は捨て置け、狩るのならもっと大きくなってからでないと面白味の欠片もない」


 それだけを言い置き、青年は現れたときと同様、唐突に現れたオーロラの中へと、その姿を消したのだった。


 そうして。


 その場には、氷夜香と遙希だけが残る。氷夜香は、尊大な青年の言うがまま、遙希に背を向けてその場を立ち去ろうとしていた。


「あ、あのさ……ルーンっていったい……」


 その背に、声をかける。


 しかし。


 あの日と同じように、氷夜香もまた遙希に一瞥いちべつすらくれることなく、オーロラの中へと姿を消したのだった。


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