「はずかしいから、学校では話しかけないでくれよな」
「いや……なの?」
頭をぶんぶん横に振って。
「う、うれしいけど、オレだってはずかしいんだよ」
「うれしいの?」
「うん」
「でもダメなの?」
「うん」
しょんぼりとうつむく女の子。
少女は向かいの家の子供で、小六の三学期なんて変な時期に引っ越してきたばかりだった。ともだちができないままに卒業をして、今は中学に入ったばかりで。だからもとより引っ込み思案な彼女には、遙希以外の親しいともだちがいない。
遙希は、そんな女の子に向けてひどいことを言ってしまったと、後悔していた。
何か言わなければと、ごめんねと。
どうしよう、どうすれば彼女は笑ってくれるだろう。
だからとっさに、だけど一所懸命考えて、男の子は、こう言ったのだった。
「あのさ! オレ、毎朝呼びに行くから!」
「え?」
驚いて顔を上げた少女に。
「だからさ! 毎朝、お寺のある交差点まで、途中まではいっしょに行こう。帰りは図書館で待ち合わせしていっしょに帰ろう。学校が終わったらずっと一緒にいよう!」
「いやじゃないの?」
「ぜんぜんっ!」
ほんとうに、ただ恥ずかしかっただけだから。
つむぎのことが大好きなのは本当だったから。
だから中学生の遙希とつむぎは、ふたりで約束をしたのだ。
あの交差点までは仲良く歩いて、でも学校では他人のふりをしよう……と。
†
「おっかえりあーにーにーにー!」
「受け流すっ」
「うあっ!」
玄関をくぐるやいなや飛びついてきた義妹を、バスケットのスルーパスだか相撲のうっちゃりだかよろしく脇へ。
下足場に盛大に転がった妹さんは、「うう」とうめくと、何事もなかったように立ち上がって、たたきから廊下へと駆け上がった。
「おかえりあににぃ」
なぜか胸を張る妹さん。
彼女は遙希の義理の妹の門叶星冠、小学六年生。三年前までいとこだった女の子だ。
本名は『とが・ティアラ』と読むのだが、本人はそれを恥ずかしがって、他人には『ほしか』と呼べと強要する(もちろんみんな、てぃあらと呼ぶ)のだった。
しかして、そんな非道い名前を娘に残してくださった彼女の両親も、数年前の事故でお空の上のお星様となり……今の
と、そこへ。
「やー、てぃあらちゃんは元気だねー。おねえさんおばちゃんだから、疲れちゃったよ」
やっぱり星冠の名を『てぃあら』と呼びながら、階段から女の子が降りてくる。
「てぃあらじゃなくて、ほーしーかー!」
「てぃあら、でしょ?」
「うー! うー!」
妹さんは、うーうー唸り。
「つむねーのバーカーっ!」
「む、バカって言う方がばかなんだちょー!」
女の子と星冠は、同じレベルで言い合いをしていた。
階段から下りてきた彼女は意外と言えば意外な人物だ。……お隣り、いや正確には向かいの家に住むご近所さんにして幼なじみ、そして遙希のクラスの人気者、発泡つむぎだった。
遙希妹と幼なじみの言い合いを眺めながら靴を脱ぐ。
「同レベルなのな、おまえら」
「いーじゃんべつにさー。ねぇ」
「うん!」
星冠も全面同意らしく、力一杯うなずく。
「よくねぇって。てぃあら、あとおまえのそれは六年生じゃなくてもっと下、三年生レベルだ」
「うー!」
「そんなわけで、おかえりハルキ」
星冠の抗議をさらり流して、幼なじみは学生鞄を遙希から横取りした。
「あ! それは、ほしかの役目!」
鞄をバンザイで持ち上げ、つむぎは背伸びする星冠から鞄をガードする。
仲の良いそんな二人の様子を見ながら、遙希はつむぎに問いかけた。
「でもどうしたよ? いきなりさ」
「ん、遊びに来た理由? 五時間目におトイレ行ったまま帰ってこなかったでしょ。保健室で寝てたみたいだったし。どうしたのかなーって。便秘?」
「女子といっしょにするなって」
便通の苦しみを知らぬ遙希が、全世界の女の子にたいそう失礼なことを言う。
ともあれ、まさか学園一人気の先輩を見に行って、保健室で寝て起きて、ついさっきまで屋上で異次元ドンパチに巻き込まれてました、とは言えないし言わない。靴の先が焦げた以外は制服がほとんど無事なのが奇跡と言えば奇跡なので、言わなくても良いならそんなことは黙っているに限る。
「なんにもないって。気がついたら暗くなっててびっくりしたくらい? でも珍しいよな、つむぎがウチ来るのいつぶり? 半年?」
「んー、半日?」
「半日?」
意外な答えだった。
「てぃあらちゃんとはよくお出かけしてるし、お話もしてるよ? そもそもてぃあらちゃんのお弁当の日は、わたしが作らせてもらってるし。おばさんから聞いてない?」
「知らなかったわ」
いや、本当に。
「ハルキはかわいい幼なじみに興味なさすぎだよ」
「自分でかわいいとか言うかな。あの奥ゆかしいお隣の娘さんはどこいったのか」
「ここにいるよーと、あ、そういえばさ
鞄を奪おうとがんばる
「ごはんは?」
「ん、まだ」
「そっかー。じゃあたまにはウチのを持ってきてあげよう。てぃあらちゃんも……」
「ほしか!」
「てぃあらちゃんも食べるでしょ? うちのお母さんのしちゅー」
「うー」
「しちゅー」
「うぅー」
「3,2,1……」
「……食べるます!」
「よろしい」
おとなりさんは、満足げにうんうんとうなずき。
「じゃあ、アレコレ持ってくるから、てぃあらちゃん手伝って」
遙希のかばんを星冠に渡し、まるでお母さんのようにてきぱきと指示を出したつむぎは、今度は遙希に顔を近づけて、くんくんと鼻を動かしてみせた。
「なんだよ」
「ハルキはお風呂に入っておくこと。なんか埃……? うーん、煙っぽいよ?」
†
風呂上がり、食卓を囲むのは遙希と星冠。
台所には幼なじみ。中学の時こそ見慣れていた光景だけれど、高校になってからは縁遠くなっていたのもあって、こうして目にするのはほとんど半年ぶりだった。
正直なところ、台所に立つつむぎのエプロン姿はかわいい。なにより元が器量よしなだけに、彼女のそれは実にプレミアムで眼福な出で立ちだった。
(あー、新字あたりに見られたらまたおちょくられるな、)
そんな物思いにふけりながら、食事を口に運ぶ遙希に、星冠が言う。
「美味しいね、あににぃ」
「ん、全面同意だな」
ご飯は元々炊いてあったので、門叶家の炊飯器から茶碗へ。ニンジンごろごろ、じゃがいもほくほく、鶏肉じゅーしーのホワイトシチューと、シチューといっしょに食べる取り合わせとしては微妙な、だけど美味しいレンコンの煮物は、すべてがお隣の発泡家からやってきたものだった。
「どう、おいしい?」
「さっきも言ったけど、美味いよ。でもさ、つむぎ」
「え、な、なに?」
「いやさ……おばさん、前と味付け変わったか?」
「え? そ、そうかな。前の方が良い?」
「どっちも超美味いけど、どっちかってとこっちのほうが好み」
「そ、そう? そっかそうなんだ!」
うんうん、とつむぎはひとり、なぜだか嬉しそうにうなずく。
なんだか今日のつむぎはよくわからないなぁ、とジャガイモを割って口に放り込みながら、遙希はそういえば、と、気になっていたことをつむぎに訪ねることにする。
無論それは、ついさっき学校で体験したことについての疑問アレコレだった。
「あのさ、つむぎ」
「え、なになに?」
うんうんうなずき続けていたらしいつむぎは、慌てた様子で問い返す。
「いやさ、おまえ、神話とか詳しかっただろ」
「神話? まいそろじー?」
「そう、神話。ほら、いっぱい本持ってたよな」
「詳しくはないけど」
つむぎは、うーん、とやや考え込んだようにして。
「日本神話とケルトとか、あと北欧とかゲルマンもちょっとだけ。あ、ギルガメシュ
「や、そこまで濃いのは求めてない」
やや引く。
しかしつむぎは身を乗り出して、
「なに? 興味出てきたの? いまさら中二病?」
詳しくはない、と言う割には、やたらと嬉しそうだった。
四年前、この街に引っ越してきたばかりのつむぎは、読書だけが趣味のおとなしい女の子だった。父親がくれたというギリシャ神話の新書が好きで、いつも肌身離さずに持ち歩いていた変な女の子だったのを覚えている。
「でさ、なに神話について?」
「ワルキューレとか出てくるやつ」
「うーン定番。ワルキューレだと、北欧? だけじゃなくて、アイスランドやゲルマンとかも? あと神話じゃないけどニーベルンゲンあたりも、かな。どれ」
「わからん」
「あー、それじゃあさ」
すこしだけ迷ったような様子で悩んだ後で。
「うち、来る?」
と問うてくる。
「いいの?」
「うん。本とか見ながら話した方がわかりやすいと思うから」
渡りに船だった。
「じゃあお邪魔させてもらうわ」
「ほしかも行く~」
「じゃあ、一緒に行こうか」
と、星冠を連れて行こうとするつむぎ。しかし遙希は、星冠の額をおさえて「ステイ」とひと言。
「なんでー」
「おまえは留守番。おまえとつむぎが遊んでたら、俺が質問できないだろうよ」
「うー」
「後で遊んでやるから我慢してくれって。つむぎも、それでいいだろ?」
「え? わたし」
突然話を振られたことにびっくりした、というわけでもあるまいに、意見を聞かれて驚いた顔をするつむぎは、なぜだか目をそらしてみたりなどする。
そして。
「べ、べつにハルキがそうしたいなら……いいよ」
言葉の割にはそんなに嫌そうでもない。断られるかもとちょっとだけ思っていた遙希は、すこしだけほっとするのだった。