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幕間

  和ルキューレの夜  

 三叉路の脇にある小さな公園には、二十メートルに近い高さのある、大きなトネリコの樹がある。


 フルンドは、その高みにある太い枝に腰掛けていた。


 トネリコの木は、故郷の世界樹ユグドラシルを思い起こさせる。世界樹はいわゆる西洋トネリコで、この国にあるのは日本トネリコ。似て非なる別の種ではあるけれど、それでもこの大樹は、この街で生きるフルンドにとって、彼女だけの世界樹のようなものなのだった。


 木の根元には、半壊した戦乙女の馬アウルーラがもたれかけさせてある。


天狼てんろう火炎焱ほむら


 そう名付けられたこの赤い愛騎は、片腕と胴体の一部を破壊され、自慢の和風甲冑を模した増加装甲をほとんど全てはがされたうえに武器までをも失っていた。戦場においては無敵を誇る神具も、こうなってしまってはしばらく役に立ちそうにもない。ヴェルンドの鍛冶工房に送り返しても、修繕のすむまでにふた月はかかるだろう。


 それにしても、こっぴどくやられたものだと、彼女は思う。 


 にもかかわらず……街を見下ろすフルンドの表情は、幸せがもたらす高揚を隠しきれずにいた。


 彼女はつぶやく。


「ようよう、わたくしだけの勇者様に出会えたのですね」


 よかったと目を閉じ、胸元にそっと手を当て、その奥にある熱を確かめる。


 フルンドは、戦女神ワルキューレだ―――


 死せる勇者の魂を王神オーディンの元へと連れて行くことを役目として、人の世へと降りる女神。甲冑をまとい、戦乙女の馬アウルーラにまたがり戦場をかけ、王神の戦列に加わるにふさわしい魂を探して連れて行く。


 それが、フルンドたちワルキューレに課せられた役割。


 ゆえに、戦女神たるワルキューレは、『魂の資質を感じる』という、特別な力を王神より与えられている。


 それはとりもなおさず、勇者の魂に惹き付けられるということ。彼女たちにとって、見守り、添い遂げ、死して後にはその魂を自らの手で王神の元へといざないたい……そう思えるほどの勇者に出会うことは、ワルキューレとして生まれた本懐ほんかいを遂げることに等しい。


 そして、まだ開花していないつぼみの中に、心を決められるほど大きな素質を見出すことはもう、それこそ奇跡に等しいのだ。


 だから、嬉しい。


 あの門叶遙希という少年が、手にした剣で『天狼火炎焱』の薙刀を切り飛ばしたあの瞬間、フルンドはたぶん……恋に落ちてしまっていた。


 それはもう、ほとんど不意打ちに近い衝撃。 


 彼が手にした剣が纏っていた黄金の輝きは、まごうことなく、彼の魂の光で。


 その光は、強く、激しく、清冽で。


 なによりも情熱的で。


 フルンドは、その光に魂の奥から魅せられたのだった。


 今なら、あの氷の髪持つワルキューレが言ったことに首肯できる。


『恋をしたことも、ないくせに』


 しかり。


 あのときのフルンドは、未だ恋を知らぬ処女おとめであった。


 だが、今は違う。


 この胸は、ときめいている。 


 フルンドの英雄は、ちっぽけな、勇者のできそこないだと思っていた少年。


 つい先日まで、勇者の素質こそ持てど、一向に育つ気配のない魂だと思っていたちっぽけなひとつ。


 こんなにもつまらない魂なら、せめて死せる勇者たちの盾としてでも役にたてばいいと、さっさと殺してしまうつもりだった門叶遙希という男の子。


 あの少年に、あんな資質があったなどと。


 たまたま立ち寄っただけのこの街に、こんな出会いがあったなどと。


「今宵は、ゆえに良い月夜だったのでしょう」


 ゆるり、日本トネリコの枝の上でもの想う。


 木の下にある壊れた赤い『戦乙女の馬アウルーラ』は、うっすら輝くオーロラのヴェールに包まれている。その光はアウルーラの装甲が発する、只人からワルキューレの存在を秘するゆらめきだった。


 そも、オーロラという言葉は、『戦乙女の馬アウルーラ』の光を見た人々が、空の光につけた名だ。世界がまだ戦いに満ちあふれ勇ましい男たちが地を埋めていた頃、人々は戦いのたび、戦場の空に舞う翠色の光を見ていたのだろう。


 今は、勇者の魂を持つ男の数も減った。


 この時代、戦いは忌避されるようになり、戦士は姿を消した。彼女たちをワルキューレと知る男の数はより少なく、ゆえにワルキューレは乙女として、常に孤独だった。


 そんな時代、そんな世界で、熱く胸揺さぶる出会いに恵まれる日が来ようとは。


 確証に変えなければならない……そう、フルンドは想う。


 この胸の想いを、本物であるという確証に変え。


 彼が、この戦女神フルンドが添い遂げるにふさわしい勇者であるという、確証に変え。


 そして……燃えるような、恋をするのだ。

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