目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

3:4/彼女のとなりで

「まったくもって情けないと思うよ、トーガ」


「うるせー」


 授業は終わり、放課後。


 そそくさと、真っ先に教室を逃げ出した遙希は、目ざとく後を追ってきた新字を伴い、裏側の校門へと向かっていた。


「ねえトーガ、発泡さんはまだ教室だよ?」


 新字は、遙希の後ろを歩きつつ、そんなことを言う。


 昼の件があってからの教室は、五限目、六限目の授業を受け持つ教師たちが明らかに不審に思う程度にはおかしかった。遙希を飛ばしてクラス内回覧板(という名の何事かが書かれた紙切れ)が回されたり、五限の休み時間には、つむぎをなぐさめる友人の人垣がふたたび彼女の周囲にできていたり、昼の騒ぎを聞きつけたのであろう遙希の顔をおがみに来た知らない生徒にそこそこ頭に来る罵詈雑言ばりぞうごんをあびせかけられたりと、そんな心温まるエピソードが目白押しになるくらいには。


「傷心の発泡さんに、声をかけてあげなくていいのかい?」


「無理だっての!」


「何が無理なんだい? 発泡さんをなぐさめるでもなく、みんなへの言い訳もない。じゃあ背羽先輩の側に立つのかと思えば、今はこうやって背羽先輩から逃げている。これじゃあ明日から、トーガはクラスの鼻つまみ者、場合によっては学校中を敵に回したも同然だ。今までだってさして皆と良好な関係を築いているとはいえなかった君が、それでもクラスからはじき出されなかったのはね、トーガ、きみが我が学年で五指に入る人気者、発泡さんの幼なじみだったからにすぎないんだからね」


「わかってるよ」


「わかってないね。だったらすぐにでも発泡さんのところへ向かうべきだ」


「……行ってどうするんだよ」


「抱きしめてあげればいいさ」


「は?」


 間抜けな顔で聞き返してしまう。


あわだくは似てるよね」


「いやそれはいい。それより何で? オレが?」


 抱きしめるって?


「そう、トーガ、きみがこう、彼女を抱きしめて『ごめんよ。オレが大切なのはちゅむぎなんだ』と、それだけのことじゃないか」


「……頭がかわいそうなんだな、新字は。そんなの普通につむぎが迷惑するだろうがさ」


「いや、かわいそうなのは発泡さんで、頭がかわいそうなのはトーガだと思うよ」


「おまえはわかってない」


 と、タメイキ。


 新字にどう見えているのかは知らないが……と遙希は心中嘆息する。遙希とつむぎはそんな関係ではない。それに四年もいっしょにいればさすがにわかる。すくなくとも、つむぎは遙希に恋愛感情など抱いてはいないし、今日のお弁当だって、中学生のときみたいに仲良くしたいというつむぎの気持ち、そのあらわれというだけのことであって、別に他意があったわけではあるまい。


「ていうか、いいのかよ、おまえこそオレといたらまずいんじゃないのかよ」


「別に」


 新字は、白々しく笑みなど浮かべ。


「僕はそもそも、トーガと違って交友関係が広いからね。広く浅くで、みんなは、僕がトーガとつるんでるのは、またあいつがおもしろいおもちゃを観察している、くらいにしか思ってないよ。そうだね、ありていにいえば、僕を君の側ではなく、彼らの側の人間だと思ってるってところかな」


「そうなのか?」


「どうだろうね。ただ彼らの前ではこんなことを言わないのも確かだね。僕はこれでも、玩具と置物なら玩具を大切にする方……おっと、いけないいけない。僕はこれで退散することにするよ、なにも好き好んでサンドイッチの具になるつもりはないからね。じゃあ、うまくやってくれよ、トーガ」


「具?」


 調子よくぺらぺらと話していたのに突然話を切り上げ、新字は「それじゃあ」とその場から撤退する。なぜだか校舎の方へと消えていく新字を、半ばあきれながらもなんとなく目で追い、それから遙希はひとり校舎北側の裏門へ……


 そこで、新字が逃げた理由を目にして、天を仰ぐ。


 もちろん、向こうがそれで遙希を見逃してくれるわけもなく。


「あら、早かったのね」


 そう……


 校門の前には綺麗な上級生がいて、ひとり遙希を待っていたのだった。


     †


(くっそ……新字の奴、気付いてて誘導しやがったな)


 氷夜香と二人、並んで坂道を上がりながら遙希は心中で毒づいていた。


『油断していたトーガが悪いよ。出会いたくなかったのなら表の校門を使うべきだったね。いつも裏門側を使っている君の行動パターンくらい、向こうもきっとお見通しだと思うべきだよ』


 問い詰めれば、新字は悪びれずにそう言うに違いない。


 あー、はいはいその通りですね、と心中で想像の新字に文句を言う。


 あの後校門で氷夜香に呼び止められた遙希は結局、こうして彼女と帰り道をご一緒することになっている。


 嫌なのかと問われれば、もちろんそんなことはない。


 それだけではなく、正直な話をするなら、なにがどうなっているのか、それを問いただす絶好のチャンスだとさえ思ってはいる。


 ただ、いまだに彼女の真意が汲み取れないがゆえに、なにをどうとらえて、どのように理解して、どうやってこの綺麗な上級生に相対すればいいのかわからないのだ。


 なので、いったいなにから切り出せばいいものかと言葉を探しあぐねる。会話もないまま、遙希が前で氷夜香が一歩後ろ、そんなポジションでもって街へと続く道をただ黙々と歩くことになってしまっている。


 気になって振り返れば、氷夜香はいつものすまし顔。


 つまり、やたらと緊張してあれこれ考えてテンパッているのは遙希だけで、肝心の氷夜香の方は、いつもどおりだということらしい。


(ああもう、どうしろっていうんだよ……)


 空を振り仰げば、紅葉の坂道は、公孫樹いちょうの黄色ともみじの赤に染まっていた。


 すると。


「このあたりの公孫樹いちょうは、全部雄株なのね」


 沈黙を破って、氷夜香が整った唇を開く。


 木々を見上げる彼女の表情はとてもおだやかで。舞う木の葉を眺めながら、ほほにかかる髪をかきあげる氷夜香の姿は、それだけで見惚れるほどに美しい。


 というか、今の状況も忘れて見入ってしまっていた


「なに?」


 そんな遙希の視線に気付き、氷夜香が小首をかしげる。


「あ、いや、なんでもないです」


「そう?」


 くすり、と氷夜香は笑う。


 それだけで……


 たったそれだけのことで遙希は、脳天をハンマーで殴られたような衝撃を受け、一瞬息を詰まらせてしまっていた。


 笑顔まで綺麗―――だからというのではない。


 その笑みがあまりに違いすぎて、その驚きに胸をわしづかみにされてしまったのだった。


 たったひとつ吐息が漏れただけの小さな微笑みだけれど、それは遙希が見たことのない、とても自然な笑顔だった。廊下で見かけたときも、フルンドのアウルーラから助けてくれたときも、二年生の教室で授業を受けているときも、屋上で襲われたときも、お弁当のときにも見せることのなかったやわらかな表情は、それこそ初めて見るもので……


 なにかを押し殺した、ゆえに綺麗に整ったありかたではなくて、構えることを忘れてしまったように無防備な素顔。それは生き生きとしていて……ただ美しいだけの彼女よりも数段魅力的に、遙希の目にはそう映ったのだった。


 普段もこういう表情をしていれば、それこそ無敵なのに、と思う。


 もちろん無敵すぎて、それはそれで困るような気もするけど……それにしても。


「もったいないよな」


「なにが、かしら?」


 その問いには答えない。何も教えてくれない氷夜香にそれを教えるのは癪に障るし、なによりも遙希の口は、そんな気障なセリフを言えるようにできてはいなかった。


 すると。


「そう、門叶君は女の子をいじめるのが趣味なの?」


(っ……!?)


 おかしい。


 あまりに無防備に過ぎる。


 今の氷夜香は、ほとんどノーガードにも等しい気がする。


 背羽氷夜香という先輩は、遙希にはそも遠すぎて、いうなればモニタの向こうの役者であり、ショーウィンドウの向こうのマネキンのような存在だったはずだ。なのにここにいる彼女は、まるで普通の、しなやかな意志を秘めた、生きた女の子だ。


 そして多分、そんなふうに意識したのがいけなかったのだろう。今までは自分の置かれた状況……主にワルキューレとか黄金の剣とかオーロラとか殺されかかったとかに意識がいっていたからこそ気がつかなかったことに、気がついてしまった。


 そうなのだ、本当のところ今の自分がいったいどんな状況に置かれているのか、その一方の真実に気がついてしまったのだった。


(ちょっとまて、今オレはもしかして、すごいことになってるのか?) 


 曰く。


(オレの隣にいるのは、背羽先輩だ)


 そうです。


(うちの男子生徒三百人、みんながみんな恋人にできたらな~なんて思ってるけど、どうせ無理だよなぁ、なんてあきらめてる、あの、背羽先輩だよな)


 その通りです。


 その背羽氷夜香先輩と。


(ふたりきりで、下校中なんだよな?)


 正解です。


「待てぃ!」


「?」


 氷夜香がほんの少しだけ驚いたような顔をするのだが、遙希はそれに気付くことなく、今更になってやってきた緊張に生唾を飲み込んでいた。


 ちらり、と氷夜香を見るが、はずかしくて目を合わせることができない。


(やばい。なんだこの、芸能人とデートみたいな……この……なんだ)


 ぐるぐると、廻る脳内。


 なにを話せばいいのかわからない。


 そうこうしているうちに、道は丘を登り切って下り坂へ。そうして開けた視界の向こうに、市街地の町並みが見えてくる。


 その市街へと続く民家の並ぶ坂道を下りながら、氷夜香が願いを口にする。


「門叶君、すこし本屋に寄りたいのだけれど」


「え、本屋? あ、えっと構いませんけど。参考書でも買うんですか?」


「参考書しか読まないような女に見える?」


「いや、そういうわけじゃなく」


「冗談よ」


 彼女は肩をすくめる。


「……」


「なに?」


「先輩……冗談、言うんだ」


「そう、門叶君はやっぱり意地が悪いというわけね」


 今度は、怒ったような顔。しかも心なしかすこしだけどねているようにすら見える。


 ……のは、気のせいだろうか? 

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?