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3:3/お弁当戦争2


「昨日のシチュー美味しかったよね」


 幼なじみは遙希の対面から満面の笑みで、というよりも、ほとんど笑顔を押しつけるようにして問うてくる。


 教室内で、各方面からざわめきがあがる。


「シチュー!?」「おい、シチューってなんだよ!」「なんで門叶のバカがオレのつむぎんにしちゅー?」「ちゅー!?」「ちげーよ!」「おまえのつむぎんじゃねlよ!」「つむぎはオレのだっての!」「そうじゃなくてさ!」「知らなかったのかよ、あそこお隣さんなんだよ」「ばっか、お隣だからっていっしょに晩飯とかねーよ!」「問題はそこじゃないだろうがっ! 俺らのあわわちゃんが門叶のアホとつきあってるってことだよ!」


「「「「「あんだっってー!」」」」」」


「つきあってねーよ!」


 思わず突っ込む遙希。


 しかしつむぎは我関せずで、ハルキの顔を両手で強引に前向かせ。


「ハルキ、オレ好みって、言ってくれたよ、ね?」


「お、おう……」


「よかった!」


 わざとらしいことこの上ないジェスチャーで、手などあわせてみたり。


「あのシチューね、本当はママじゃなくてわたしが作ったの。ハルキ、牛乳好きだからちょっと多めにしてみたんだけど、やっぱり思ったとお……」


「はい、門叶くん。あーん」


 横からの不意打ちに、差し出されたものを、ぱくり。


「「「「「あーんだっってー!」」」」」」


 突然やってきた氷夜香のターンに、またもクラスが大合唱。


 口の中に差し込まれたのは、こんにゃくと煮たジャガイモだった。


 白醤油が薄く全体にしっとりしみて。なんというか、冷めているのにほくほくとした絶品。みりんの加減も絶妙で上品に甘辛、正直に言ってこれだけでご飯何杯でもいけるひと品だ。


 なので。


「あ、おいしい……すごく」


 と、素で言ってしまう。


「よかった、きみの口に合うか、少し心配だったの」


 控えめな華が開くような、高嶺たかねの花の喜びの笑み。


 教室内のざわめきは、もはや悲鳴だった。


「意味わかんねーよ!」「あわわちゃんだけじゃなく我が校の女神まで!」「俺たちの三学年縦断抜け駆け禁止&女神不可侵条約はなんだったんだ!」「条約あったのかよ!」「ばっか条約なんかなくたってあんな美人がおまえの相手なんかしねっての」「だったらなんで氷夜香先輩が門叶ごときのためにべんとーっ!?」「嘘だよな! たのむ! 誰か嘘だって言ってくれよ!」「嘘!」「うるせー!」「てか、あーん、ってなんだよ! あーんってよ!」「うらやましすぎる!」「ウラマヤシスギル!」「変換できない!」「殺せ! 門叶を殺せ!」


「「「「「門叶を殺せ!」」」」」」


「待てこら!」


「やあトーガ、楽しそうだね」


 いつの間にか購買から帰って来たらしい新字が、横を通り過ぎながらミルクを放ってよこす。


「お、おお、さんきゅ」


 それを受け取り、心を落ち着けようとパックにストローをぷすっ。そうして友人という救世主に助けを求めようとしたら……


 新字は、すでにいちばん離れた席に陣取ってパンを喰んでいた。傍観者ぼうかんしゃ気取り満々の親友の様子に切れてやろうかと思うが、彼奴はあろうことかイヤホンを耳にひっかけてスマートフォンの画面を眺めはじめるのだった。


 有り体に言って、まったくもって役に立たない。


(ていうか、絶対無音だろそのイヤホン……)


 そりゃもう、この状況をエンターテインメントとして楽しんでいるであろう新字が、こちらの声を聞き逃すはずもないのだ。


(……って、ん?)


「……」


「えっと……つむぎ?」


 ふと正面を向いたら、幼なじみがじっとこっちを見ていた。


 なんだか真っ赤になって、遙希に箸を突き出しているつむぎだが、その先には、もも肉半分くらいあるんじゃないかとおぼしき、特大の唐揚げなどがつままれている。


「ハルキ、あ、あーん」


 氷夜香に対抗しているのかと、つむぎの箸につままれた巨大唐揚げを前に、困り果てる遙希。


「おいつむぎ、みんなに勘違いされるって」


「ぁ……あーん」


 もう一度あーんとか言う。


 肉の重さにぷるぷると震える手元、振動が増幅されてぶれまくって分身まではじめる唐揚げ。


 落ちてはたいへん! と、遙希はそれをつまんで、仕方なく口に運ぶ。食べ慣れた、というほどではないけれど、勝手知ったる大好きな発泡家つむぎのうちの味だった。


「どう?」


 その質問には、唐揚げを飲み込んでから。


「いや、そりゃ美味いに決まってるだ……ろ」


「はい、門叶くん、あーん」


 今度は氷夜香だった。


「背羽先輩! 邪魔をしないでください!」


「あなたこそ、邪魔をしないでもらえるかしら?」


 つむぎの抗議をさらりと受け流し、氷夜香の箸はなにかの佃煮を遙希の口に運ぶ。


 これはまた、知らない味。


「……なんです?」


「鯨。良いのが入ったから。アイスランドでは普通に食べるのだけれど、苦手だった?」


「や、ぜんぜんそんなことないです」


 というより、なぜアイスランド?


「そう。じゃあ、こっちの……」


 ばん! と教室中に響く音。 


 氷夜香の言葉を遮るがごとく机をたたき、ついにつむぎが立ち上がる。


「背羽先輩!」


 もう我慢できないとばかりに、身を乗り出すつむぎに対して、なにかしら? とすら口にせず、氷夜香は視線だけで激昂の理由を問いただす。その様子を余裕ととらえたのか、つむぎは顔を真っ赤にして声を荒げた。


「お、お弁当の邪魔をしないでください!」


 がしゃん、と音がした。


 場が凍る。


 興奮のあまり、つむぎが手を横に大きく払った拍子のことだった。手の甲が、氷夜香の弁当箱に当たり、机の下へとたたき落としてしまったのだった。


「あ……」


 しまったと、とりかえしのつかないことをしてしまったと、つむぎの表情が後悔に染まる。


 わざとでないことは皆わかっている。それでも覆しがたい気まずさが重い澱となって、一瞬で教室に充満してしまっていた。


 涙目で、誰に助けを求めることもできずさまよっていたその目線は、やがて遙希へと向けられる。しかし遙希だって当事者だ、そんなのどうにかできるわけがない。


 氷夜香は椅子を引いて立ち上がる。


 びくっと身をすくませたつむぎを一顧だにせず、校内随一の麗人はその場にしゃがみ込むと、床に散らばった弁当を無言で拾い始めた。


「お、おいつむぎ……」


「ハルキはだまってて!」


 とりあえずあやまるべきだと、そう言いかけた遙希を遮る。彼女は涙をこらえ、後戻りなどできないとばかりに、散乱してしまった弁当を集める氷夜香に向けて声を投げつける。


「ど、どうしてなんですか!」


 追い打ちをするような呼びかけに、氷夜香が顔を上げる。


「どうして背羽先輩は、わたしたちのお弁当の邪魔をするんですか! いきなりハルキにお弁当とか、なんの嫌がらせなんですかっ!」


 しかして、氷夜香の返答は簡潔。


「愛しているから」


「え……」


 疑問の声を上げてしまったのは、つむぎを止めようとして立ち上がっていた遙希だった、


 氷夜香はそれきり、もくもくと弁当を拾い集める。


 そうして、弁当を集めた箱を卓上に載せて、


「門叶くんには、そう伝えたつもりだけど?」


 そう言ったでしょう? と、遙希を見た。


 彼女は嘘を言ってはいない。「愛してる」と、金曜日の帰り道と昨日の保健室で、二度も遙希に告げていた。


 一方、誰に聞かれてもいないのに、つむぎは言う。


「わ、わたしは、幼なじみだからっ」


「そう」


「わ、わたしのほうが! わたしのほうが長くいっしょにいてっ、それでっ……」


 しかし、静かな表情のままに氷夜香から放たれた言ノ葉が、つむぎにとどめを刺す。


「でもそれだけで、彼の恋人はつとまらないわね」


「!?」


 つむぎはもちろん、遙希どころか教室全体が息をのむ。


 完全に凍り付いた教室の中で、動いているのは氷夜香だけだった。


 その氷夜香が、遙希を呼ぶ。


「門叶くん」


「え、あ、はい」


「ごめんなさい、わたしのはもう食べられないから。お昼ご飯は、彼女の可愛いお弁当を食べてあげて」


 唖然とする一同の中、彼女はてきぱきと弁当箱にふたをすると、ランチョンクロスに包んで鞄に入れる。


 そうして、


「また放課後に」


 とだけ言い残して、遙希たちの教室を後にした。


 微妙な空気に包まれる教室だったが、友人たちを皮切りにしてクラスの皆がつむぎをなぐさめようと彼女の周囲に集まってしまい、遙希は、幼なじみに話しかけるどころか近寄ることもできない。


 輪の中からはじき出されることになった遙希は、ただ立ち尽くすことしかできなかった。


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