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4:3/思い込みという愚昧

 背羽リヒト―――


 この男だけは受け入れられないと、遙希の魂が警鐘けいしょうを鳴らす、青年。


「どうした、不服そうだな出来損ないごときが。おおかたたいした根拠もなく、自分こそジークフリートだと夢見ていたんだろうがな、それを否定されて恥ずかしいのか? それとも、自分が竜殺しの英雄様だと信じて疑わないほどに愚鈍を脳に狩っているのか?」


 リヒトは、端正な容貌を嘲笑に歪めて、喉で嗤った。


「違うのかよ……」


 遙希は、氷夜香に答えを求めるが、彼女は「違うわ」と頭を小さく横に振った。


 リヒトは再度失笑する。


「そうだな、教えてやるよ」


 言葉の後には、一瞬の空白。


 空を黄金の光が奔り、それがつむぎを打ち据える。


「いたっっ」


「つむぎ!?」


 振り向いた先では、飛来した黄金の光に胸を強く殴打され、つむぎが仰向けに倒れていた。


 間を置かず、胸と背中をしたたか打ったそこに飛来した黄金……その正体は剣……が再び舞い戻る。剣は仰向けに倒れたつむぎが逃げないよう、太股の間、そのスカートの生地を貫いて大地につばまで突き刺さり、彼女をそこにはりつけにした。


「まず、それがバルムンク」


「つむ……っ」


「つむぎさん!」


 遙希よりも早くつむぎに駆け寄ろうとする氷夜香。しかし、その動きを牽制けんせいすべく、氷夜香の足下に、超速で飛来した二本目の刃が刺さる。


 柄頭に蒼い宝玉を抱く、黄金の柄の剣。


「それがノートゥング」


「そして」


 指を弾く。


 応え、天空高くに、ダイヤモンドのごとき星が一瞬の煌めきを宿す。その雫は、光の槍となったように降り、一直線に、動けないつむぎの顔面へと落下した。


「そしてこれが、グラムだ」


 ぴたり、と、三本目の剣の切っ先はつむぎの鼻先、その薄紙一枚寸前で止まっていた。


 遙希は、動くことさえできなかった。


「ひ……!」


 つむぎは恐怖に目を見開き、声を発することもできない。魂消る叫びは霧散して、かたちをなすことさえできていなかった。


「……っ、つむぎ!」


「黄昏の黄金バルムンク、竜屠る宝剣ノートゥング、選王の聖剣グラム……わかったか? つまり、この俺がシグルズ……おまえたちの言うジークフリートの生まれ変わりだ」


 何が楽しいのか、くつくつと、笑う。


 圧倒的だった。


 遙希がなにもできなかったのは当然だとしても、フルンドの甲冑を生身で圧倒した氷夜香にすら動くことをゆるさないほどの力の差が、彼我にはある。


 ゆえに、怒りのやり場がない。目の前の背羽リヒトにぶつけようにも、奴の剣がつむぎの眼前、宙空に固定されている。もしも助けようとわずかでも動けば、その瞬間につむぎの顔面が地に縫い付けられる。


 ゆえに動けない。


 いくらなんでもそんなことをするわけが、と理性は主張するが、リヒトは平気でそれを為すだろうという確信も心に居座っている。


(くそ……)


 突然に降って湧いた絶対的な命の危機。怒りと焦りと無力感でぐちゃぐちゃになる頭の中で、氷夜香がつむぎを助けるために動こうとしてくれたこと、それだけが遙希の心を救い、わずかなりとも冷静にさせていた。


 口では巻き込むなどと言っておきながら、その氷夜香がすくなくともつむぎの敵ではなかったと、そう思えることが、かすかだが小さくはない希望となっている。


 つむぎはいまだ剣の脅威にさらされている。救いがあるとすれば、つむぎがあまりの恐怖に意識を失ってしまったことだけ。これ以上の恐怖を彼女が感じないですむという、その一点だけだった。


 許せないと、思う。


「こんな奴が、英雄だって……」


「ああ、そうだ」


 ジークフリートである青年は、尊大に口の端を歪める。


 ……それでも、遙希には未だ振るう刃がない。


 正しくは、そうではない。


 氷夜香の足下に、天から降り来たノートゥングが刺さった瞬間から、遙希の指先には、冷たい、幻の金属めいたいつもの感触が触れてはいた。


 多分それは、遙希だけの黄金の剣。


 だが、それもつかめず、引き出すことができないのでは意味がない。


 だから、問う。


「どうすれば、いい……?」


「ん?」


「どうすれば、つむぎを助けてもらえる」


 誇りだとか、体面はいらない、遙希が何かを差し出すことでふたりを助けてもらえるなら、それでいいのだと。


 リヒトは、肩を揺らして嗤う。


「そうだな、さっさと目覚めろ、そうしたらその娘を解放し、おまえの相手をしてやってもいいぞ」


 出された条件は、遙希自身の意志ではどうにもならないこと。


 そもそも。


「……目覚めるって、なんだよ」


「なるほど、な」


 酷薄そうに細めた目を、氷夜香に向け、


「英雄はな、戦いの中で目覚め、花開くものだ。おまえもそう考えたんだろう、ルーン」


「リヒト、まさか……!?」


 じっとつむぎを見ていた氷夜香が首を廻らせ、焦りも露わに青年の名を呼ぶ。


 リヒトは、氷夜香の問いに嗜虐しぎゃく的な笑みを深める。 


「だったら俺が手伝ってやる。大事なモノを失えば、そこの出来損ないもすこしはやる気が出るだろう」


「やめて……っ」


 つむぎの鼻先で聖剣がほんの数センチ浮いたのと、今度こそ氷夜香が地を蹴ったのは、ほとんど同時だった。


 結果。 


 聖剣グラムの刃は一切の容赦なく、その証拠に……半ばまで地に刺さって埋まっていた。


 間一髪、救われたつむぎは、彼女を救った氷夜香に抱かれて離れたところに転がっている。


 スカートこそやぶれていたが、つむぎは無事だった。しかし引き換えに、つむぎを救った氷夜香が、つむぎを抱いた肩を制服ごとグラムによって切り裂かれていた。


 安堵の息をもらすのと同時に、氷夜香の負った傷が、目に焼き付いて離れず、遙希の思考を完全に凍らせる。


 真っ白になった頭の中とは裏腹に心臓が早鐘を打つ、そして、まるでその感情の熱をそのまま鋳込んで形にするように。


 ―――手の中で、冷たい感触が姿をとりつつあった。


 リヒトは、なお嗤う。


「今日のおまえは本当に興を削いでくれるな、死体運び。その行為は英雄である俺と、ひいてはオーディンに楯突く意志と受け取るが」


 言いながら、掌を上に向けひらり、と振る。


 地に突き立っていた三本の剣は、たったそれだけの動作で抜け、遙希の目の高さに浮いたかと思うと、すっと姿を消した。


 そして直後、それは消えたのではないと知る。


 金属同士がぶつかる、重くも甲高い音ふたつ。続いてぴっというなにかが裂ける音がひとつ。


 つむぎを抱え、槍を構えた氷夜香が多々良を踏む。傷ついた肩の脇に、別の裂傷が生まれていた。


 三本の剣が宙を飛び往き、戯れるようにつむぎと氷夜香に襲いかかる。氷夜香はつむぎを抱きかかえたままに槍を振るい、それをはじく。


 助けに近づくことなど、できない。


 襲いかかるのは、一撃一撃がハンマーで殴りつけるのに等しい、刃を持った連撃。槍が剣を弾く音が続き、そのたび、氷夜香の身体は嵐の中で翻弄されるように、よろめき、倒れそうになる。遙希にもわかる。そもそも槍は両手で扱う武器、つむぎを抱えたままでは十全な働きなどできようはずもない。


 リヒトは、それを知っていて手をゆるめない。


「どうした。その小娘を抱えたままでは、おもちゃの石コロを弾くこともできないか」


「……っ」


「あきらめて放り出せ、疾く、刻んでやる」


「リヒトっ! この子は、関係、ないでしょうっ!」


「知ったことか。『関係ある』のだろう『幼なじみ』だから。そいつが自ら、そう言ったのだろうが」


 聖剣の一撃が、氷夜香の槍を上に跳ね上げ、残る二本が、がら空きになった氷夜香のふところ、つむぎの頭と氷夜香の心臓を狙い、飛ぶ。


「先輩!」


 耐えきれずに駆け寄ろうとした遙希は、しかし二歩目を踏み出すことなく、舞い戻った聖剣に横っ面を殴られて頭から地面にたたきつけられる。宙返りを打って倒れた遙希を樹上から見下ろすリヒトは、遙希の様を鼻で笑う。


「今のは手加減してやったぞ」


 三本の剣は、宙に大きな弧を描いて、リヒトの許へと舞い戻る。


 そこがホームポジションなのだろう、主の元へ帰ったその三振りは、片翼を描くように、リヒトの背後へと扇状に並んだのだった。


 折れた槍が、落ちて地に転がる。その金属音に我に返った遙希は、氷夜香が倒れていることに気付く。遙希は傷ついて地面に投げ出された彼女の姿に我を忘れ、自分の痛みを忘れ、立ち上がって走り出していた。


 駆け寄って、抱き起こす。


「氷夜香先輩!」


「……怪我は、ない?」


 痛みを耐えながら氷夜香が問うのは、つむぎのこと。

 つむぎは相も変わらず気を失っている。全身が氷夜香の血に汚れてこそいるものの、その身体には傷ひとつない。


 氷夜香は、自らの身体にいくつもの裂傷を受けながらも、つむぎをしっかりと抱いたまま、護りきっていたのだった。


「無事だ。ありがとう、先輩」


 氷夜香は、痛みを耐えながらも、「ううん」とちいさく頭を横に振る。


「女の子だもの、どんなに小さくたって、傷跡を残すわけにはいかないわ」


「あ……」


 胸の奥へとこみ上げてくるものが、あった。


「……ありがとう」


 重ねて礼を言う。


「でもなんで……先輩だって、女の子じゃないかよ」


 なのに、氷夜香は傷だらけで、なのに、つむぎが怪我をしなくてよかったと微笑むのだ。


「くそ……」


 氷夜香はとてもとても綺麗で。それだけに、傷だらけになったその姿は、より痛々しく遙希には映る。


 この女の子を、氷夜香をこんな目に遭わせたあいつが許せない。


 その想いに応えるように……


 ―――手の中で、剣の感触が、形を明確にしつつあった。


 しかし。


「どうだ、目覚めたか?」  


「てめぇ……」


 まるで悪びれもしないリヒトを睨みつける。


「ありえない……ありえねぇよ」


 視線にありったけの怒りを込めて。


「こんな奴がジークフリートだって? こんな奴が、つむぎが憧れてたシグルド様だっていうのかよ……」  


 ならば、英雄とはなんだと遙希は自問する。


 わからない。


 わかるわけもない。


 ただ、わかることもある。


「この男に、こんな奴に、勇者を、英雄を名乗らせておくわけにいくかよ」


 この男が真に、北欧の神話において最高の勇者と謳われた英雄であったとしても、つむぎをこんな目にあわせたうえに、この男にとっては味方であるはずの、その上、今生では妹であるはずの氷夜香に剣を向け、傷つける。


 そんな男を絶対に。


「英雄なんて、言わせておけるかよ」


 にらみつける。


 しかし、英雄の生まれ変わりは肩をすくめ。


「そう呼んだのは、俺ではなく民衆と詩人で、認めたのは神だろう。文句があるならそいつらに言え。それにな、それを言うならば貴様こそ頭を垂れて、全てに対して悔い、謝り、許してくれと泣きわめきながら、汚らわしく命を絶つべき存在だぞ」


「……どういう意味だよ」


「こいつはまた、とんだ道化サマだな」


 愉快だと、リヒトは嘲りを隠しもしない。


「氷夜香、なぜ教えてやらない。そいつは大罪人だと。すべての英雄に顔向けのできぬ悪逆、我らがオーディンに弓引き楯突く、魔王ヘルギという邪悪だと」


「俺が……魔王?」


 それは本屋で、氷夜香と交わした言葉に出てきた名前だった。


 ヘルギ―――ワルキューレであるシグルーンと恋に落ち、数多の戦場を駆けた王。死して後オーディン自らに請われ、四万と八〇〇〇を数えるという死せる戦士の軍勢を統べる、彼らの指揮官となった……と、神話に伝えられる英雄の名。


 けれど、あのとき、氷夜香は言った。


『本当のヘルギは英雄じゃないの』


 ……と。


 曰く、ヘルギは、オーディンの誘いを蹴って逃亡を図り、自らの欲望のために戦女神ワルキューレをさらい、反旗をひるがえした大罪人。神々は彼を、英雄でも勇者でもなく、魔王と呼ぶ―――


 その、神に逆らったという罪人が。


「……俺?」


 なのだと、リヒトは言うのだろうか?


「そういうことだ。会いたかったぞ、我が腹違いの兄王」


「待ってリヒト、彼は……!」 


「慎め、竜の英雄の言葉だ」


 氷夜香に向けられたその声は、威圧。


「たかだか死体運びワルキューレが、俺をたばかってヘルギの存在を隠したつもりだったのだろうが、おまえがそれだけ執着していれば阿呆でもわかろうというもの。それをこの竜の英雄が赦してやろうというのだ。頭を垂れることこそあっても、口を挟む理由はあるまい。英雄を愉しませる雌にすぎないワルキューレのおまえごときが、記憶の引き継ぎを許されているのは、そいつヘルギをおびきだす餌になるためだということ、まさか忘れたわけじゃあるまいな? それともまた、分をわきまえもせずオーディンにその槍を向けるつもりなのか、シグルーン」


 氷夜香が唇を噛む。


 遙希は、告げられた事実よりも、氷夜香の真ノ名に驚き、目を見開いた。


「シグ……ルーン? 氷夜香先輩が?」


「そう、シグルーン。かつて、おまえが愛した戦女神だ」


 しかし……


「残念だが、今のこいつは、この俺、英雄にして竜の黄金を抱く王、ジークフリートの側女そばめだぞ」


 おまえの女は、今は俺のモノだと。


 そう告げるリヒトの顔は、限りない嗜虐しぎゃくを浮かべていた。

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