目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

5:3/ヘルギと遙希

「どうした、もう少し急いで下がれ。あまりに鈍いと、喉元に俺の聖剣が突き立つぞ」


 次から次へと飛来しては舞い戻る三本の聖剣。


 遙希は『黄金なす痛みヴィグネスタ』を縦に構えて、リヒトが一歩を踏み出すたびに、気圧されるように一歩を下がっていた。


 トネリコの芝生から、遊歩道の煉瓦れんがへと踏み出し、柵につまずいて花壇へと遙希は無様に倒れ込む、それでもリヒトは歩を緩めることなく進み来る。遙希は四つん這いになって逃げ、思わず背中を晒してしまったという恐怖のあまり慌てて立ち上がると、また剣を構え直した。


「ああ、とてもいいな、今の格好は無様だった」


 花壇の灌木かんぼくを聖剣で切り飛ばし、無造作に、無人の野を行くがごとくリヒトは歩み来る。


 いや違う、と感じる。


 これは無人の野ではない、リヒトが歩んでいるのは、さながら王宮の赤い絨毯じゅうたんだ。


 さえぎる者はない、あるのは全て、彼をたたえる喝采かっさいのみ。


 歩むのは、玉座へと続く道。彼のためだけにある、いわゆる『王道』なのだと。


 ゆえに、大胆にそこを歩むリヒトに隙などなく、遙希などに反撃の機会はない。遙希に待つのは当たり前にもてあそばれ、当たり前に蹂躙じゅうりんされ、当たり前にうち捨てられる未来のみ。


 竜の英雄ジークフリートを相手に、敵うわけがない。


 遙希の制服はもうあちこちが切り裂かれていて、その下の身体も浅い裂傷をいくつも刻まれている。このままリヒトの攻撃を裁き続けたとしても、じりじりと追い詰められていくだけだ。否、リヒトの攻撃を裁いていると思っているのは遙希だけで、そもそもリヒトがその気になれば、遙希の命など一瞬で絶たれてしまうのは、火を見るよりも明らかだった。


 その証拠に……


 リヒトの表情には、遙希にいまだ大きな傷をひとつも負わせていないことへの、焦りも不満も、そのどちらも毛の先ほども浮かんでいないではないか。


 遊ばれている、と感じる。無様を堪能するためだけに、生かされていると感じる。


「くそっ!」


 漏れた悪態に、リヒトの柳眉りゅうびがぴくり、と揺れた。


威勢いせいが良いな」 


 それが気に入らないと言う。


 反抗的な態度をとることは許さないと、その悲鳴で俺の強さを讃えろよと。


 それだけが、生かしておいてやる理由なのだと。


 ゆえに。


「鳴くことに専念しろ」


 居丈高に、尊大に、言い放つ。


 そうして、


「そうだな、もっとよく鳴けるよう、腕のひとつも落としておくとしよう」


 言いざま、手近を舞う聖剣を手に取り。


「ちょうど良い、バルムンクか」


 つぶやきと同時に、それまでとは違う、明らかに殺意の乗った一撃が切り下ろされ……


 腕が飛んだと思ったその瞬間。


 遙希の視界を、平原が埋め尽くした。


       †


   遙希は戦場の中にいた。

   地には岩と雪、そして若草。

   空にはたなびく光のヴェール。

   原野には、数多あまたの戦士が並び立ち。

   剣戟けんげきの音が天地を埋め尽くす。

   手の中には、『黄金なす痛みヴィグネスタ』があって……

   脇には……

   その彼の姿を誇らしげに見上げる猛者たちがいた。


       †


「な……にぃ……」


 漏らしたのは、リヒト。


 彼の目に飛び込んできたのは到底信じられない、飲み込みかねる光景。


 斬撃は、光放つ『黄金なす痛みヴィグネスタ』の刀身に受け止められていた。


 この戦いではじめて放った意識的な一撃は、よりによって、「」掲げただけの剣に受け止められてしまっていたのだった。


 当たり前に切り飛ばされるはずだった遙希の腕は、無傷でそこにある。リヒトにとって、それは許せない屈辱だった。


「こいつ……こんなを!」


 つぶやき、口にした言葉にリヒトは違和感をおぼえる。


 本当にまぐれなど起きるものか? と。


 その答えは否、奇跡は起きたとしても、剣の合においてまぐれはない。


(ならばこれは……っ!?)


 そのとき、押し込もうとしていた聖剣バルムンクがいきなり空を切る。


 つば競り合っていた、『黄金なす痛みヴィグネスタ』を遙希が引いたのだと、リヒトが悟ったのは、すぐ。しかし気付いたときにはすでに遅く、遙希の聖剣はすでに空に燕を返していて、前のめりになっていたリヒトの胸を一文字に切り裂くよう、横に一閃されていたのだった。


『黄金なす痛み』の刃が綿めんのシャツを裂く。


 無意識に続く斬撃を警戒し、この戦いで初めてリヒトが三歩を下がる。


 遙希が我に返ったのは、そのときだった。


「……あれ?」


 戦場の幻影は消え去り、切り落とされたと思った右腕はついている。


 どころか……横に振り抜いた右腕は、しっかりとヴィグネスタをつかんでいて、さっきよりも数歩離れたところでは、シャツの胸を切り裂かれたリヒトがこちらをにらんでいた。


 手応えが、ある。


「オレが、やった?」


 それ以外の結論があるはずもなく。


 遙希の目の前で、リヒトは柳眉を更に逆立て……


 裂かれたシャツを握り、破り捨てるように脱ぎ捨てる。


 しなやかに締まり、しかし厚く鍛え上げられた肉体を月光の下にさらし、リヒトは吠える。


「やってくれたなっ!」


 しかして激昂げっこうする彼の肉体には、一辺の瑕疵かしもない。


 たしかに切り裂いた手応えがあったはずなのに、青年の胸には、ほんのわずかな傷もついてはいなかった。


「なんで……」


 驚きは遙希。


 侮るなと、リヒト。


おごるなよヘルギ。俺の身体はファブニールの血を浴び、ゆえに俺の肌は無敵の鎧だ。きさまごときのくだらん聖剣もどきで、この身体に傷などつくものか。……だがしかしそれでもだ! それでも、その汚らわしいきっさきで俺に触れたことは絶対に赦さんぞ!」


 リヒトが大きく一歩を踏み出しながら、背の聖剣、その一振りを再び手に取る。


 竜殺しの英雄が繰り出す絶対の斬撃は、しかしてまたも遙希の聖剣によって打ち返されていた。


「貴っ、様あっ!」


 返す刃も同様。


 先と同じように下がりながらも、遙希はリヒトの刃をことごとく弾き返していた。


 先までリヒトの繰り出していた斬撃が完全な戯れであったのに対して、今の二撃は遙希を切り裂くべく繰り出されている。しかして遙希はそれを、つたないとはいえど、まるで戦を経験したことのある者のごとく裁いてみせたのだった。


「腕が、軽い……?」


 続く幾度もの剣を弾きながら、遙希は気付いていた。


 決して膂力りょりょくが増しているわけではない。


 リヒトの剣技に目が、腕がついていけているわけでもない。


 ただ、剣をどのように扱えばいいのか、まるで覚えているように身体が動くのだ。


 理由は明白だった。


 戦いの記憶、勘とでもいうものが、『戻っている』。


 リヒトの剣をその身に受けそうになったあの瞬間、視界に蘇った戦場の風景がそのはじまり。


 あれは、ヘルギという勇者の記憶だった。


 はじめはすこしだけ。しかし、斬撃をひとつ受けるたびに、記憶は鮮明になっていく。


 戦場の匂い、大気の肌触りまでもが、懐かしささえ伴って蘇っていく。


『英雄はな、戦いの中で目覚め、花開くものだ』


 リヒトが言った言葉をそのまま体現するように、遙希は戦いの「」を手に入れていく。


 一合ごとに苛烈かれつさを増していくリヒトの剣。


 受けるごとに、遙希の脳裏にフラッシュバックしていく過去の記憶。


 遙希は、自分が何者であるのかを知っていく。忘却に置き去られていた想いと思いを胸に宿していく。


 剣の一合ごとに、ヘルギという英雄が、遙希とひとつになっていく。


 遙希はそれを不愉快だとは思わない。


 それはヘルギに取って代わられるのではなく、真にただ思い出していくというプロセス。忘れていたことを、遙希という少年が思い出していくという回復の過程。


 否。


 記憶ではなく、それは思い出。


 ヘルギという名であった遙希が、シグルーンと共につむいだ、生きてきた道程どうていだった。


この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?