「香川(かがわ)課長、明日の会議の資料が出来ました」
「ありがとう、伊吹(いぶき)さん。後で見ておくから、書類ケースに入れておいてもらえる?」
「分かりました」
伊吹さんは肩に届かないくらいに揃えられたボブカットの髪を揺らしながら席に戻って行った。新卒の時はコピーの取り方もおぼつかなかったけど、二年目の今は資料作りも安心して任せられるようになってきている。頼もしいな、と私はにっこり笑った。
伊吹さんの書類が乗せられたケースをちらりと見てから、私は読んでいた資料に目を戻す。
医療機器も扱う精密機器メーカーであるN社に勤めてもう十五年以上経った。
職場の人たちは大体穏やかだ。時々問題も起こるけれど、みんなで協力して解決している。
定時になればみんな帰るし、有休消化率も高い。いわゆるホワイト企業なのだろう。
医療機器販売とメンテナンスを通して、社会に貢献している会社だという意識もあるし、それなりに充実した日々を送っている。私達社員は、恵まれた環境にいるのだろうと思う。
私は資料を読み終えると、一息つくために自席を離れ、休憩ブースに向かった。
豆を挽いて作るタイプの自販機で買ったブラックコーヒーを飲みながら、ポケットに忍ばせていた小さな缶から、クッキーを取り出してかじる。
背後に人の気配を感じ振り向くと、私より少し年上の飯塚(いいづか)さんが私を見てニヤッと笑っていた。
「あれ? 香川課長、何食べてるのよ? また太るよ?」
飯塚さんは私の丸いお腹を見て、方眉を上げた。
「厳しいなあ、飯塚さん。逆だったらセクハラって言われちゃうよ? これ……手作りだけど、よかったらどうぞ」
私が小ぶりなクッキーの入った缶を飯塚さんに見せながら苦笑していると、飯塚さんは細い体をのばして深呼吸をした。
「せっかくだからいただこうかな? ……ん! サクサクで香ばしくて美味しい! これ、香川課長が作ったの?」
「うん、お菓子作りが趣味でね」
「へー。すごーい。もう一個もらっていい?」
「どうぞ」
飯塚さんはつまんだクッキーを美味しそうに食べると「ごちそうさま」と言って、休憩ブースを出て行った。
「さてと。私も仕事に戻るか」
クッキーの入った缶をポケットに入れ、私は自分の席に戻った。