翌日、席に着くと左斜め前のデスクにいる伊吹さんが話しかけてきた。
「香川課長が作るクッキー、めちゃくちゃ美味しいそうですね?」
「え? 誰から聞いたの?」
「飯塚さんが自慢してました。『香川課長が美味しいクッキーくれたのよ。ほっぺた落ちるかと思った』って」
「うーん、ほめ過ぎだよ」
私が答えると伊吹さんはしょんぼりとした様子で私に言った。
「私も食べたかったです」
ちょっと考えてから、伊吹さんに聞いてみた。
「それなら、週明けに伊吹さんにもクッキーもってこようか?」
「え!? いいんですか!? でも、催促したみたいで申し訳ないです」
伊吹さんは肩をすぼめて上目遣いで私を見つめた。
「いいんだよ。お菓子作るのは楽しいけど、全部食べてたら……」
そう言って私は丸々とした自分のお腹をさすった。
「だから、食べてくれる人がいるなら、ありがたいんだ」
「それじゃ、お言葉に甘えます。月曜日、楽しみです」
伊吹さんはニコニコしながら、仕事の準備を始めた。
「ここは会社だよ? 遊びに来てるんじゃないからね?」
冷ややかな声に振り返ると、清水課長が私のことを見下ろしていた。
「ああ、すみません。清水課長」
「女子社員に媚びるのもほどほどに」
それだけ言うと清水課長は自分の席に戻って行った。
「嫌味だけ言いに来たんですかね? 清水課長って香川課長に絡んでくること多いですよね?」
伊吹さんが小声で言った。
「え? そうかなあ」
「香川課長がみんなに好かれてるから、ひがんでるんですよ清水課長。嫌われてるのは自業自得なのに」
私は目をまるくして、伊吹さんを見た。
「……あんまりそういうこと言うのは良くないよ、伊吹さん」
「はーい」
伊吹さんは肩をすくめてPCの画面に視線を移した。
私もPCを立ち上げて、今日の予定を確認する。
会議が午前中と午後に一つずつ入っている。
事前に送られていたリンクから、共有ファイルになっている会議資料を印刷して確認する。ざっと目を通して、気になるところに付箋を貼った。
「さてと。次は書類仕事にとりかかるかな」
私は机の端に置いてある『要確認』ケースにある書類を一つずつ見て、気になるところをチェックし『確認済み』ケースに移した。
(課長でこれだけの仕事量なんだから、部長はもっと大変だろうな)と思いながら仕事を進めていく。途中、部下から質問や確認で話しかけられるたびに、書類から目を外し、部下の話を聞く。
「香川課長って、いつもちゃんと相手の目を見て話を聞いてくれますよね」
田中主任がぼそっと言った。
「普通でしょ?」
「いや、そんなことないですよ」
田中主任がちらりと隣の島の清水課長を見た。清水課長はPCから目を離さずに部下の報告を聞いていた。
「まあ、人によって考えがちがうんだろうね」
私が微笑みながら田中主任に答えると、田中主任は軽く頷いた。
「あ、そろそろ会議が始まるから……。ごめんね」
「失礼しました」
席に戻る田中主任を横目に見ながら、手帳と資料を手に会議室に向かった。