「お嬢様、どうぞこちらへ…少々お硬いですが…」
声が静かに流れる。時計の針の音すら鳴らず、静かな声がゆっくりと響く。声は静かに、そう静かに響く。川のせせらぎ、葉の間を通る風の音に負けそうな、しかし優しくしっかりと響く声は耳朶を打つ。
「可愛い耳をお見せください」
男の声は響く。低く優しい声が響く。しっかりと音声を上げないと聞き取りづらいがはっきりとした音声で響く。
ガサガサと何かを探る音が流れる。
「耳を綺麗にしますね」
「西宮!!!!!まぁた!!!お前かぁぁあ!!!」
ドン!とドアが開く音と共に男が一人入る。
ビクッと!西宮と呼ばれた青年は驚く。
「ちょっとちゃっと!?え?待って!!待ってくれないか?お嬢様方、ちょっと離れますね」
西宮は慌てて手元にあるマイクの電源をオフにする。一息つき、男を睨む。
「南保、なんかようか?」
「お前なぁ…」
南保と呼ばれた男は呆れながらも手元にある紙を一つ見せる。
「ん?ラブレターか?」
「脅迫状だ、あほう」
「あー、どっちから?」
西宮の言葉に南保は呆れた視線を向ける。
「レディなら、まぁエスコートを受けるべきだからな」
「脅迫状だよ、あほう。しかも男からだ」
「んー、燃やしといて」
西宮は適当に返し、パソコンをカタカタと操作する。
「そもそも、南保。配信中だ。本名を叫ばないでくれ」
「文句あるなら、実家から逃げてんじゃねーよ」
「逃げてない。追い出されただけだ。そう独り立ちとも言う」
自立というには強引では?と南保は呆れる。
「ほら、私だって頑張れば戻れるぞ?」
「戻ってくれるのか?」
「頑張りたくないから嫌だ」
西宮はそう言い、パソコンから手を離す。
「邪魔されたから、配信は中止にする。そろそろ東雲も帰ってくる頃だろう?」
「あいつはパパ活するとか言ってたぞ?」
「またかよ」
西宮は呆れた声で言う。
「少なくともお前よりも稼いでるから、文句を言うな」
「ん?実家の資産は大きいぞ?」
「お前自身は貧乏だろうが!!!」
南保は叫ぶ。それに西宮は理解できないと首を左右に振る。
「大丈夫だ。あの男は結局甘いのだよ。私が路頭に迷うものなら、必ずや助けてくれるだろう」
西宮はそう言い、笑みを浮かべる。
「それはそうと、今日の仕事はどうしたんだ?」
「あー、うん」
「守秘義務的なものか?」
「いや、単純にちょっとなぁ」
南保はそう言い溜め息を落とす。
「クビになった」
「うほほほほうははほはは!!おっほほほほほほぉぉお!!!」
「殴るぞ!!」
「そんなに短気なのが行けないんだ!誰を殴ったんだ?今度は?客か?従業員か?」
「あー、あんたの父さんを…」
「…親父を?」
言いにくそうに南保は離す。
「…何故?親父は私と違って性格や口に悪さがあるわけではないが」
「息子のことをよろしくお願いしますと言われたから、カッと来て」
「私のせいだと言いたいのか?!」
「そりゃ!毎朝毎晩!脅迫状来るわ!嫉妬で刺されそうになるわ!で問題だらけじゃないか!」
「お前が何かすれば良いじゃないか!」
「俺の言葉!俺の言いたいこと!何が本名呼ぶな?!配信中だ?!バラしたらじゃん!ここの住所!」
「あ、だからよく脅迫状来るのか…」
西宮の言葉に南保の声が呆れに埋め尽くされる。
稼ぎの悪い配信者として活動を行い、現物収入があれば良いのでは?と住所を相談もなく公開しているのだ。それすらも忘れている。なぉ、公開したのは良いが結局は欲しい物よりもファンレターや脅迫状が来てしまっている。
某通販サイトの欲しい物リストを使えばいいじゃないか?と南保は提案したことがあるのだが、西宮はそもそも何が欲しいのかわからないと作ったことがなかった。
欲する事を知らないわけではない。ただ知らない奴から何かを貰うのが癪なだけであった。
そのことを言うと南保は怒るので西宮は一度も言ったことはない。
「それでお前はどうするんだ?」
「どうするって?」
「仕事がないと我々を養えないじゃないか」
「てめー!も!働けぇ!!!」
南保の叫びに西宮は眉を顰める。
「邪魔したじゃないか、仕事」
「赤字じゃねーか!!!何人来た?!さっきの配信?!何人来たんだぁ?!」
「くくく、ここに住む人間と同じかそれ以下ぐらいだ」
「金にならねぇんだよぉ!!!」
南保の怒声が響く。西宮は少しだけ不愉快と睨む。
「何を言ってるんだ?一番向いている仕事はこれだぞ?来てないのは配信時間を間違えただけだ」
「ほら、ホストあるじゃん!ホストに行けよ!」
「…一時勤めていた時期はあるが…」
「あー…そっか」
西宮の表情に陰が見え、思わず南保は謝る。いや、良い。気にしないでくれと、西宮は続けた。
「ただ客が全員若くてな」
「てめぇの趣味じゃねーか!!!」
南保は怒声を再び上げ、西宮の胸倉を掴み、前後に激しく揺らす。西宮は不快だ、と表情で訴えるが南保は気にしなかった。
「お前はぁあ!!!」
はぁと息を吐き南保は西宮を解放する。
「まぁ、良い。警察にまた連絡するからな」
「くくく、税金泥棒を働かせるのなら、私の存在はありだろう?」
「警察は暇なぐらいがいい社会なんだよ!!仕事を増やすな!!!そもそもお前も働け!!!!」
はぁはぁと息を荒くする南保に不思議そうな瞳を向ける。
「お前が直接脅迫者を殴れば解決では?」
「増やすな!!」
警察の仕事を!と再び西宮の胸倉を掴み前後に揺らした。南保の悲鳴に西宮は少しだけ不機嫌そうな顔を一つ。
「その脅迫状とやらを見せてくれないか?送り主が男なら、東雲の可能性もある」
「ほら」
南保はぶっきらぼうにポケットから二つ折りの紙を取り出し渡す。それを受け取った西宮は内容を見る。
「あ、私だ。問題ない」
「大ありだ!!!」
ビリビリに紙を破り捨てながら言う西宮に南保は大声をあげた。何故だ?と疑問の視線を送るが、もういいと頭を抱えた南保は部屋から出て行こうとする。
脅迫状を送り付ける程度の事しかできない相手に時間を割く理由がわからなかった。臆病な相手だ。部屋にいるのを知っているのに入ってくることすらできないのだから。相手が諦めるのを待つのが一番だろうと、西宮は考えている。相手する時間がもったいないのだから。
南保が部屋から出て行ったのを確認した西宮は再びパソコンへと向き合う。配信は中途半端に終わったのは残念だが、謝罪をしないと行けないのは変わらない。いつも通り、SNSを開き、固まる。
「…凍結?」
アカウントはロックされていますという、一文が画面全体に表示されている。どの投稿だ?と頭をフルに動かすが、わからないと頭を抱える。
「くくく…私を虚仮にするのか?」
深い声が響く。ゆっくりと立ちあがると、ビシッとパソコンを指差した。
「私の父が財閥の主だと知っての事かぁ?!」
電話してやる!とスマホを探すが見つからない。ギリと再びパソコンを睨む。
「お、覚えてろぉおおお!!!」
そう叫び、部屋から逃げるように出て行った。