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第4話 生物学者・エルヴィン

あれは小さい頃だった。

誕生日プレゼントに貰った、百科事典端末。

生き物、自然現象、乗り物、古代遺跡、不思議なもの……多々あるその中で、僕の心が一番惹かれたものがあった。

ヴェルトーン877。通称は“砂の惑星”。

その星には砂の陸地以外に砂の海があり、夜には赤い空に三つの月が浮かんでいるらしい。

だから、その時決めたんだ。

将来は学者になって、絶対にあの星を調べに行くんだ、と。


「……こ、これが、あの……!!」

テーブルの上に置かれた大きな貝殻。ヴェルトーン真珠貝だ。

「早速調べさせてもらうね! なるほど、表面は黒もしくは褐色で時々白い斑点のようなものが交じる、と。よく見ればこれは砂だね。貝殻の表面を構成しているものに砂が付着しているのではなく砂が混ざっている、つまり殻を大きくしていく過程で分泌物に砂が混ざる、ということは餌となる微生物やミネラル分を海水と一緒に取り込んだときに同時に取り込んだ砂を分泌物と共に排出して殻の材料の一部に転用している可能性が高いってことか! うん、実に興味深いね! 他の惑星に棲む昆虫の一種に、幼虫時代は砂や石を糸や粘液で固めた繭のようなものを作って水中生活を行うものがいるけど、これも適応放散の一種の事例かもしれないな。いや、むしろこの星の特異な水中環境を考慮するとこれが最適な進化の可能性であることすら考えられるし、ひょっとすると生物の未知なる進化ルートの可能性もあったりするかも!? それどころか他の惑星の砂漠地帯の地下水系付近でも似たような環境が確認されれば類似種の存在が浮上するばかりか下手したら地下水系貝類の系統樹が書き換わる発見になるかも! で、内側は表面とは違う真珠層が何層も積み重なっている構造になっているのか。実に理にかなっているね。表面の硬い殻で圧力から身を守りつつ更に内側の厚い真珠層で表面から伝わる圧力を分散させているんだね。ほら見てよハン君、この放射状構造……」

貝殻から目を離し顔を上げると、そこには呆気に取られた表情の、漁師のハン君の姿。

どうやら僕は、またやってしまったらしい。むしろ、今回は特に長かったかも。

「あ、あはは、ごめん、ハン君。何か、置いてけぼりにしちゃって……」

思わず頭を掻く。

目の前に興味深いものがあれば、もうそれにしか意識が向かず、時場所場合を問わずに探求と探索と解析をしてしまう。僕の悪い癖だ。

悪い癖とは解ってはいるんだけど……どうしても止められない。

「いや、少し……驚いただけだ」

どう考えても少しどころではなさそうな表情だったけど。

「それにしても、よく貝殻を取って置いてくれてたね。普通だったら、真珠を取り出した後は廃棄処分になってたりするのに」

「……真贋鑑定で、バイヤーに送るよう要求されることもあるから……」

一ヶ月弱の付き合いではあるけど、彼の性格は何となく把握出来てる。

無口というか言葉が足りないというか、僕とは正反対だ。

「それにしても、本当に助かってるよ。船を出して海の調査に付き合ってくれてるだけじゃなくて、陸上の動植物調査も手伝ってくれてるんだから」

「漁業長から……出来るだけ協力してやれって、そう言われてるからな……」

そう呟いて、ハン君は顔を明後日の方に向けた。

もしかして、照れてるのかな。

「それじゃあ、明日は海の調査をしたいから、また船を出して欲しいんだ」

続けて、沸々と心の奥底から湧き出てきた願いを口に出してみる。

「あと、一度この星の海の中に潜って──」

「駄目だ!!」

言い終わる前に、思いがけないハン君の大声に遮られた。

「絶対に……駄目だ」

声が、震えている。

「あんたは……潜らない、方がいい」

すぐさま元の静かな口調に戻るが、彼の表情は真剣そのものだ。

「ど、どうして」

当たり前じゃないか。理由が無ければ、納得なんて出来る訳がない。

「“砂の唄”に呼ばれて、死ぬかもしれない。実際、死んだ奴だっている」

「……砂の、唄?」

僕の問いには答えず、ハン君は一瞬、苦々しい表情を浮かべた。

「とにかく、それでも潜りたいって言うなら……その時は、俺はあんたに協力できない」

そう言い残すと、彼は即席の研究所──僕が借りている住人の居ない空き家──から出て行ってしまった。

「これは……怒らせちゃったかな」

またやってしまった。

研究に没頭して知識欲を優先するあまり、他者の心の機微に疎くなってしまう。

どうして学習できないんだろうか、僕は。


外に出ると、すっかり夜になっていた。

この星の明るい夜にも、多少は慣れてきたのに。

海との境界に敷き詰められた、派手な色合いのブロックタイルに座り込んで、遥か水平線を見遣る。

波の音すら無い、砂の海。聞こえてくるのは風の音だけ。

耳が寂しくて、思わずデバイスのラジオアプリを立ち上げる。

ヴェルトーン877は主星からテレビの電波が届いてる範囲にも関わらず、何故か受信できない。

だから、ラジオが唯一のリアルタイムのメディアだ。

『DELTA RADIO 877。星間ラジオ専用周波数帯8.77で、ヴェルトーン877よりお送りしています。今宵もどうか、お付き合い下さい』

この時間だけ放送される、この星のラジオ放送。

『良いことがあった方も、そうでなかった方も。他の人に褒められた方も、怒らせちゃった方も。これは私なんですけど、ドジっちゃった方も。この一時が、貴方の慰めとなりますように』

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