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第5話 生物学者・エルヴィン②

【砂の唄】

惑星の乾燥地帯で観測される共鳴現象。微細な砂粒が風や水の流れによって擦れ合い、特有の周波数帯で音を発する。聞く者によっては旋律のようにも聞こえるとされ、惑星文化や宗教において神秘視された記録も残る。

多くは微弱で無害だが、一部の環境下では強い幻聴・方向感覚の錯乱を誘発するケースも報告されている。


「…………はあ」

正午過ぎ。宇宙港にある食堂。

今の時間帯は人気がない静かなその場所で、僕は一人、昼食を摂っていた。

もう何度目になるか分からない、ため息を吐きながら。

ここの名物メニュー、『貝と根菜のコンソメスープパスタ』は絶品だ。

絶品……なんだけど……。

「……はああぁ」

項垂れたまま吐き出したため息が、パスタの浮いたスープに小さな波紋を描く。

昨日の後悔のせいか、何となく食欲がない。味も感じない気がする。

「おやおや、どうしたんだい。いつも元気なあんたが珍しい」

僕の様子を見かねたのか、食堂の女将さん──ミトさんが話しかけてきた。

「あんたがそんな様子じゃ、午後から雨でも降るんじゃないかしらね。よしとくれよ、洗濯物が干しっぱなしなんだからさ」

女将さんは威勢よく笑うが、それでも元気が出そうもない。

「……何かあったってんなら、話くらいは聞いてやろうじゃないの」

カウンター越しに僕の前に立ち、少しだけ真剣な雰囲気で僕を見てくる。

僕は、話した。昨日のことを。

潜りたいと言ったら、ハン君に駄目だと言われ、協力できないとまで言われたことを。

「ああ……あんた、あの子にとって特大の地雷を踏んじまったねぇ」

くすんだ色の皿を拭きながら、女将さんはぽつりと呟いた。

「ハンの親父さんはね、漁の最中に深く潜りすぎて、それっきり行方不明になっちまったのさ。最期の言葉は『唄が聞こえる、砂が呼んでいる』──そんな、なんとも言えないようなもんだった、って」

砂の、唄。彼が言っていた……。

思わず、持っていたスプーンを握り締めてしまう。

「普段はもう、見たまんまの無口で不器用な子だけど……あのときはワンワン泣いて泣いて泣き叫んでね。こっちまで胸が締めつけられたよ」

彼のそんな姿は、正直、全く想像ができない。

僕が知っているのは、漁師としての彼だけだから。

「あの子は小さい頃に母親を亡くしてね、ずっと親父さんと二人暮らしだったから、随分とショックが大きかったみたいでね……。葬式の後は、まるで魂が抜けたみたいだった。誰とも話さない、何も食べない……このまま潰れちまうかと思った」

ハン君に、そんなことが……。

聞いてはいけないようなことを聞いてしまった気分になり、思わず口元を固く結んでしまう。

「──でもね。救ってくれたのは、幼馴染のレイちゃんだったんだ。何を話したかまでは知らないけど、そばにいて、黙って支えてやってた。あの子の声だけは、ちゃんと届いたんだろうねぇ。あ、レイちゃんてのはね、ラジオをやってる子だよ。知ってるかもしれないけどさ」

知っているも何も、この星に来てからは、ほぼ毎晩聴いているラジオだ。

落ち着いてるけど、ちょっと茶目っ気のあるあの声。それがハン君の幼馴染なのか。

「漁師を続けたのは意外だったけど、それもレイちゃんの影響かもしれないね。……ま、本人は何にも言わないけどさ」

何も言えなかった。

他の星から来た、完全に部外者である僕が、何かを言えるような立場ではないけれど。

僕は一度だけ、大きく息を吸い込むと、皿に残っているスープパスタを一気に平らげた。

「ごちそうさま!!」

言うや否や、僕は走り出した。

ハン君に、ちゃんと謝らなきゃ。

心が逸る。気持ちが急く。

宇宙港を出たところで、女の子にぶつかりそうになった。

「ごめん!!」

声だけ残して、足は止めない。

一歩駆け出す度に、足元の砂が鳴る。

果たしてこれも、砂の唄なのだろうか。

そんなことを思っているうちに、段々と脇腹が痛くなってきた。普段、運動をサボっているツケだ。

ちゃんと体を鍛えて体力も付けないと。フィールドワークは重労働なのだから。

そんな反省をしながら、気が付けば漁港に着いていた。宇宙港からは歩いても二十分程度の距離だ。

そしてハン君は、港に留めた船の整備をしていた。

船の後方に設置されたタービン状の外輪を動力にした、スクリューを無効化するこの星の砂の海に最適化された船。

「……先生、あんた……」

「ごめん!! 昨日は本当に、ごめん」

思わず土下座するくらいの勢いで、僕は頭を下げる。

「君は心配してくれてたんだよね? それなのに僕がワガママを言って、本当にごめんなさい。そして、もし、また少しずつでも協力してくれたら、嬉しい」

ゆっくりと頭を上げると、少し呆気に取られたような表情のハン君の姿。

彼は表情を緩めると、ぽつりとこう言った。

「分かってくれたんなら…………それでいい」


『皆さん、“砂の唄”ってご存知ですか? 私が住んでるヴェルトーン877では、砂が風に吹かれたりすると、とても綺麗な音が響くんですよ。それを“砂の唄”って言うんですけど……残念ながらマイクには乗らないらしいので、お聞かせ出来ないのがとても口惜しいです。もしも皆さんがお住まいの星で、珍しい自然現象などがあれば、是非是非、メッセージで教えて下さいね。もちろん、リクエストもお待ちしています』

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