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18:エルフとお茶を

 ――ドッカン! ドッカン! ドッカン!!


 物凄い破壊音と軽い地響きで、びっくりして目が覚めた。うー良く寝てたのに。地震?

 寝ぼけ眼で扉から顔だけ出すと、廊下に立っていた女将と目が合った。

「ああおはようございます、起こしてしまってすみませんねえ、何やら早くから司書たちが作業をしてましてね、普段はもうちょっと遅いんですが、朝食は不要ですね、はいはい了解しました」

 ウサギたちが、何かしているのなら仕方ない。私は大欠伸をした……なんか魚の夢を見ていたような気がするな……。


 顔を洗って、出発の準備をする。今朝はどうしてもコーヒーが飲みたいので、喫茶室に行く事にした。何か食べる物もあるだろう。昨日、宿の少し向こうに立て看板が見えていたけど、今朝もあの辺りにあるといいなあ。全くこのダンジョンは本気で面倒くさい。

 笑顔の女将にレプリカ金貨で料金を支払い、礼を言って、どこか遠くから相変わらずドッカンドッカンと音が聞こえる通路に出た私はびっくりした。


 目の前に、立て看板がずらりと並んでいるのだ。通路が賑やかな感じで、まるで小さな商店街のようである……いやずっと薄暗い石造りの通路ばかり見ていたんでつい盛り上がってしまう。昨日の鱗氏の古本屋の入り口も見えている。今日はどうやら向かいの本棚の隙間に施設が集まってくる日のようだ。ラッキー。

 おまけに宿の横には「長い温泉」の立て看板が出ている。父親のダンジョン・ガイドブックで「細長い川を泳ぐような温泉」と書かれていたところだ。興味はあるけど、でもまずはコーヒーと空腹だ。勇んで近づくと【薬草茶屋 おかゆとやくそう茶】と書かれている立て看板に目が留まった。うーん? コーヒーもいいけど朝粥もいいかなあ。と思案していた私は、ふと古本屋の前に立っている店番で居候のエルフ王子に気が付いた。マントは外しているけど、ウクレレを大事そうに抱えている。いつの間に。


「あ、おはようございます……王子」

 えーと名前は何だっけ? と思い出せなかったけど王子は鷹揚にうなずいた。

「うむ賑やかな朝であるな。そなた、昨夜は安眠できたか?」

「はあ、おかげ様で」

 まだじっとこちらを見ている。何か用だろうか、と首をひねってから気が付いた。もしかしたら彼も空腹なのかもしれない。よし、鱗氏には世話になってるんだし、ここは居候氏とも仲良くなっておくか。

「よろしかったら、王子も一緒に朝ごはんを食べませんか? お近づきの印にご馳走しますよ」

 すると王子は嬉しそうににっこりと笑った。

「ご馳走か。それは良いな」

 おお、美形のエルフの素直な笑顔は破壊力が強いな。思わずどきまぎしつつ、私はエルフ王子を先導するような形で店に入った。


 薬草茶屋は、店内は和風かと思ったら少し狭いぐらいで、2階の喫茶室とはさほど違いは無かった。ただ天井の照明は大きな提灯のようである。なるほどこれで和風ねえ……何者かとやらが面倒で手を抜いたか?

 テーブルに着き、一応王子に確認してから、注文を取りに来た茶色のエプロンのウサギにお粥と薬草茶のセットを2人前注文した。店の奥に姿を消すウサギを見送ると、王子が話しかけてきた。

「そなた、名は何というのだ?」

 そういえば名乗っていなかったかな。いきなり金を払えとか言われたし、鱗氏も別に紹介しなかったし。

「失礼しました、間宮菜月まみやなつきと言います。えーと、一応このダンジョンというか迷宮の所有者みたいな者で、あちこちで血縁者と呼ばれております」

「ふむ。ナツキか。良い響きだ。血縁者か……」

 言ってから王子は軽く眉をひそめた。

「そういえば、以前店に訪れた血縁者の男は、私の姿を見るなり大笑いするという態度であったな」

「あああああ、すみませんすみません! それ私の父なんですが、そういう性格だったので」

 確かに、あの父親なら大喜びで笑うかもしれない。ううう。

「父親か……まあ良い。その後は私の演奏を聴いて褒め称え、こちらの世界の歌も歌ってくれたからな」

「歌、ですか。へえ」

 道楽者で何でも器用にこなす父親だったから、歌を披露するのも抵抗は無かったかもしれない。そういえば母親はカラオケの熱烈愛好家だった。マイク握って熱唱するのをタンバリンを叩きながら声援したもんだ。懐かしい……。


 私は大事そうにウクレレをテーブルに置く王子に尋ねた。

「その楽器、こちらの世界に来てから演奏の仕方を覚えたんですか?」

 王子はうなずいた。

「タイドリアン王国を出た時に愛用の楽器はもちろん持っていたが、大嵐に遭って船から放り出されて、この世界に漂着するまでのどこかで失ってしまってな。吟遊詩人として困っていたら、店主が店の奥にしまい込まれていたという、こちらの世界の楽器を幾つか出して見せてくれた。その際に選んだのがこの楽器だ。形などが似ているし音色の軽やかさが気に入っている」

 同じように鱗氏が渡したウクレレ用の楽譜や教則本を見て弾き方を学び、ハワイアンも新しい音楽として毎日練習をしているとか。翻訳耳飾りのおかげもあるのだろうけど、なんだか想像より音楽の才能もあるようだし真面目である。怪しい奴とちょっと馬鹿にして申し訳なかったな。反省。


 やがて、お盆に乗ったお粥と薬草茶が出てきた。お粥は七草粥みたいな感じで、香りの強い薬草や小豆あずきのような豆など色々入っている。ほのかな苦みとあっさり塩味で熱くて美味しい。ダンジョンに入ってから野菜不足ぽい感じだったけど、ここで補給できそうである。

 大きなカップの濃くて香ばしい薬草茶を飲みながら王子を見ると、木のお椀によそわれたお粥を木の匙で、器用かつ上品に食べている。さすが王子。


「ナツキは、一人でこういう場所にやって来て、ご両親や身内は心配しているのではないか?」

 王子がお茶を飲みながら、少し私の顔を覗き込むように尋ねてきた。

「いえ、私は父も母もいないので、特に心配をかける身内はいません」

「弟妹などもいないのか?」

「ええまあ、一人娘です。母は看護師だったんですが、数年前に交通事故で他界しました。父は先日病死しましたし、親戚などもいないので身軽といえば身軽ですね」

 あ、ちょっと異世界の人に喋りすぎたかな。交通事故とか意味不明かも。でも王子はちょっと黙った。

「……そうであったか。立ち入った事を聞いて済まなかった」

「別に気にしてませんよ。それより、王子こそ故郷のご家族が心配しているんじゃないですか?」

「両親と妹たちは特に心配はしていないだろう。私がタイドリアン王国の王子として、苦難に怯みはせぬのはわかっているからな。ただ姉上は……とにかく気が短いからな。再会した時の事を想像しただけで気が重い」

 王子は小さく溜息をつき、私は思わず首をすくめた。しかし、どこからこのダンジョンに入って鱗氏と知り合ったんだろう。脱出も出来ないのかな。そういえば漂着とか言ってたけど。

 でもあれこれ尋ねるのも悪いな、と思っていると店の外の通路がまたドッカンドッカンとうるさくなってきた。そろそろ店を出て、出発した方が良さそうだ。

 王子にそう言うと、またじっと黙って私の顔を見ている。何か言いたげだ。

「えーと、何か?」

「いや。ナツキに貰った小箱の食料は美味であったと、礼を言わねばと思ってな」

「そうですか、それは良かったです。機会があればまた進呈しますよ」

 塩お握りを気に入って貰えて何よりだ。私はウサギに声をかけ、レプリカ金貨で支払いをした。

「何やらナツキには馳走になってばかりであるな。申し訳ない気分だ」

「王子の音楽をたっぷり聴かせてもらいましたから、お礼ですよ。お気になさらず」

 昨日とはずい分と王子の態度や話し方が違うなあ、と不思議に思いつつ通路に出た。少し離れた場所で、ウサギたちが集まって何やら話し合っている。本棚に本を詰めたりするのかな。司書ウサギはいるかな。

 ウクレレを抱えた王子も、ウサギたちの方を見てから私に尋ねた。

「ウサギが押し掛けてきそうだから私は店に戻るが、ナツキはこれからどうするのだ?」

「私はこれから、案内処に行って――」


 その時、ウサギたちの方から何やら大声があがり、え? と思った瞬間、私は全身に衝撃を受けて突き飛ばされ、通路に倒れ込んだ。

「ナツキ!」と王子の叫び声が響き、腕や肩をぶつけた痛みで霞む私の目に、ナップザックを胸に抱えたウサギの姿が見えた……え、黒いウサギ?


 黒ウサギは、けけけけけ! と甲高い声で笑いながら私のナップザックを頭に巧みに乗せると、猛スピードで駆け出し、あっという間に見えなくなった。


 王子に支えられて何とか体を起こした私は絶叫した。

「ドロボー!!!!」

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