絶叫は出来ても、衝撃と打撲の痛みで身体が動かず黒ウサギを追いかけられない。
猛烈に焦った瞬間、私は王子に抱え上げられていた。はい?
王子は私を抱えたまま、物凄い速度で走り出した。エルフって力持ちで運動神経が良かったっけ? などと、ぐらぐら揺れる頭の隅で考えていると、前方が全力で走るウサギたちだらけになった。
何だ何だ、何事?
走りながら王子が言った。
「ナツキ、盗られた荷の事を考えてくれ。そうすれば、私はあの黒ウサギを見失わずに追う事ができる」
「えっ、追うって、いや、あの、はい、わかりましたー!」
質問も説明も後だ、とにかく私は必死で私のナップザックを頭に乗せた黒ウサギの姿を思い出しながら、おもちゃとはいえ有り金全部入ってるんだー! 返せー!! と胸の内で怒って絶叫した。打撲の痛みが怒りに拍車をかける。
どうやらウサギたちも口々に「返せー!」と叫んでいるようだ。他にも泥棒した黒ウサギが? と思っても、周囲の状況は全くわからない。
ここはもう、王子を信用するしか無い、と思いつつ胸にすがりついていると王子の足が止まった。全く息を乱していない。凄い。どうやら階段に辿り着いたようだ。
王子が、同じく立ち止まっている白ウサギたちに大声で言った。
「ナツキの荷を盗った黒ウサギは、階下に逃げた。私はナツキと共に追跡する。お前たちの方はお前たちで何とかするが良い」
再び王子は、走って階段を飛ぶように下りていく。ひえー視界が高いのでなんか怖い!
「黒ウサギは、5階を走り抜けて6階に向かっているようだ。もう少し我慢してくれ」
もう、ふひゃい、とか腑抜けた返事しか出来ない。
司書ウサギに連行された時も担がれて移動したけど、あの時より速度が速くて思考が全く追い付かない。
あっという間に5階の通路を走り去り、どうやらすぐに階段に辿り着いたようで、6階へ下りていく。
……妙に階段が長いような気がする……5階には「星空の見られる天空温泉」があると父親のガイドブックで読んでいてちょっと楽しみにしていたのにお預けだ……でもそれ以上に視界がぼやけたようになって気が遠くなってきた……。
いかん、盗られたナップザックの事を考えるんだ! あの黒ウサギめシチューにしてやる……。
いきなり王子が立ち止まり、なぜか私を抱える腕に強く力を込めた。え、何? 周囲が良く見えない。
「何者かは知らぬが、その荷を返せ!」
王子が怒鳴り、初めて聞く女性の声が通路に響いた。
「あーははははは、おお怖い。嫌ねえ乱暴者は」
王子が静かにしゃがんで私を床に下ろし、背中を本棚にもたれさせると小声で言った。
「ナツキはじっとしているが良い。私があの者から荷を取り戻す」
王子にすがって何とか通路を眺めると、少し離れた場所で黒ウサギが仰向けに大の字になって倒れている。どうやら気絶しているようだ。
そして黒ウサギのすぐ側に、背中に巨大な薄紫色の羽が生えた、金色にきらめく流れるような衣装をまとった、キラキラ輝く女性が立っていた。髪の毛も金髪でくるくる縦ロール状態。頭のてっぺんに小さな金色の王冠のような物が輝き、肩まで届く金の鎖のような耳飾りをつけている。
どっからどう見ても、派手な金色の妖精という感じだが、何だか小馬鹿にしたような笑顔を浮かべ、金色のサンダルを履いた右足で何かを踏みつけている。
しばらく呆然と眺めてから、はっと気が付いた。私のナップザック!
「ちょっと! それは私の荷物よ! その足をどけなさいよ!」
王子が何やら言って止めようとしたが、私は一瞬で怒り心頭である。
ところが妖精は、何と私に向かって舌を出した。あっかんべーである。
「嫌ですよーだ。黒ウサギが私のところに運んで来たんだから、私の物よ。踏もうが蹴ろうが自由でしょ」
「ああああああんたねえええ!」
その時、黒ウサギがむくりと起き上がった。
「ああ、びっくりした。急に視界が暗くなって頭が痛い。おや女王、そんな所に」
「そんな所にじゃないわよ、勝手に私にぶつかって気絶してさ。ちょっと痛かったんだからね。いいからさっさと、この荷を雑貨屋まで運びなさい。店主と交渉して中身を高値で売りさばくんだからね」
「はい、わかりました」
売りさばくだあ?
黒ウサギがのっそりと立ち上がったが、王子も私から離れて立ち上がった。私は怒りと痛みで動けない。座っているのがやっとだ。くそう。
「その荷はお前の物ではない。その黒ウサギに負傷させられた、血縁者であるナツキの物だ。実に許しがたい暴力行為である。さっさと荷を返せ」
妖精は、ふん、と鼻で笑った。
「血縁者? へーえ、ふーんそうなんだー。じゃあ特別サービスで荷を返すから、手間賃を払いなさいよ」
金を払え? 私は一瞬痛みを忘れて怒鳴った。
「金を払うのはそっちでしょう! 私はこのダンジョンの所有者だから、あんたに治療代を請求するわよ!」
「なーんで、あんたみたいな貧相なのに払わなきゃいけないのよ」
「悪かったわね!」
そこまで叫んでから、息が切れて上手く喋れなくなってきた。腕や肩が激しく痛む。思ったより派手にぶつけたようで、座るのが辛くなり、とうとう通路に倒れ込んでしまった。怒りすぎたのか、頭まで痛くなってきた。
私の様子に気づいたらしい王子の声が少し低くなった。
「どうしても素直に返さぬのならば、私にも考えがあるぞ」
「くっだらなーい、馬鹿じゃないの」
煽るのが趣味なのか、この派手妖精は? と目を閉じてぼんやり考えていると、いきなりドスンドスン! と地響きのよう音が響き、辺りがにぎやかになり、聞き覚えのある司書ウサギの怒鳴り声がした。
「貴様ら決まりを破るとは何を考えている! 本を返せ!」
「やなこった。女王の命令だ、本はこっちに頂戴する」
「本の譲渡は交渉と話し合いで決まる事だ! 集団で勝手に持ち去るとは言語道断! 返さねば通路を封鎖するぞ!」
カッコいいぞ司書ウサギ、と応援してやりたいが動けないし目も開けられない……。
「本なんか山ほどあるんだから、ちょっとぐらい貰ってもいいでしょう」
派手妖精の声と訝し気な司書ウサギの声。
「……誰だ、お前は?」
「誰でもいいでしょう。ぎゃーぎゃーうるさいウサギに説明する気なんか無いわよ」
やっぱりこの妖精、煽るのが趣味だ、と思った時に間近で王子の声がした。
「ナツキ! しっかりしろ、大丈夫か?」
返事が出来ない。通路が冷たく、身体も冷えて動かない。王子の、顔が真っ青だという声を遠くに聞いて、もう駄目だと思った時、柔らかな不思議な声が聞こえた。
「まあまあ、皆さん、お静かに。いがみ合いと口喧嘩はおやめください。女王、その大きな荷物はお手数ですが持ち主にお返しください。当店では盗品売買はお断りしております」
そうだ、さっさと返せ。
そして、そのまま思考は完全に真っ暗になって何もわからなくなった。