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22:黒ウサギ大行進

 私は、とにかく落ち着け落ち着け、と自分に言い聞かせた。


 こういう時はパニックになるのが一番危険だ。

 私はゆっくりと右の方に歩き、本棚に手が触れてほっとした。本棚に背中をつけ、とりあえずどこか近くの本棚の隙間まで移動しようと見回す。暗い分、灯りは目立つはずだ。

 幸い、暗闇に慣れてきた目に、前方に小さく灯りが2つほど見える。そちらに向かって歩き出そうとした時、ギリギリという音がどこからともなく響いてきた。

 この音は聞いた覚えがある。初めてダンジョンに入った時、この音がして本棚の隙間が開いて迷宮案内処が出現したのだ。まさかまた何か出てくる? と思った瞬間にギクッとした。

 遠くの小さな灯りが、みるみるうちに細くなり消えていくのが見えたのだ。

 通路に何重にも響く音に、私は7階の本棚の隙間が全て閉じようとしているのを確信した。


 あっという間に、通路は完全な暗闇になった。もう何一つ、自分の足元すら見えない。

 階段も恐らく閉じてしまっただろう。


 私は、力が抜けてその場に座り込んでしまった。本棚にもたれるようにして、膝を抱えて丸くなる。

 寒くて身体が震えてきたけど、ナップザックを開けて服を取り出す気力も無い。

 ……さっき、ちらりと、異変に気付いてヴァレンティール王子が助けに駆け付けてくれるのを期待してしまった自分に、猛烈に嫌気が差していた。

 あんな事を言っておきながら、虫の良い事を……自己嫌悪で落ち込んだ気持ちで目の前の、物音ひとつしない暗闇を見つめる。


 こんな暗闇は、母親が死んだ夜を思い出してしまう。

 無人運転車の突然の暴走事故に巻き込まれ、避ける間もなく、はねられて即死だった。

 蓋が閉じたままの棺が安置された、ランプが一つだけの暗い部屋。

 棺の前で、いつまでも黙って座っていた父親の背中。

 何か話をしたような気はするけど、覚えていない。

 母親と父親、両親の死に目にも会えなかった自分は、ここで、誰も入ってこられないダンジョンの隅で消えていくのかな……。

 自己嫌悪と恐怖で涙が出て、ぐちゃぐちゃな気分になってきた時、どこか遠くから妙な音が聞こえてきた。


 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。

 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。

 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん。


 何だかリズム良く歩いているような……いや行進?

 暗闇で音が反響しているので、遠いか近いか良くわからない。

 その時、突然、足元の通路に幾つものぼんやりした灯りが浮かびあがり、それがちょこまかと動き回り始めた。

 街灯ネズミだ!

 こんな状況では、こんな小さな灯りでも本当に嬉しい。急いで頭を下げて、爪先辺りにいる灯りを持った街灯ネズミに話しかける。

「ネズミさん!急に真っ暗になって何も見えないんだけど、私をどこかに案内できる?」

 立ち止まって私の顔を見上げた街灯ネズミは、不安そうに鼻とヒゲをぴくぴくさせた。

「あのね、わかんないの。夜になって出て来たけど、夜なのに真っ暗でみんな入り口がわかんなくて案内できないの。ごめんね、ごめんね」

 そうか、やっぱり異常な出来事なんだ。私は拳を握り締めた。

「うんわかった。謝らなくていいよ。でもネズミさんたちもどこかに隠れてた方がいいんじゃない?」

「うん……でも……」

「何だか変な音も聞こえるし。案内はいらないよ。私は自分で何とかするから大丈夫だよ」

 いきなり、地響きのような音が響いた。


 ――ドォーン! ドォーン! ドォーン!


 街灯ネズミは、ぴゃっと飛び上がると「じゃあねえ」と言いながら走り去った。他の街灯ネズミもみるみるいなくなった。また暗くなったけど、私はナップザックをしっかり抱えて音のした方向を見た。

 でも、街灯ネズミと話した事で、少しだけ気分が落ち着いた。泣くのも自己嫌悪も後にして、とにかく今の状況を何とかして脱出する事だけを考えよう。


 思い出せ。私はこのダンジョンの所有者だ。税金もきちんと払ってるんだ。


 ジャケットのポケットから気に入りのタオルハンカチを取り出し、顔をごしごし拭いて気合を入れた。

 街灯ネズミが出てこられたなら、完全には閉じ込められてはいない筈だ。何とか動ければ……。


 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん!!

 ――とっすん、とっすん、とっすん。ととっすん!!


 その間にも、行進しているような音は段々近づき、何やら不協和音な歌声が聞こえてきた。


 ――真っ暗闇でもへいきだよ、なぜなら僕らは黒ウサギ

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、僕らはここそこ何でも見える

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、音楽あればもっと素敵!

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、運んで運んで棚入れろ

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、運んで運んで穴入れろ

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、音楽あればもっと運ぶ!

 ――真っ暗闇でもへいきだよ、なぜなら僕らは真っ黒ウサギ


 え? 黒ウサギ? と思わずナップザックを抱える腕に力を入れた瞬間。

 私の周囲は金色の光に照らされ、私は黒ウサギの集団に取り囲まれていた。司書ウサギたちと違って、黒ウサギはエプロンをつけていない。みな、床に座り込んでいる私を黙って興味深そうに眺めている。

 そして頭上から、いつかの聞き覚えのある声が響いた。


「何だ貧相な血縁者じゃない。なんであんたが、ここにいるのよ」


 見上げると、背中に巨大な薄紫色の羽を生やした金色に輝く派手妖精がいた。金色のドレスをなびかせて、淡い金色の光の中、空中を優雅に漂っている。黙って見ればファンタジーな光景だ。

 しかし見上げた私は、一瞬で頭に血が上った。

「なんでじゃないわよ! 7階に下りてきたらいきなり夜になって身動きが取れなくなったのよ!」

 派手妖精は、フンと馬鹿にしたような表情を浮かべて背中の羽を動かした。金色の粒子が漂う。蛾か。

「血縁者がこの程度でぐずぐず泣いてんの? 私の黒ウサギたちが作業しやすいように夜にして隙間を閉じただけよ。でも貧相女がいるのは、予定外だったわね」

「あんたの仕業だったの? ごちゃごちゃ言ってないで、さっさと昼に戻しなさいよ! 派手妖精」

「私の事は女王と呼びなさい。私は妖精の女王なんだからね、へたれ血縁者」

「じゃあ呼んでやるわよ、キンキラ派手女王!」

「派手さが重要なのよ。しょぼい貧相な人間にはわかんないでしょうね。私はね、このダンジョンで派手に光る古本屋を始めようと思ってるのよ」

 何をトンチンカンな事を言ってるんだ、この派手女王は。古本屋だあ?


「古本屋をやるってんなら、家賃を払いなさいよ!」

「家賃? 何であんたに金を払う必要があんのよ」

「私はこのダンジョンの所有者よ! ただで商売やろうなんて図々しい。店を出すなら金を払いなさいよ。請求する権利が私にはあるんだからね」

「所有者? くだらない。あーいやだいやだ、家賃を払えとか、治療費を払えとか。貧乏くさい上にせこいんだから」

「ふん、あんたみたいに無駄に金粉まき散らしてるよりはマシだわよ」


 何か言い返してくるかと思ったら、女王は目を細めて私の方を見ている。

「何よ、急にじろじろと」

「……へえ、血縁者、その抱えている荷物にずい分と大事な物を入れてるのねえ」

「え? 大事な物?」

 私は思わず抱えているナップザックを見た。そりゃ確かにダンジョンでの有り金全部入ってるけど。


 女王はふわりと漂って、私の方に近づいてきた。

「ふーん? 何だろ? わかんないな。でも気になるから、その大事な物を寄こしなさいよ。そしたら通路を元に戻してやるわよ」

「いきなり何よ、お断りよ! 交換条件とか卑怯者!」

「あっそ。じゃあいいわよ、当分の間そこでメソメソ泣いてなさい。黒ウサギたち、作業を続けるわよ」

 女王は命令してから、私の顔を覗き込むと、ニヤリと笑った。良く見れば唇は鮮やかな紫色だ。

「そうだなー暇潰しに、あんたも黒ウサギに運ばせて、<裂け目>に放り込んでやろうかなー。血縁者が消えたらどうなるのかなー」


 <裂け目>? 放り込む? 何故かぞっとして口がきけなくなった。

 黙り込んだ私を見て、楽しそうにケラケラ笑っていた女王が、いきなり空中に高く飛翔した。

「そこまでだ。迷宮のもんに手を出すな」

 その声に、私は反射的に大声で叫んだ。

「鱗さん!」

 少し離れた暗闇に、半透明で青く輝く鱗氏が立っていた。幽霊姿で来てくれたんだ!

 女王が、憎々しげに鱗氏を見下ろした。

「誰よ、あんた。じじいが幽霊になってうろうろしてんじゃないわよ」

「黙れ。さっさと黒ウサギどもを引き連れて消えて、7階を元に戻せ」

「どうするかは、私が決めるわよ、じじい」

 しかし鱗氏は全く取り合わない。

「消えろ」


 女王はしばらく鱗氏を睨みつけていたけど、大声で命令した。

「黒ウサギたち、戻るわよ! 落とし穴を全部開けなさい!」

 それから鱗氏に向かって言った。

「あー忌々しい……クソ幽霊、2度と私の前に顔を見せるんじゃないわよ」

 そのガラの悪い言葉を最後に、女王は金粉をきらめかせて飛び去り、黒ウサギたちもあっという間に去っていった。

 金色の光が消えてまた暗闇になったけど、私はほーっと息を吐いた。

「鱗さん……」

 私の泣きべそ声を聞いても、鱗氏はこちらに近寄らず、手だけ振った。

「通路はすぐ元に戻るだろう。階段が使えるようになったらまた来る。6階と8階は大騒ぎだよ。ウサギたちも押し掛けてくるし、それまでじっとしてろ」

「わかりました」

 鱗氏はそのまま暗闇に姿を消し、私はようやく落ち着いてぐったりと目を閉じた。良かった……助かった……。


 ――ドォーン! ドォーン! ドォーン!


 またどこからか大きな音が響き、やがて周囲が明るくなり、ギリギリという音が響きだした。

 元に戻ったんだ……と安堵して周囲を見回した私はちょっと驚いた。見渡す限りの本棚が空っぽだ。黒ウサギが持って行った? 司書ウサギが激怒するぞ……。

 やがて、階段の方からドスンドスンと足音が響き、姿を現した背の高いウサギが本棚を一目見て「なんですか、これは!」と叫び、座り込んでいる私を見て「やや血縁者!」と叫び、背後に続くウサギたちに何事か叫んだ。

 私も立ち上がろうとしたけど、身体が動かない。気が抜けたせいか、身体が冷たくて気分が悪くなってきた。その時、ドスンドスンと一段と大きな足音がして、司書ウサギの怒号が響いた。

「黒ウサギどもが! 絶対に絶対に許さん! 血縁者、無事か?」


 その後、司書ウサギの指示で、私は数人のウサギに担がれて休憩処に運び込まれ、ソファーに座らせてもらった。熱いお茶を飲んで動けるようになってから洗面所の冷たい水で顔を洗い、ようやく落ち着いた。

 そういえば、ヴァレンティール王子……階段を上って戻って行ったけど、この騒ぎに気付いているかな……と、ソファーにへたり込んで考えていた時、休憩処の入り口に人間の姿に戻った鱗氏の姿が見えた。

 何やら司書ウサギと話してから、ちらりと私の方を見た。その難しい表情を見た瞬間、どういうわけか心臓がドキリとした。嫌な予感に突き動かされて、私は座り直した。

 鱗氏が難しい顔のまま近寄って来ると、低い声で言った。

「……店番のエルフが、階段に閉じ込められて行方不明になった。これが途中に落ちていた」

 差し出された物を見て、自分の顔から血が引くのがわかった。


 それは、ヴァレンティール王子のマントだった。

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