ヴァレンティール王子は体をぐるぐる巻きにされた状態で気を失っているのか、私が大声で名前を呼んでも反応が無い。
悪趣味な金色に輝く女王は、私を見下ろすと馬鹿にしたような表情を浮かべ、わざと片手でぶら下げているヴァレンティール王子を、大きくぶらんぶらんと揺らした。
あんの派手女王ーーー!!!
私は完全に頭に血が上り、突然の衝撃で固まったウサギたちを強引に押しのけて前方に出ようとしたけど、鱗氏に強く腕を掴まれ小声で止められた。
「じっとして様子を見てろ!」
鱗氏の厳しい口調に一瞬冷静になったけど、涙声は止められない。
「でも、でも王子が……」
「あの女の挑発に乗るな、落ち着け。王子と子分を交換しようとしてるんだ、危害は加えん。ウサギたちに任せろ」
その時、パニックから立ち直ったらしい裁判長ウサギが、木槌を激しく打ち鳴らした。
「裁きの場に乱入とは、信じられない悪行だ! 即刻退出を命じる!」
女王は、目を細めて裁判長を見下ろした。
「こんな辛気臭い場所、言われなくてもさっさと出て行ってやるわよ。その前に黒ウサギたちを返してもらうわよ」
「犯罪者を返すなど出来るか! 彼らはウサギ世界の決まりで裁かれた後、黒ウサギの縄張りに引き渡す事になっている。これは我々ウサギ世界の掟だ。お前がどうこうできる事ではない」
「あっそ。じゃあこの図体だけはデカい役立たずはどうなってもいいのね? せっかく担いで来てやったのにさ」
私が思わず両手を握り締めた時、司書ウサギが裁判長の前に走り出て来た。胸元の金色のリボンが輝く。
「裁判長! 発言の許可を!」
裁判長ウサギは木槌を鳴らした。
「よろしい、許可する。書記よ、きちんと記録するように」
「あの金色女が人質にしているエルフの店番、彼には我々司書部門の多くのウサギが恩を受けています。種族は違っても受けた恩は返さねばなりません。そうですね?」
「もちろんだ。受けた恩は必ず返す、それは我々ウサギの最も大事な掟だ」
「エルフの店番は、そこに座っている血縁者も保護し手助けしています。よって、今回は交換に応じるべきだと考えます。まずはエルフの店番を取り戻し、あの黒ウサギどもは次に捕縛した時に3倍の罰を与えるという事で、この場の収束を図るべきだというのが、私の意見であります」
司書ウサギは黒ウサギたちに向かって耳をパタパタさせ、黒ウサギたちは檻にしがみついて足をパタパタさせ、女王は退屈そうに首を回して頭の金色の花がわさわさ揺れた。
「で、どうするのよ、老いぼれ。返すの、返さないの」
裁判長ウサギは木槌を激しく鳴らした。
「判決! 捕縛された黒ウサギはエルフの店番と交換でそこの女に返す事とする。書記よ、今の発言をきちんと記録するように。女、エルフの店番をこちらにすみやかに渡すように」
「何がすみやかよ! まず、連中を檻から出しなさいよ」
そうか、さすがの女王も檻に入っているなら手出しは出来ないのか。何とかヴァレンティール王子が無事に戻れそうで少し安心した時、女王が突然こちらを向いて睨みつけてきた。
「見た
鱗氏は今回も相手をする気はないようだった。
「この姿なら怖くはないだろう? さっさとエルフを置いて出て行け」
女王は初めて不愉快そうな表情を見せた。どうやら幽霊の鱗氏は苦手な存在らしい。
「怖くなんかないわよ! 本当に忌々しい」
「そうか」
全く動じない鱗氏は凄いけど、私は横でハラハラしていた。女王はまだ王子を手にぶら下げているのだ。
「そうよねえ、あんたは存在を許されてるのよねえ。でもそのうちに幽霊なんか、全部粉々のゴミ屑にしてやるわよ」
「迷宮の者に手を出せるなら、やってみろ」
女王は、ふんと笑った。
「このダンジョンは、あんたみたいなので満杯になってうっとおしいったら。でもこれからはすっきりするのさ!!」
女王は、いきなり手にぶら下げていたヴァレンティール王子思い切り遠くへを放り投げて叫んだ。
「あんたたち、さっさとこっちに飛んで来なさい!」
ヴァレンティール王子は宙を飛び、私は悲鳴をあげ、危うく床に激突しそうになった間際、大勢のウサギたちが「わあああ!」と叫びながら走って追いかけて、束になって何とか受け止めてくれた。
はあああ、良かった……幾らエルフの肉体が頑強でも、気絶した状態で高所から墜落したらどうなるかわからない。
私は大急ぎで、ウサギたちに囲まれて横たわるヴァレンティール王子に走り寄った。目は閉じたままだけど、かすかに身動きする全身に巻き付けられている布を何とか外そうとする。ウサギたちが手伝ってくれて、最後は力任せで布を引き破り、身体が自由になった。そのまま床に横たわる彼の顔を覗き込んだ私は、違和感を覚えた。あれ? 何か雰囲気が違う……その途端、気が付いた。
「髪の毛! 髪の毛が切られてる!」
遠目では気が付かなかったけど、あの美しい長い銀髪がばっさり切られている。女王の仕業に違いない。何を考えてこんな酷いことを……腹正しさと悔しさで唇を噛み締めた時、ヴァレンティール王子が目を開けて緑色の目で私の顔を見た。
「良かった、気が付いた? どこか痛んだりしない?」
まだぼんやりしているらしいヴァレンティール王子が、不思議そうな表情になった。
「……なぜ、ナツキがここにいる?」
「あなたが、ここに放り出されたんだよ」
「……そういえば階段で黒ウサギの集団に襲われて……」
やっぱりそうだったのか。でも詳しい話は後だ。何やら考え込んでいるようなヴァレンティール王子に話しかける。
「とにかく移動しないと。歩ける? 無理ならウサギさんに手伝ってもらうから」
確か控室のような部屋が向こうにあった。そこに一応医者を呼んでもらおうと、立ち上がった私の手を、いきなりヴァレンティール王子が握った。強い力で痛いぐらいだ。
「なに、どうしたの?」
驚く私にヴァレンティール王子が起き上がってひざまずき、手を握ったまま私を見上げるように言った。
「私は、ナツキに正式に求婚する。私の愛は永遠にナツキだけに捧げると誓おう」
頭が真っ白になった。
そんな状態でも、周囲を取り囲んでいたウサギたちが、ザザザと引いて距離を取ったのがわかった。ウサギに引かれてるよ!
完全に固まってしまって口がきけない私に、ヴァレンティール王子は更に言った。
「私は生涯、何事があろうともナツキの側にいる。どうか私の妻になってくれ」
ようやく言語能力が回復した。
「何よ、急に、こんな人前で、いきなり、なんで求婚なのよ!」
「捕まえられて、身動きが取れない状態だった時に、ずっとナツキの事だけを考えていた。そして次に会えたら、真っ先に求婚しようと心に決めた。だから求婚した」
「なんでそうなるのよ! 私、あの時、ひどい事を言ったのに!」
ヴァレンティール王子はきょとんとした顔になった。
「別にひどくは無い。ナツキが私と一緒にいたくないと思うのはナツキの自由だ。だが、私は生きている限りずっとナツキと一緒にいたい。だから求愛して求婚する」
なんだか論理が無茶苦茶だ。でもものすごく飛躍しているのはわかる。わかるけども。
「種族も何もかも違うじゃない! あなた王子で王族で身分も違うし!」
「そんな事、どうとでもなる。そもそもナツキは心配しすぎだ」
もう、どうしてくれよう、この性格。私は息切れがしてきて黙ってしまい、ヴァレンティール王子は立ち上がって、手を握ったまま私の顔を覗き込んだ。
「ナツキは、私の事が嫌いなのか?」
美しく光る緑色の目を間近で見て、急に涙がぽろぽろと出てきた。
「嫌いなわけないでしょう! 大好きだよ! でもずっと心配しててやっと戻ってきて会えたと思ったらいきなりそんな事言われて、何か腹が立つ!」
ヴァレンティール王子は、笑顔になって満足気にうなずいた。
「私の事が大好きならば、これで婚約は成立だ。けれどなぜ泣いて腹を立てるのだ?」
「わかんない! でも腹が立つ!」
私は完全に混乱していた。彼の短くなった銀色の髪を見て余計に腹が立ってきて、泣きながら大声で叫んだ。
「いきなりいなくなって、会いたくて会いたくて、でも私何も出来なくて、助けにも行けなくて、髪も切られて悔しくて腹が立つ!」
突然、裁判長の鳴らす木槌のカンカンカン!という音が響いた。
はっと我に返って、泣き顔を上げると、周囲のウサギたちが完全に呆れたような表情で私たちを見ていた。そうだった、ここは裁きの場で……私とヴァレンティール王子は手を握り合って立っている。
涙が引いて、次に顔が真っ赤になったのが自分でもわかった。
鱗氏が溜息をつきながら近づいてきて、ヴァレンティール王子の肩をぽんぽんと叩き、耳まで赤くした私の方を見て、おもむろに言った。
「婚約おめでとう。けどな、ここから先は2人きりになってからやってくれ」
裁判長の声がした。
「突然ではあったが、裁きの場の裁判長の前でエルフの店番が血縁者に求婚し、血縁者は受け入れた。ここに両名の婚約が成立した事を正式に認める。書記よ、きちんと記録しておくように」
ちょっと待てー!!