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25:落とし穴はこちらです

 ダンジョン8階の広大特別室の奥にある来賓用控室は、珍しく大きな窓が幾つもあり、どこからか光が差し込んでいる。


 広大特別室の天井を女王がぶっ壊して大穴を開けて降下出現し、捕まっていた子分の黒ウサギたちを連れて立ち去るという大騒動のおかげで、裁きの場は一時休憩という事になった。

 そして突然婚約が成立した事になった私とヴァレンティール王子の2人は、ウサギの担当者に控室に案内されたのだった。というか、ほとんど追い払われたようなもんである。

 ウサギの集団に生暖かい目で見送られて……鱗氏だけはニヤニヤ笑っていたけど。くそう。


「広大特別室は、ウサギ以外は出入りが面倒ですからここで休憩していてください。すぐに医者が来ます。後で改めて事情を聞くために呼び出しますので」

 ウサギの担当者に説明され、入れ替わりにウサギ医者が入ってきた。素早い。

 私は豪華な布張りの椅子に座り、隣のソファに座ったヴァレンティール王子は大人しくウサギ医者の診察を受けた。幸い、大きな怪我などは無いようで安心する。

 腰近くまであった銀髪は乱雑に切られ、耳元あたりでくしゃくしゃだ。ちゃんと整えないと……ウサギに理髪師はいるのかな……。

「はい、じゃあこの特製薬湯をきちんと飲んでから、水分補給をしてください。食事はいきなり食べ過ぎないように少しずつ。では」

 医者ウサギは診察を終え、カップに入った薬湯を渡すと、さっさと控室を出ていった。


 ヴァレンティール王子は、薬湯を口元に近づけてしかめ面になった。

「これはまた、凄い匂いだな」

「全部飲まないと駄目だよ。効果は私が保証するから。それにしても捕まえてから一切食料を与えないなんて、ひどい扱いを受けたね」

「まあ私の種族は、その気になれば長期間の断食は割と平気だが……」

 そう言いながら彼が薬湯を一気に飲み干して悶絶している間に、私はナップザックからマントを取り出すと手渡した。


「ああ、良かった。ナツキが持っていてくれたのか」

 喜ぶヴァレンティール王子の横顔と短くなった髪を見て、訳のわからない溜息が出た。

「どうしたのだ? 元気が無いが。また怪我の具合が悪くなったのか?」

「ああ、うん、ちょっと色々ありすぎて疲れただけ。でも、髪は切られたけど、翻訳耳飾りをあの派手女王に盗られなくて良かったね」

 ヴァレンティール王子は苦笑しながら耳飾りに触れた。

「あの女は金色に光る物だけに興味があるようだから、青い宝石は無視したのだろう。だが確かに、髪はまた伸びるが、ナツキの言葉の意味がわからなくなるのは困るので助かったな」

 私もちょっとだけ笑った。

 なんだか彼に甘えてばっかりだけど……でも今は素直に甘えさせてもらおう。

「えーと。婚約もまだピンとこないけど嫌じゃないし、結婚とかもまだまだ考えられないけど、でも私も一緒にいたいし一緒にいてくれて嬉しい。ちゃんと言っておく。あの時は何だか色々考えてしまって、その、ごめんなさい」

 うつむいて、もごもごと口ごもってしまう私の手を、ヴァレンティール王子は身を乗り出して、しっかり握り締めてくれた。


 やがて、ウサギの担当者が呼びに来て、私とヴァレンティール王子は裁きの場に戻った。

 彼が私の手を取ってエスコートしようとするので「いやそんな事しなくていいから!」「婚約者にきちんと付き添うのは当然だろう」などと小声で押し問答をしていると、先に戻っていたウサギたちと鱗氏がこちらを注視していた。ううう恥ずかしい。

鱗氏が言った。

「ふーん、髪型が変わるとかなり雰囲気が変わるな。それはそうとお前さんの婚約者、猛烈に気が短いんだから言動に注意しろよ」

 私が睨んでも鱗氏は知らん顔で、ヴァレンティール王子は真面目な顔でうなずいた。

「大丈夫だ、慣れている。少なくともナツキは姉上と違って凶暴ではないからな」

 ……どういうお姉さんなんだろう。


 天井に大穴が開いているので、とりあえず広大特別室の片隅にこじんまりと関係者が集まって裁きの場を開催し、今後の事を検討する事になった。


 まず私が黒ウサギにナップザックを盗られて怪我をした時の事を証言し、ヴァレンティール王子も黒ウサギを追いかけ捕縛に協力した件を証言した。

 あの時は、4階の通路に突然出現した10人ぐらいの黒ウサギが、本棚に本を並べていたウサギたちに襲い掛かり、本を奪って逃走した。


 そのうちの一人が、私のナップザックに目をつけて強奪したのである。尋問によると奪った理由は「女王が喜びそうに思ったから」。なんだそりゃ。お宝が詰まっているように見えたのかな。


 そして、司書ウサギたちと黒ウサギたちが6階の通路の真ん中で大声で罵り合っていたら、大騒動を聞きつけた吉宝雑貨屋の店長が現れ、場を収めナップザックを取り戻した。けれど一瞬の隙に、女王と黒ウサギの大半に逃げられたのである。しかし、逃げそびれて捕まった黒ウサギの救出に来るとは、派手女王も結構義理堅いな。おかげでヴァレンティール王子が酷い目にあったけど。


 司書ウサギが耳をピンと立てて発言した。

「あの女王と自称している金色女は、やりたい放題が過ぎます。先ほどの広大特別室の天井破壊といい、乱暴行為が目に余る。何とか潜伏場所を見つけて、罰を与えて抑え込む方法を考えませんと。しかしどうやって黒ウサギどもを部下にしたのか……」

 すると、ずっと黙っていた吉宝雑貨屋の店長が発言した。

「あの女王、元は本の妖精じゃないですかね? 羽の色や金粉をまき散らすあたりが似ているんですけど。何かの理由で巨大化したとか」

 本の妖精? 確かに見た目は完全に妖精だけど。鱗氏が首をひねった。


「そんな妖精、いたか? 確かに幽霊の俺を嫌がるのは妖精ぽいが」

 司書ウサギが耳をぱたぱたさせた。

「本の妖精は広範囲には出現していなかった。ごく小さな虫みたいな大きさで、我々の作業場や創始者の蔵書庫に出現しては、耳元でうるさく喋って飛び回っていたな。いつの間にか姿を見なくなったが……確かに似ている」

 店長がいささかうんざりしたように言った。

「本の妖精は、明るい場所が好きでした。だから薄暗い古本屋や通路には出現せずに、作業場や本など置いてないのに私の店に現れてたんですよ。最近あの女王も来店した時、実に良く喋りましたし。おまけに何も買わず冷やかしただけで」

「そういえば、派手に光る古本屋をやるとか言ってましたね」

 私が発言すると、鱗氏が苦笑した。


「言うのは勝手だが、本棚の隙間の施設や店は、迷宮が出現させて維持するもんだから、自分じゃどうにも出来ないんだがな」

「でも、7階では本棚の隙間を閉じたり開いたり、いきなり夜にしたりダンジョンを好き勝手に動かしてましたよね。もしかして店を作る方法も知ってるんじゃないですか?」

「うーん、それは確かにそうだなあ」


 次に裁判長ウサギが、ヴァレンティール王子に誘拐された時の詳細を尋ねた。

「あの時、7階に下りてからナツキがしばらく一人になるというので、私は一旦別れてから6階に上った。その直後に階段が閉じ始めたので、ナツキの元に戻ろうとすぐに階段に入ったが、閉じ込められてしまったのに気づいた。

 腹が立ったので壁を蹴飛ばしていたら、いきなり背後から黒ウサギの集団に襲われた。抵抗する間も無かった。私も多少格闘の心得はあるが、何十人もで抑え込まれるとどうしようもない。あっという間に布のような物でぐるぐる巻きにされ、身動き出来なくなった状態でそのまま階段の壁の穴に引きずり込まれた」

 司書ウサギが耳をぷるぷる揺らした。


「階段の壁からだと!? 奴らめ、各階の階段も利用しているのか!」

「穴はそこまで大きくは無かったようだ。潜り抜ける時、ひどく窮屈で苦しかったな。しばらく暗闇の中を引きずられて、気が付いたら本棚だけがあるような妙な部屋にいた。棚は全て空だったが……低い天井も床も石造りでひどく古びた感じだった。そこにキラキラ光る女王が現れて、私に自分専用の楽師になれと命じた。もちろん拒否したがしつこく要求され、私は拒否し続けた。その後怒った女王はどこかに行き、私はずっと一人で放置されていた。やがて女王が戻ってきたら、役に立つ気がないなら髪を寄こせと言いながら切断された。そして粉のような物を顔にぶつけられ、そこからは記憶が無い」


 妙な眠り薬でも使われたのだろうか。後で顔と髪を洗って着替えるように言わないと。

 裁判長ウサギが声を震わせた。

「何という恐るべき振る舞い! 暴力行為! 書記よ、今の証言を完全に記録しておくように」


 鱗氏が首をひねりながら言った。

「楽師になれと要求するのはともかく、俺はどうも女王や黒ウサギどもの言動の乱暴さが気になる。突き飛ばしたり、誘拐して髪を切ったり。よりにもよって血縁者に脅迫めいた事を言って、俺にも粉々にしてやると言ったな。本の妖精なら尚更だが、迷宮の者が同じ迷宮の者に手出しをする所がなあ」

 店長が私に向かって解説するように言った。

「司書のウサギたちは、本を整理し管理する事でダンジョン内の秩序を保っています。しかし黒ウサギたちの混乱や無秩序もまたダンジョン内の秩序を保っています。要するにプラスとマイナスのバランスを保持しているんですね。けれど今回の彼らの行動は、混乱どころか完全に騒乱と暴力沙汰です。バランスを大きく崩しているわけで、非常に由々しき問題です」

 司書ウサギが、何かぶつぶつ言いながら座ったまま足をぱたぱたさせた。同意しているのだろう。


 なるほど、裁きの場やウサギ世界の決まりや掟はあっても、こんな乱暴沙汰は非常に考えにくい訳だ。

 すると、ヴァレンティール王子が言った。

「あの女王の背後に黒幕のような存在があるとは、考えられないだろうか?」

 裁判長ウサギが木槌を振り回した。

「黒幕? あの女よりも更に恐るべき者が潜んでいるというのか!? 何か確信したのか? 姿を見たのか?」

「姿を見たわけではないが、私が髪を切られた時に女王が言ったのだ。この髪を<裂け目>から放り込めば、あの方も喜ぶだろうと」


 <裂け目>から? 私はぞっとしてヴァレンティール王子を見た。


 小規模な裁きの場は、私達の証言を記録しただけで散会となった。

 今後の事はウサギ世界の責任者たちが集まって協議する事になり、私たちは案内ウサギの先導で広大特別室を出て8階の通路に出た。


 一緒に通路に出てきた、かなりむっつり顔の司書ウサギにヴァレンティール王子が話しかけた。

「ナツキに聞いた。あなたが裁きの場で裁判長に直訴してくれて、私を女王から取り戻してくれたのだな。礼を言う」

 司書ウサギは少し狼狽えたようになって、ぷいと横を向いた。

「礼など不要だ。私の配下の者たちが、店番の楽師を助けてくれと懇願してきたので、発言しただけだ」

「そうか。それでもやはり感謝する。おかげで、戻ってこられたのだからな」

 司書ウサギは特に返事をせずに、耳を激しく振ってから背中を向けて「忙しいので失礼する」とか言いながらすたすたと立ち去った。照れていたのかもしれない。


 鱗氏が欠伸をしながら言った。

「騒ぎのおかげで思ったより時間がかかったな。宿はすぐそこに見えてるが、お前さんらは、これからどうするんだ?」

 私はナップザックを担ぎ直した。

「疲れたので、今日はもう8階の宿で休みます。ともかくここまで到達したので明日は、一気に12階を目指します。13階を一度だけ確認したいと思っているので」


ヴァレンティール王子が私にぴったりとくっついた。

「では、私も付き添う。12階は良く行っている場所だ」

「それは嬉しいしお願いしたいけど、でもあなた、自分じゃ気づいてないだろうけど髪も服もくしゃくしゃだよ。一度、4階のお店の自分の部屋に戻って着替えておいでよ。あと温泉にも入って髪を洗って……」

「温泉は嫌いだ。あんな広い場所で湯を浴びるのは落ち着かない」

「それはわかったから、とにかく着替えて顔と髪だけでも洗って、ちゃんと身体を休めてよ」

「私は何があってもナツキと一緒にいると決めたから、一緒にいる」

「あのー私は宿に泊まるんだけど?」

「私も泊まる。離れた部屋ならば破廉恥な行為にはならないだろう」

「そりゃそうだけど。でも、あなた手ぶらで着の身着のままだよ。着替えとか無いんだよ?」

「着替えなど、どうでもいい。ナツキの側にいる方が大事だ。またあの金色女王と黒ウサギが悪さをしたらどうする」

私は嬉しいけど困ってしまった。幾ら頑強でも、誘拐されてひどい目にあったのだ。彼にはとにかく休息を取って欲しい。

女王もさっき大騒ぎを起こしたんだから、しばらくは姿を隠しているだろう。


よし、ここは。

「あのね、私のお願いなんだから聞いて欲しいなあ。だめ?」

ヴァレンティール王子はぐっと詰まり、わざとらしく少し離れた場所に立っていた鱗氏は、ぶははと無遠慮に笑った。


 結局、ヴァレンティール王子は一旦4階の店に戻り、自室で一晩休んでから、明日の朝に宿まで私を迎えに来る事になった。

 彼も、他の事はともかく何日も楽器を弾いていないのは辛かったようで、渋々納得し、鱗氏は苦笑していた。

「仲がいいねえ。じゃあさっさと4階まで上るぞ、店番」

「うむ。ではナツキ、くれぐれも明日、私が迎えに行くまで宿から出ないように」

「大丈夫大丈夫。心配しないで。私はこれから迷宮案内処に寄ってから、宿に行くね。ウサギさんに方角は教えてもらったから」


 手を振って、階段の方に去る2人を見送ってから、反対方向に向かって通路を歩き出した。8階の通路は、天井がぼんやりとオレンジ色に光っている。空気は相変わらず冷たいけど……。でも寒くても、心はふわふわと温かだった。

明日にはまたヴァレンティール王子に会えるんだ。それが何より嬉しい。


 しばらくして、迷宮案内処の前に立った私が隙間に入ろうとすると。


「ニャー」


 という可愛い猫の鳴き声がした。え、猫? と辺りを見回すと、少し離れた所に真っ黒な子猫がちょこんと座って私を見ている。思わず笑顔で近寄ってみたけど、子猫は逃げようとしない。

 すい、と足に体をこすりつけて、私の靴に前足を置いてまた「ニャー」と見上げて鳴く。ううなんて可愛いんだ。

 嬉しくなって抱き上げてみると、大人しく首をかしげて私の顔を覗き込んでくる。ダンジョンで子猫なんて珍しいな、どこから来たんだろうと思った時。


 いきなり子猫の目が強く紫色に輝き、はっきりと言葉を喋った。


「血縁者。来い」


 次の瞬間、私の足元の床が消えた。

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