目次
ブックマーク
応援する
いいね!
コメント
シェア
通報

26:幻影迷宮

 気が付くと、私はかび臭い石造りの部屋の堅い木の椅子に座っていた。


 頭上の天井からぶら下がっている電球の灯りは暗い。周囲には木製の本棚が並んでいて、古めかしい感じの本がぎっしりと詰まっている。

 どこからか、水がピチャン……ピチャン……とゆっくり滴る音がする。息苦しいな。


 目の前にも椅子が置いてあるけど、誰も座っていない。

 私は、足元にナップザックが置かれているのを見て安心した。


「その荷物入れには何が入っている?」


 椅子に座った女性が尋ね、私は答えた。

「ダンジョン探索のための荷物です。ほとんど着替えですね。後は、金貨です。おもちゃの金貨ですけどこれが一番大事です。ちょっと重いですけど」

 女性は、私をじっと見つめた。

「それ以外にも何かが入っているようだが」

「別に何も入れていませんよ。重いのは嫌いですから」


 椅子に座っている女性は、女性というのはわかるけど、姿形がわからない。

 私は尋ねた。

「ここは、どこですか?」

「何に見える?」

 私は周囲を見回した。

「とても古い図書館に見えます」

「図書館に見えるならば図書館だ。ここは記憶が保管されている場だ」

「記憶が?」

「全ての者の記憶が始まりから今この瞬間まで全て保管されている」

「全てですか? 物凄い量になると思うんですけど」

「ここは無限で永遠だ。記憶は決して消えず永遠に残る」


 私は女性を見た。

「あなたは誰ですか?」

「誰に見える?」

「妙ですね、見えるようで何も見えません」

「ならば何者でもないのだろう。しかし私は血縁者が見える。血縁者に会いたかったのでここに呼んだ」

「会いたかった? 私にですか?」


 女性は、紫色の瞳で私を見た。

「人は記憶する。何もかも喜びも怒りも悲しみも何もかも」


 女性の姿が見えた。長い黒髪に暗い赤色のワンピースを着ている。顔も膝上で組んだ手も白い。これは、私の何かの連想だろうか。

「血縁者は記憶している夢はあるか?」

 覚えている夢。私は少し考えた。

「ありますね。子供の頃、高い塔の上から銀色にキラキラ輝く海面に飛び降りて、そのまま宙を飛ぶんです。空からも海からも自分の身にパワーが降り注ぐようで、とても気持ちが良くて。この夢は今でも時々思い出します」


 女性は少し身を乗り出した。黒髪が揺れる。

「人は記憶を元に夢を見る。そしてその夢も記憶する。夢は不安定だ。とてもとても不安定だ。なのに人は時にその夢に憧れる。そしてその憧れも記憶する」

 女性は目を閉じた。

「記憶は永遠に残る。不安定な夢の記憶も永遠に残る」

 女性は目を開けた。

「そして時には人以外の者も記憶する。夢を見る。そして夢を記憶する。不安定な美しい夢を記憶する。行けるはずも無い場所の夢を記憶する」


 私は突然、猛烈に不安になった。

「一体全体、何の話ですか? 私を元の場所に戻してください」


 女性は笑顔を浮かべた。

「嫌でも戻る。血縁者に他の行き場所など無い。だが逃げ場はある。お前は逃げるか? 逃げるのは難しくは無い。もう一人の血縁者は逃げなかったが最後は力尽きた」

 体の中が冷たくなった。寒い。ここはとても寒い。

「あなた、父に何かしたの?」

「何もしていない。血縁者は力を出ししかし力が足りなかった。最後は無力なまま倒れた」


 私は椅子から立ち上がった。

「侮辱すんじゃないわよ! 父は心臓が悪くて無理は出来なかったんだからね!」

「お前は血縁者の事で怒るのか?」

「あんなんでも私の親よ! 赤の他人が人の親を馬鹿にすんじゃないわよ! あんたなんか」


 目の前が真っ暗になり、私は物凄い勢いで持ち上げられ、振り回され、そのまま落下していくのを感じた。必死でナップザックを胸に抱え、目を閉じたまま心の中で叫んだ。

 ――ヴァレンティール! ヴァレンティール!

 彼なら、きっと私を見つけてくれる。


 気が付くと、私は暗闇に浮かんでいた。足元に何も無いのに、なぜか恐怖感は無い。

 すぐそばに女性も浮かんで、ニヤニヤしながら私を見ている。

「血縁者は冷静で質問も上手かったがお前は駄目だな。すぐに腹を立てる」

「ほっといてよ。さっさと私を元の場所に戻しなさいよ」

「迷宮は水槽だ」

 私は女性の顔をじっと見た。暗闇なのになぜ良く見えるんだろう。

「私は嘘は言わない。嘘が言えたら愉快だがな」

「水槽ってどういう意味よ。あんた一体何者よ」


 女性の姿が溶けるように消え、周囲は暗闇になった。声だけが響く。

「私は暗黒迷宮の裂け目から覗き見る者。破壊を司る者。この迷宮は面白い」

 私が何も言えないうちに声が遠ざかる。

「だが破壊しても記憶は永遠に残る。不安定な夢の記憶も永遠に残る。記憶は破壊できない」

 私の身体はまるで下降するように動き出し、声だけが響いた。


「なぜ行けるはずも無い場所に憧れる?」



 次の瞬間、私はナップザックを抱えたまま、ごろごろと転がっていた。

「あたたたた……」

 せっかく治った打撲傷がまたぶり返したらどうすんのよ!と顔を上げると、そこは石造りの部屋だった。空の本棚が並んでいて、全体にえらく古びた感じで少しかび臭い。元のダンジョンのどこかに戻ってきたと直感した……あれ? ここ、誘拐されたヴァレンティール王子が連れ込まれたと話していた部屋じゃない? という気がした。という事は?

 予想通りというか、とてとてと足音がして黒ウサギが部屋の隅から顔を覗かせた。

「やややや! 血縁者ではないか! なぜここに?」

 私はやけくそになって叫んだ。

「こっちが聞きたいわよ! 訳のわかんない女に訳のわかんない場所に連れ込まれた挙句に、放り出されたのよ!」

 黒ウサギが何事か叫んだ。捕まってたまるか! と私は急いで立ち上がると、ナップザックを担いで闇雲に走り出した。すぐに、短い階段があり扉が見える。私は駆け上がると、扉を開けて飛び出した。



 ――薄紫色の夕暮れの空が広がっている。


 広々とした場所に、幾つもの不思議な彫刻のような物が置かれている。どこだろう、ここ。

 ダンジョンの中にこんな場所が? と振り向いても扉も消えている。

 私は広場のような場所に立ち尽くして途方に暮れていた。気持ちのいい風が吹いてきて、どこからか風鈴が鳴るような音がする……こんな風に外の世界を感じるのは久しぶりだな、と歩き出した時、少し離れた場所に誰かが立って私を見ているのに気づいた。

 細身で背の高い、作業服のような恰好をした男性……私は目を見開き大声で呼んだ。


「お父さん!?」


 最後に会った時の服装で、父親が柔らかな表情で、でも黙って私を見ている。

 そちらに向かって私が足を踏み出した時、周囲の眺めがぐるぐる回り出した。

 嫌だ、どうして? 振り回されながら私が焦っていると、潮の香りに包まれた。


 なぜか浜辺の光景が思い浮かんだ。

 目の前には陽光に光り輝く大海原が広がっている。 波の音、潮風が心地よい。頭上は雲一つない青空。


 ――なぜ、決して行けるはずも無い場所に、存在しない光景に憧れる?

 ――なぜ胸が痛むほどに憧れる?


 気が付くと、私はナップザックを抱えて座り込んでいた。

 私を見つめていた父親の姿を思い浮かべる。あれは夢だったんだろうか。でも……。うつむいてぼんやりしていると、叫び声のようなものが聞こえた。顔を上げると、ヴァレンティール王子の姿が見えた。

 ああ、やっと戻ってこれたんだ。

 安堵する間もなく、私はヴァレンティール王子の胸に固く抱きしめられていた。

「ナツキ! どれだけ心配したか……! いきなり姿が消えて……」

 私は、まだ少しぼんやりしていた。

「ごめんね……ここ、どこ?」

「ダンジョンの12階だ。ナツキがここに出現すると言われて、昨日からずっと待っていた」


 え? 12階? 出現? 色々尋ねたいのに、でも私は彼の胸の中で泣きだしてしまった。

「お父さん……お父さん……何も言わないんだから……」

 ヴァレンティール王子は、私を抱きしめつつ、訳がわからずうろたえている。

「何かあったのか? 亡くなったお父上がどうかしたのか?」

 どう言えばいいんだろう。でもあれは夢でも幽霊でもなかった……。

 ようやく気分が落ち着いて、ぐずぐず泣きつつ顔をタオルで拭いていたら、妙な音がした。


 大量の水が流れるような音、そして何か重い物が落ちてきたようなドスンと鈍い音。続けてかすかに金属を引っかくような音もする。

 ヴァレンティール王子と思わず顔を見合わせていると、なぜか濡れた物を引きずるような足音が近づいてきた。

 ここも本棚がずらりと並んでいるけども、間隔は広い。その間から、水をぽたぽたと垂らしたずぶ濡れの人間が姿を現した。


 なぜかヴァレンティール王子が、ひゅっと息をのんだ。


 肩の辺りで切り揃えた短い銀髪。少し尖った長い耳には、煌めく魚の形の青い耳飾りをつけている。

 銀色に輝く金属の鱗で出来たような、ロングワンピース形の服。というか鎧? 足にも銀色の長靴。

 大きな緑色の瞳の、エルフの美女……というか絶世の美女だ。なんでこのダンジョンに? 

 そして美女は、右手に太くて頑丈そうな長い棒を持っている。


 呆気にとられて座り込んでただ眺めてるだけの私たちを、美女はじろりと眺めた。

 あれ、ちょっと怖い感じ? と私が身構えた瞬間、美女はいきなり長い棒を振り上げ、ヴァレンティール王子の胸元にぴたりと狙いを定めた。


「ヴァレンティール。なんだ、その髪は。黙っておめおめと切られたのか?」


ヴァレンティール王子は、初めて聞く焦りまくった声を出した。

「ちょっと待ってくれ。落ち着いてくれ、姉上!」


 はあああ!? お姉さん!?

この作品に、最初のコメントを書いてみませんか?